09

「……え?」


 アレサは言葉を失う。

 すぐにはメイの言ったことを理解できず、混乱さえする暇もなく、ただただ思考停止する。


 だが、やがてゆっくりと頭の中が動き始め、「その言葉」の意味を理解し始める。それに合わせるように、アレサの瞳にうつったメイの表情も少しずつ変化していく。いつものクールな無表情から、まるで、我が子を見る母親のように柔らかな笑顔になっていった。


「アレサお嬢様……貴女はかつて、この世界に居場所をなくした私を拾ってくれましたね……。どんな者に対しても偏見をもたず、等しく相手を尊重することのできる強い心で、落ちぶれて腐っていた私に、手を差し伸べてくれましたね……」

 今まで見たこともないほどに優しい表情と声で、メイは話し続ける。

「最初は私も、そんな貴女の行動に裏があると疑って反発してしまいましたが……でも、すぐに分かりました。

 貴女の心には裏表なんてないってこと。貴女は本当に気高く、強く、清らかな心をもった美しい人物だということ。

 そして……そんな貴女に、私が恋をしてしまっていたことに……」

「メ、メイメイ……」

「たとえ貴女がウィリアに夢中で、私の気持ちには絶対に応えてくれないと分かっていても……。私の想いに、気づくことさえないのだとしても……。私は構わなかった。

 貴女がいてくれれば、私は生きることができた。

 貴女のそばにいられるなら、この世界がどれだけ理不尽で救いがなかったとしても、生きていたいと思えたのです。

 貴女は私の全てだったのです」

「そ、そんな……」

 思いもよらない彼女の「告白」に、アレサは困惑が隠せない。

「わ、わたくしは……今までそんなこと、全然気付かなかった……。あ、貴女が、そんなことを思ってくれていたなんて……」


 本当にアレサにとってそれは、晴天の霹靂だった。今まで一度も、冗談でも思ったことのないような、予想外の事実だった。

 ……きっとそれは、いままでメイがそれだけ上手に、自分の気持ちを隠し続けてきたということなのだろう。


「もしも、本当に私の欲しいものをなんでもいただけるというのなら……私はずっと、貴女が欲しかった。

 貴女の心が欲しかった。私が貴女を想うのと同じほどの、貴女の私への想いが欲しかった。貴女の、全てが欲しかった……」

「あ……あ……」

 困惑しながらも、アレサは意を決して叫ぶ。

「あ、あげるわ! わたくしの心も体も、何もかも!」

 周囲のメイドたちから、そして地上の人だかりから、困惑の声が上がる。しかし、アレサは気にせずに叫ぶ。

「メイメイ! 貴女が今やろうとしていることをやめて、こちらに来てくれるなら……。貴女がこれからも、わたくしのそばにいてくれるなら……。貴女にわたくしの全てをあげるわ! だから、お願い! 早くそこから……!」

「もう、遅いんですよ……」

「え……」

 優しい笑顔のまま、メイは続ける。


「確かにこれまで、私は貴女のことが好きだった。貴女は私の全てだった……はずなのに……。もう、今ではそうではなくなってしまったんです。あの、転生者がやって来てからね……」

「⁉」

 その瞬間、アレサの心に強い衝撃が走った。イカヅチに体を引き裂かれてバラバラにされてしまったような感覚に襲われた。

 彼女は、メイがこれから何を言おうとしているのかを瞬間的に感じ取ってしまったのだ。


「あの転生者がやって来てから、私の貴女への想いは、日に日に薄れていってしまった……。貴女のことを考えているときの、暖かくて嬉しくて、少しだけ心が痛む……そんな感情が、どこかにいってしまった……。

 貴女のことを想うと、それを邪魔するように、代わりにあの転生者のことが思い出されるのです。貴女との想い出が、貴女への強い愛情が、あの転生者への想いに変わっていくのです。頭の中が上書きされていくかのように、あの転生者をいとおしく想う気持ちに侵食されていくのです。

 そんなこと、あるはずがないのに。

 そんなこと、あってはならないのに。

 あまりにもあっけなく。あまりにも残酷に。私は、貴女を想う気持ちを忘れはじめていたのです……」

「で、でも、それは……」

 それがトモのチート能力のせいだということは、アレサには痛いほど分かっていた。彼女は、ウィリアや他の少女たちがその力でトモに夢中になっていくのを目の当たりにしてきたのだから。

