08

 馬車が目的地に着いた途端、アレサは外に飛び出した。その場所は、アレサの暮らしている屋敷だ。彼女は自宅に帰ってきたのだ。

 屋敷の中を走り抜け、階段を駆け上り、三階建ての屋上に出る。そして彼女は、声の限り叫んだ。


「メイメイ!」

 その視線の先には、落下防止用の手すりの「外側」に立つメイがいた。


「あ、貴女! なんでそんなところにいるのよ! 危ないでしょうがっ! バカなことはやめて、早くこちらにきなさい!」

「ああ、お嬢様……」

 メイド服のエプロンをたなびかせながら、振り返ってアレサを見るメイ。地上では他のメイドや執事たちが集まり、深刻な表情で屋上を見上げたり、地面に膝を落として涙を流したりしている。

 メイは今まさに、屋敷の屋上から飛び降りようとしていたのだ。


「全く……。もう少しだけ遅く帰ってきてくれれば、『全てが終わったあと』だったのに……。相変わらず、間が悪いですね。もういっそ、尊敬しますよ」

 うっすらと、笑みをこぼすメイ。

 同時に、彼女の体がフラッと揺れる。地上の人だかりから、悲鳴が起こる。


 その瞬間、アレサは駆け出していた。

 トモとの戦いでも見せたことのないほどの超高速で、屋上のフチにいるメイのもとへと飛び出していた。

 しかし……。

「『閃光の矢ライトニング・ボルト』……」

 そんなアレサより一瞬早く、メイが魔法を唱える。彼女の手から稲光りの刃が飛び出し、アレサに向かっていく。防御など微塵も考えずに全速力で駆けていた彼女は、その攻撃を避けられない。

 光のエネルギーはアレサの顔の左側に直撃し、彼女はその衝撃で後ろに吹き飛ばされてしまった。

「きゃあっ!」

「ああ、申し訳ありませんでしたね……。牽制のつもりで、当てる気はなかったのですが……」

 その様子があまりにも痛々しく、罪悪感にさいなまれたのか……メイは一度崩したバランスを自ら立て直し、元の場所に戻っていた。


「くっ……」

 魔法で傷ついた左目を押さえながら、すぐに起き上がるアレサ。メイがまだ無事であることを確認して、小さく安堵の声をもらす。それから、メイをこれ以上刺激しないように一端距離を取りつつ、落ち着いて説得を始めた。

「わ、分かったわ、メイメイ……貴女の話を聞きましょう。こんなことをするからには、きっと何か困っていることがあるのでしょう? それを教えてちょうだい。

 それが、わたくしにできることなら……いいえ。それがどれだけ困難なことであったとしても、必ず貴女の要求をかなえると約束するわ。何か欲しいものがあるなら、わたくしの命をかけてでも手に入れて見せるわ。

 だから……どうかもう、こんなことはやめましょう?」

「ふふ……。何でも、ですか……? それはすごいですね……」

「そ、そうよ……。欲しいものがあるなら、お金でも何でも、貴女にあげると言っているのよ。だから……」

 アレサは説得を続ける振りをしつつ、そばに来ていたメイド長に小声で指示する。

「何をボケッとしてるのよ……! 今のうちに、拘束魔法かなにかで、あの子の動きを止めるのよ……!」

 しかし。

 そのメイド長は首をブンブンと振って、即座に答える。

「や、やってます! そんなこと、さっきから何度もやってます! でも、ダメなんです! どういうわけだか、今のあの子には魔法が全然効かないんです! まるで、魔法防御力が倍増したみたいに……!」

「魔法が、効かない……? そうか、『魔の山』だわ……」

 その意味に気付き、アレサは青ざめる。

「あの山には、わたくしたちの見たこともないような植物が、普通に生えている……。きっと彼女、わたくしと一緒に登山したときに、『魔法防御を倍増させる薬草』でも見つけたのよ……。ああ……だからあのとき、急に下山するなんて言ったんだわ……」


 彼女の予想した通り、メイはアレサと『魔の山』を上っていたときに、偶然魔法効果を打ち消す植物を発見した。そして、適当な理由をつけてアレサより一足先に下山し、その植物の効果を最大限に発揮する薬として調合して、服用したのだ。

 だが、今さらそれに気付いたところで、どうしようもない。

 いや、そもそもあの時点でメイがそんな植物を持っていたと気付けたとしても、まさかこの展開までは想像できるはずがない。彼女が、「魔法で邪魔されずに自殺しようとしていた」なんて、分かるはずがなかったのだ。


「メ、メイメイ……貴女、正気なの? 魔法が効かないってことは、回復魔法だって効かないってことなのよ……? その状態で屋上から飛び降りたりしたら……貴女のその傷を癒すことなんて、誰にも出来ないってことなのよ……?」

 この世界では、医療魔法が高度に発達している。魔法さえ使えるなら、瀕死の重症からでも復活することは可能だ。だが、もしもその魔法が通用しない状態で大ケガを負ってしまったとしたら……その結果は、想像に難くない。

 それは、今のメイの「意志」がそれだけ強いということを現していたのだった。


 メイは口を緩ませ、フッと軽く鼻を鳴らす。

「貴女は相変わらず、間が悪くて、空気が読めなくて、世間知らずで……正真正銘の、残念お嬢様ですね」

「ね、ねえメイメイ……このお屋敷全部でもお母様の学園でも、何でもあげるから……。だからとにかく、お願いよ……。こんなことはもうやめてよ……。わたくしは、貴女にこんなことをして欲しくないのよ……。だから、お願いだから……」

 アレサの説得は、すでにただの懇願になっている。

 さきほどのメイの攻撃でできた彼女の傷からは、押さえていても絶え間なく血が流れ続けている。いつの間にか、その血の流れに涙が混ざって、色が薄くなっていた。

「メイメイ……。ねえ……メイメイ……」

「まったく……」

 そこでまた、メイはまっすぐにアレサを見つめる。

 そして、いつも通りの無表情のまま――しかし、その瞳の奥にかすかに優しい光を灯しながら――、

「でも……そんな残念お嬢様だから……私は、貴女のことを好きになったのですけどね」

 とつぶやいた。

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