02

 それから、三日後。

 アレサは、メイド服姿のメイと一緒に、険しい山を登っていた。


「はあ、はあ、はあ……」


 うっすらと光を帯びたような純白のローブに、鳥の羽根のような飾りがついた丈夫そうなサンダル。背中には、パンパンに膨らんだ革製のリュックサックを背負い、トモと戦ったときの円柱形の金属杖は、そのまま杖として使って体を支えている。

 それらの装備にはもれなく高等な付与魔法がかかっていたため、触れているだけで体力を回復したり、体に感じる荷物の重さを軽減させたり、あるいは雨を弾くような防水効果があったりした。それは、魔法が不得意なアレサが専門の業者に依頼して用意した、最高級の登山用装備だった。

「ま、待ってなさい、ウィリア……。このわたくしが、必ず貴女の喜ぶプレゼントを、持ち帰って見せますからね……。はあ、はあ、はあ」

 そんな万全の体勢でアレサが目指しているのは、「魔の山」と呼ばれ、人々から恐れられているこの山の山頂だった。


 そこでは、他の場所よりも空気中の魔力の流れが滞留しやすい地形になっているらしく、時おり珍しい草花が生まれることがあった。

 たとえばそれは……食べると一時的に筋力が極限まで高められ、体が巨大化するキノコ。服用した者の魔力を倍増させ、魔法を効かなくさせる星の形をした薬草。あるいは、鋭いキバを持っていて、動物やモンスターでも丸のみにしてしまうような恐ろしい肉食植物などなど……。

 その中でも特に珍しいと言われていたのが、一年のうちのごく限られた期間だけその山の山頂に咲くという、とある花だった。


 その花は、一見するとどこにでもあるような普通の赤い花でしかない。しかし、その内部には非常にデリケートな割合で魔力が循環していて、誰かがその花に触れると、その触った者の心の強さに応じて魔力回路に変化が生じるのだ。

 その花に触れた者が誰かに深い愛情を持っていれば、花弁の赤い色はより深くなる。逆に、その者の愛情がうわべだけの偽物であったなら、赤い色はどんどん薄くなり、最後には真っ白になってしまうのだという。

 かつて、運命によって引き裂かれた恋人たちがその花をきっかけにして再び結ばれたという言い伝えがあり、それにちなんで「結びの花」という名前がつけられているその花は、恋愛成就のお守りとして、この世界の若い女性たちの間では、なかば神格化された存在になっていた。

 もしもこの危険な山を登って、その花を「赤いまま」取ってきてくれるような者がいれば……その人は、必ず自分のことを幸せにしてくれる。その人となら、最高の恋人になれる。少女たちは誰もがそんな憧れを抱き、その花を幸福な恋人たちの象徴のように扱ってきた。トモの世界でいうところの「白馬に乗った王子様」と同じような意味で、「結びの花の相手」という慣用句さえあるくらい、その花は特別な花だったのだ。


 庭師の娘のウィリアにとっても、その花は憧れの存在であり、アレサは常日頃から、その花に対する彼女の想いを聞かされていた。

 だから彼女は、その花をウィリアへの誕生日プレゼントにすることにした。そしてそのために、トモに宣戦布告をしたその日のうちに、この登山を開始したのだった。



「はあ……はあ……。まだまだ、ゴールには……ほど遠いわね……」

 はるか遠くに見える山頂を、恨めしそうに見上るアレサ。

 その後ろを、動きにくそうなメイド服を着ているのにそんなことを微塵も感じさせず、ヒョイヒョイと身軽についてくるメイ。

「今さらですけど……何も、お嬢様ご自身がこの山に登る必要はなかったのではありませんか? ここだけの話、目当ての花は、屋敷の誰かに命令してとってこさせれば早かったと思いますよ」

 常にアレサのそばにいるために、いざというときに備えて、メイもそれなりに身体を鍛えてあるらしい。彼女は息一つ切らしていなかった。

「だ、ダメですわよ、はあ、はあ……そ、そんなの……。屋敷の皆さんには……ちゃんと普段のお仕事があるんですのよ……? それを差し置いて、わたくしのワガママで、こんな……はあ、はあ……過酷な労働をさせるわけにはいきませんわ……。そ、それに……」

 一方、トモとの対決のときに見せた瞬発力や反射神経はあるが、持久力については人並みなアレサは、既に息も絶え絶えな状況だった。

「それに……こうやって苦労すればするだけ、わたくしのウィリアへの愛の深さが、証明されるというものでしょう? はあ、はあ、はあ……。この努力は、全てウィリアのため……。ウィリアにわたくしの愛の深さをウィリアに知ってもらうための布石。いわば、この苦労も含めてわたくしの愛のプレゼントというわけですわ! おーほっほっほー! おーほっほ……げ、げほっ! げほっ!」

