第4章 ライバル is powerful

01

「もう、いいんじゃありませんか?」


 放課後、図書室の一角。


 分厚い辞典や歴史書が並ぶ棚の前のテーブルに、アレサとメイがいる。

 ただでさえ、部活か帰宅しているかで校舎内にいる生徒自体が少なくなっている上、そこが大きな図書室の中でも飛び抜けて利用者が少ないジャンルの棚のせいもあって、周囲には二人以外の姿は見えない。だから、行儀悪くテーブルに突っ伏している今のアレサをとがめる者もいなかった。

 メイがあきれた表情を向けて言う。


「武術もダメ。学業もダメ。どうやらあの転生者は、お嬢様より全てにおいて勝っているようです。これ以上の勝負は、ご自分が惨めになるだけですよ?」

「うう……。こんな、こんなはずじゃあ……ありませんでしたのにぃ……」

 悔しさを表現する、ノドから絞り出すような、うめき声。

 しかしメイに言われるまでもなく、彼女自身も同じことを考えていたので、反論は出来なかった。


 転校初日の武力勝負とこの前の学力勝負で二連敗したことで、これまでの「残念お嬢様」に加えて、「負け犬お嬢様」や「かませ犬お嬢様」の汚名を手に入れていたアレサ。このまま何度勝負を繰り返したところで犬死には必至で、犬猿の仲のトモが「学園内最強」の栄光と名声を手に入れ、女性どころか男性にすら憧れの対象になっているのと比べると、雲泥の差だった。


 それが自分でも分かっていたからこそ、アレサはこんなところでイジけていたのだった。

「わ、わたくしのウィリアへの愛が……あんなやつに、負けるはずはありませんのにぃ……」

「お嬢様のお気持ちも大事ですが、ウィリアの気持ちも、考えてあげてはいかがですか? お嬢様がどれだけ強い想いを持っているかは知りませんが、彼女だって今、あの転生者に夢中なのです。その気持ちを尊重してあげるのも、大事なことだと思いますよ? まあ……あの転生者の方は、ウィリアに特別な感情は持っていないみたいですけどね。ここだけの話」

「そ、それが、おかしいって言うのよ!」 

 テーブルからガバッと起き上がるアレサ。

「あんな、クラスの他の女子にチヤホヤされて、鼻の下やら上やらを伸ばしていい気になっている野蛮な男を、ウィリアが好きになっていること自体が間違いなのですわ! あんな男、ウィリアに相応しいはずがない!

 ウィリアに愛される資格があるのは、誰よりも一途に彼女だけを愛し続ける者……誰に言い寄られようとも見向きもせずに、ただひたすらにウィリアに愛を捧ぐ者…………この、わたくしのような者だけなんですわ!」

 「本当に鼻の上が伸びたら、ちょっと不気味ですが……」と小さくツッコんでから、メイは少し考え込むように黙る。

 それから、ボソリとつぶやいた。


「しかし……恋愛感情は理屈ではありませんでしょう?」

「う……」

 何も言えなくなるアレサ。


 もちろん、彼女だって今の自分の言葉を本気で信じていたわけではない。誰かが誰かを好きになるということに対して、全て納得のいく理屈や理由があるなどとは、思っていない。

 それは、突然なんの脈絡も理屈もなくウィリアのことを好きになってしまった自分だからこそ、良く分かっていた。


 恋に落ちたから、好きなのだ。

 好きだから、恋に落ちたのだ。

 そこにあるのは千の言葉よりも確かで、万の論理よりも疑いようのない、たった一つのあいまいな感情だけなのだ。


 ただ、同時に。

 「今のウィリアがトモを好きな気持ち」についてだけは、それが当てはまらないということも、もちろん分かっていた。

 今のウィリアがトモに好意を持っているのは、女神のヌル子が与えたチート能力のせいだ。そこには明確な理由があり、ウィリアの感情は彼女の本能ではなく、魅了能力という名の「理屈」によって操られていることを。


「だ、だから、それは……」


 その「理屈」を、メイに言ってしまえば……。他の人間に教えてしまえれば……。そう考えたことは、今までにも何度もあった。

 チートを与えてこの状況を引き起こした帳本人のヌル子からは、『は、恥ずかしいから、他の皆さんには黙っててくださいぃぃ……』とお願いされていたが、別にそんなことは気にしていない。ヌル子に対していろいろとムカついていたアレサとしては、彼女の失敗を言いふらして彼女の宗教の信者が減ったとしても、何の問題もない。