 しかし……。

「それは、私があの転生者に恋をしているから? 私が彼を好きになったから、今まで想い続けていたお嬢様よりも、会ったばかりのあの転生者のことを考えてしまっているのでしょうか……?」

「そ、そうよ……。きっと貴女は、あのナバタメ・トモ・ヒトに恋をしたのよ! わたくしを思い続けた期間なんて、関係ないわよ! だ、だって、『恋愛感情は理屈ではない』のでしょう⁉ だ、だから……!」

 しかし、アレサはそれでも、チートのことをメイに言うことは出来なかった。

「そう、ですね……。そうなのかもしれません……。これはただの、私の心変わりなのかもしれません……」

「だ、だったらわたくしのことなんか気にしないで……」

 トモの魅了チャーム能力を隠したまま、ごまかしの言葉を並べるアレサ。そんなアレサに、メイは突き放すように言う。

「でも私は、そんな自分が許せないのです」

「メ、メイメイ……」

「どんなことがあっても貴女を愛すると決めていたのに……。愛し続けることができると、思っていたのに……。それなのに……こうも簡単に、その想いを失ってしまうなんて……。お嬢様のことを好きだから、私は私でいられたのです。お嬢様を好きでない私なんて、私だと思えないのです。

 ……そう、恋は理屈ではない。でもだからこそ、私の中の『恋以外の理屈の部分』全てが、今の自分を許せないのです」

「…………」


 思い詰めた表情のメイ。

 それでもアレサはまだ、真実を伝えることを躊躇してしまっていた。


 もしも、トモの魅了能力のことをメイに伝えれば……確かに彼女は、今の自分の気持ちの理由は分かるだろう。それはもしかしたら、彼女が自分を許せない気持ちを、少しは緩めるかもしれない。

 しかし……。

 それは同時に、もう一つのことを彼女に気づかせてしまう。それは……トモが現れてからもアレサは変わらずウィリアのことが好きなのに、自分のアレサへの気持ちはトモの魅了チャームによって薄められているということ。アレサは自分の想いを持ったままなのに、自分はそうではないという事実だ。

 そもそも、なぜアレサに魅了チャームが効かないのかは、誰にも分からない。その力を与えた張本人のヌル子でさえも分からないのだから、多分、理由なんてないのだろう。だが、その事を今のメイに伝えたとして、それがなんになるだろうか。

 たとえトモの魅了チャームにかかるかどうかが、その個人の恋愛感情の強弱に関係するとは限らないとしても。魅了チャームにかからずウィリアのことを好きなアレサがいるのに、自分はトモに惹かれてしまっているという事実が、変わる訳ではない。

 それでは結局、今と同じことだ。メイはきっと、そんな状況に置かれている自分を許せないだろう。


 だから、アレサは魅了能力のことを、メイに言うことができなかったのだった。



 そこで、また。

 ユラリとメイの体が動いた。しかも今度は、明らかにもとの位置に戻るつもりのないような、大きな動きだ。

 周囲から、「ああっ!」という声が聞こえてくる。


「メ、メイメイ! やめなさい! メイメイ!」

 アレサはまた駆け出す。

 しかし、今度は流れ続ける血で左目を完全にふさがれていて、さっきの瞬発力が出せない。それに、メイとの距離がありすぎて、そもそも最初から間に合いそうにない。

「アレサ、お嬢様……」

 屋上から踏み出しながら、アレサのほうを振り向くメイ。

「メイメイ! ダ、ダメよっ! やめて!」

 彼女の体が、ゆっくりと斜めに倒れていく。その映像に合わせるように、アレサの動きもスローモーションになってしまう。その中で、思考だけがフル回転しているのがもどかしい。

 普段通りの落ち着いた口調で、メイは話しかける。

「お願いです……。どうか、まだ貴女を好きな私でいられるうちに、いかせてください……」

「待ってメイメイ! いやっ……!」

 そこでメイは、ニッコリと笑顔を浮かべた。とてもかわいらしく、完璧な笑顔だ。

 そして、まるで冗談でも言うように、


「私は貴女が大好きです……。ここだけの、話ですけどね……」


 とつぶやいた。


「メェーイィィーッ!」

 アレサの悲痛な叫び声も、届かない。

 メイはそのまま、地面へと向かって落ちていった。その場の誰にも、それを止めることは出来なかった。

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