 疲れがたまっているところに無理に高笑いをしようとしたせいで、盛大にむせてしまうアレサ。そんな彼女に、もはや何百万回と繰り返したような呆れ顔を向けるメイなのだった。




 それから。

「さて」

 さらにしばらく山道を進み、ようやくゴールの山頂が近づいて来たというところで。突然メイが、話を切り出した。

「もう、目的地の山頂は目前ですね。ここまで天気が崩れるようなことはありませんでしたし、空の様子をうかがう限り、おそらく、これからも大丈夫でしょう。食料や水も充分残っていますようですし、先日のドラゴンのように獣やモンスターが現れたり、あるいは山賊が出て来たりしても、お嬢様ならば特に危険はないと思われます」

「な、何……? 何が、言いたいのよ……」

 さっきよりもいっそう疲れがたまっているらしく、老婆のように深く腰を曲げているアレサ。わずかに脚を震えさせている様子は、さながら仔鹿のようでもある。

「ふむ……」

 そんなアレサの様子を見て、小さくうなづくメイ。

「今のお嬢様は相当お疲れのようですが…………まあ、約束のウィリアの誕生日まではまだ若干余裕がありますし、休み休み行けば、当初の予定通りに目標を達成出来ると思われます」

 アレサのヨレヨレのローブに触れて、「付与魔法も、まだしばらくは持ちそうです」と付け足す。

「……だから、何なのよ?」

 要領を得ない彼女の言葉に、アレサは苛立つような表情をしている。疲れきった彼女の体には、これ以上不毛な会話をする余裕はないらしい。

 それを受けてか、ようやくメイが本題に入った。

「だから……私はこの辺で、いったん下山させていただいてもよろしいですか? もうここは、お嬢様お一人でも、大丈夫ですよね?」

「え? ま、まあ、それは別にいいけど……。でも、ここまで来といて、なんでこんな急に……」

 何か用事でもあったの? それなら止めるつもりはないけど……と続けようとするが、メイはあっさりとその可能性を否定する。

「だって、このままご一緒させてもらっても、別に面白いこと起きなそうですし」

「は、はあ……?」

「そもそも私、よく考えたらこの件には無関係ですし。単純に、めんどくさくなってきましたし」

「あ、貴女ね……」

「これだけ頑張っても、多分今回も、勝負はお嬢様の負けだと思うし」

「こ、こらー!」

 怒りが疲れを上回ったのか、アレサはいつも通りの大声で叫んでいた。

「な、何言ってるのよ! そんなわけないでしょ! 今回はわたくしが勝つわよ! 勝つに決まってるでしょ! むしろ、完膚なきまでに勝ちまくるわよ!

 ……って言うか、貴女はわたくしの家のメイドなんだから、何があってもこっちの味方でいなさいよ!」

「はいはい。勝てるといいですね」

「ムキィー!」


 散々怒鳴り散らしたあと、もと通りぜぇぜぇと息を枯らしているアレサを見下しながら、「まあ、冗談はさておき」とメイは続けた。

「敵を知れば百戦危うからず、己を知るにはまず敵から、なんて言葉もあります。お嬢様としても、恋のライバルの彼がウィリアにどんなプレゼントを送るのか、気になるでしょう? ですから私はこれから、あの転生者の様子を見てこようかと思うのです」

「は、はあ……?」

「まあ、さすがにあの転生者が『結びの花』に勝るほどのプレゼントをおいそれと用意できるとも思えませんが……。しかし、油断は禁物です。前回も前々回も、あと少しというところで逆転を許してしまったせいで、お嬢様は敗北してしまったでしょう? でしたら今回はその反省を活かして、念を入れすぎるくらいでちょうどいいかもしれませんよ?」

 またバカにされているのではないかと、いぶかしげな態度を作るアレサ。しかし、メイの今の表情をみる限りでは、そうとも思えない。

 結局それから、

「……勝手になさい」

 と、疲れのたまった声で言った。


 アレサのその言葉を聞くなり、

「はい。それではそうさせていただきます」

 とだけ応えると、メイはすぐさま、山道をもと来たほうへと降りていってしまった。

「なんなのよ……」

 そんな彼女を、アレサは少しの間見つめていたが、

「まさかあの子まで、あの転生者に夢中になっちゃった、とか言うんじゃないでしょうね……」

 とつぶやいたあと、すぐに首を振って気分を切り替えて、また山頂へと向かって歩きだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る