 しかし……。


(言えない……。言えるわけが、ありませんわ……)


 しかし、それでもやはり、アレサはその話題を避けてしまうのだ。

「な、何でも、ありませんわ……」

「……? はあ、そうですか……」


(だって……自分の感情が、チート能力なんていう訳の分からないものに操られていたせいだったなんて知ったら……きっとウィリアは、すごくショックを受けるはずだもの……。

 恋を知らなかったあの娘の、初めての恋愛感情が、チート能力で無理矢理作られたまがい物だったなんて……。そんなの、かわいそうすぎますわ……)

 それは、アレサ個人のワガママだ。


 「真実」を告げられたときのウィリアのことを考えると、アレサにはとても、魅了チャームのことを話せなかった。彼女が激しく落ち込む姿が想像できてしまって、そんな気になれなかったのだ。だから、これまで彼女は、ヌル子から聞いたことを誰にも話してこなかった。

 異世界からやってきたことや、その他のチート能力のことはトモ自身が包み隠さず話していたので、周囲にも知れ渡っていた。だが彼の魅了能力のことだけは、いまだにアレサしか知らなかったのだ。


(あの能力のことを、誰にも言うことはできない……。いいえ、言う必要なんて、ないんですわ。魅了能力のことなんて誰も知らなくても、わたくしなら、この状況をなんとかできるはずですもの。

 ……そ、そうよ! あの転生者の魅了よりも、もっともっとわたくしが魅力的になればいいだけですわ! そうすれば、ウィリアはきっとわたくしに振り向いてくれるはず! 「まがい物」の気持ちなんかより、わたくしの真実の想いのほうが強いことを、証明できるはずですわ!)


 決意を新たにしたアレサ。

 その場に立ち上がって、おもむろに演説を始める。


「わたくしは、小学生のときに出会ってからずっと、あの子のことを考えてきましたわ! もはやあの子のことなら、わたくしに知らないことなんてありませんわ! だから、わたくしがウィリアを一番幸せにできる! ウィリアに一番相応しいのは、このわたくし!

 あらためて、そのことをこの場で断言させていただきますわ!」

「……なんですか、急に?」

 一瞬驚くメイだったが、さすがに残念お嬢様になれているらしく、すぐに落ち着いた。そして、いつものように呆れたように軽く首を左右に振った。

 アレサは気にせずに続ける。

「あの子のプロフィールや趣味特技はもちろん! 身長体重スリーサイズに、お風呂でどこを一番最初に洗うかも! どこを二番目に洗うかも! どこを最後に洗うかも、当然知ってますわ!」

 そこで、アレサたちのテーブルのところに、ひょっこりとトモが現れた。

「あ、おじょー様たち、ここにいたンだな。ちょっと、話いーかな? この前の勝負についてなんだけどさ、やっぱりあれは、おじょー様のほうが……」

 しかし、そんなトモも無視して、アレサはそのままその演説を続ける。

「体を洗ったあとは、いつも右足から浴槽に入るということも、もちろん知っています! 熱がりだから、あんまり長くお湯につかっていられないということだって知っていますわ!

 それから、細身のくせに脱いだら意外と胸があるということも! それをコンプレックスに思っていて、女同士でもそれを必死に隠そうとするということも! その分、可愛らしいお尻のガードがおろそかになって見放題だということも!

 ……その事がバレて、最近は全然一緒にお風呂に入ってくれないということも! 仕方ないから、ウィリアのあとにお風呂に入って浴槽のお湯を水筒に詰めたり、排水口の金色の毛を集めるのが、意外と楽しいということも……全部全部、知っているのですわ!」

「……えーっと、メイメイさん? このおじょー様は今、なんの話をしてンの……?」

「ああ、ナバタメさん。お嬢様の性癖発表会にようこそ」

 遠慮なしに残念な演説を続けているアレサを無視して、トモとメイは互いにあいさつを交わす。

 そこでやっと、アレサもトモのほうを向いた。

「分かりましたでしょう⁉ これだけウィリアのことを知っていて、誰よりもウィリアを強く想っているわたくしの愛が、あなたなんかに負けるはずないんですのよ! ウィリアに相応しいのは、このわたくしなんですわ!」

「いや実は……俺もまさにそういうことを言いに、ここに来たンだけどさ……」

 ものすごい剣幕で今にも殴りかかってきそうなアレサを、獣のようにどうどうと両手で落ち着かせようとするトモ。

 しかし、エキサイトしているアレサは止まらない。

「そうよ! これまでは、勝負するジャンルが間違っていたのだわ!

 武力も学力も、確かにウィリアを守るためには必要なものだけど……でも、だからといってそれが一番大事なものではないわ! 本当に必要なのは、ウィリアへの熱い想い! 燃えるような、愛情よ!

 それを計れるような勝負でなければ、どれだけ勝ったって意味なんてないですわ! 今までの勝負なんて、無効よ!」

「……お、おう」

「やれやれ。分かりやすく開き直りましたね……」

 トモもメイも、完全に呆れてしまっている。

 ただ、このまま放っておいてもめんどくさいだけだったので、メイはしぶしぶ尋ねた。

「でも、愛なんてどうやって計るのですか?」

「……え?」

「ウィリアへの愛情で勝負するとなると、その大きさなり質なりを、定量化する必要がありますよね? そんなことできるんですか?

 そりゃあ、もしかしたらナバタメさんの『ステータス確認』の能力なら、そんなことも可能なのかも知れませんけど……。でもさすがに、対戦相手にジャッジを任せるというのも違う気がします。そのあたり、もちろんちゃんと考えてるんですよね?」

「そ、それは、もちろん……」

 もちろん何も考えていなかったアレサ。何かヒントはないかと、今さら図書室の中をぐるりと見回す。


「と、当然、考えてあるに決まってますわよ! え、ええ、もちろん、考えていないわけが…………ん?」

 そして彼女は、ある一点で目を止めた。

 それは、図書貸し出しカウンターのところにあった、この世界の暦が書かれたカレンダーだ。


「そ、そうよ……これよ……。これだわ……。おほほほ……おーほっほっほー!」

 突然の高笑い。

 メイは当然として、トモもそろそろ彼女のそんな奇行になれてきているようで、特に驚いた様子はない。

 アレサは続ける。

「ああん、もうっ! どうして忘れていたのかしら⁉ このわたくしとしたことが、ありえない失態だわ! この、記念すべき素晴らしい日を! 愛する人の、誕生日を!」

「誕生日? それって……ウィリアの?」

「ええ! そうよ!」

 満面の笑顔でうなづくアレサ。

「ちょうど七日後の今日……竜の月、三十五日は、わたくしの大事な人、ウィリア・ドール・ウェントバーグが、この世に生まれた日なのよ!

 これよ! この機会なら、ウィリアへの愛を計ることができる……! むしろ、ウィリアを本当に幸せにできるのは誰なのかを決める、絶好のチャンスだわ! ああ、このタイミングでウィリアの誕生日がやってくるなんて、これって運命じゃないかしら? 神がわたくしに与えた……まさに愛の贈り物ということなのねっ⁉」

『あれ? 私、別に何もやってませんよ?』

 ヌル子が隣でとぼけたつぶやきをもらすが、アレサは当然無視する。

「ナバタメ・トモ・ヒト! あなたに、ウィリアをかけた三度目の勝負を申し込みますわ!」

 そして彼女は、ビシィとトモを指差した。

「勝負内容は……『七日後の誕生日に、どちらがウィリアを喜ばせるプレゼントを送ることができるか』よ! チャンスは一度きり、七日後に開かれるウィリアの誕生日会のときのみ! 判定は、ウィリア本人にしてもらうわ!

 これは、正真正銘最後の真剣勝負! 今回ばかりは、勝負がついてから『やっぱりなし』とか、『泣きの一回』とかは、ありませんわよ⁉」

「これまで勝手に『やっぱりなし』にしてたのは、お嬢様の方ですけれどね。ここだけの話」

 メイのツッコミは、相変わらずアレサには届かない。

「喜ばせるプレゼントを送れるのは、ウィリアのことをよく知っていて、ウィリアのことを本当に心から想っている者だけ! すなわち、よりウィリアへの愛が深いほうが勝つということよ!

 この勝負で、今度こそ絶対に、完膚なきまでにあなたに勝って見せますわ!

 おーほっほっほ! おーほっほっほー!」

「はあ、やれやれ……」

 勝手に話を進めてしまうアレサに、もはや呆れ顔が染み付いてしまいそうなメイ。「どうします?」と、無言で隣のトモに目線を送る。

 彼は、楽しそうにニヤけながら、

「いいゼ、おっけー。じゃあ、その勝負で決着つけようゼ!」

 と、陽気な態度で答えるのだった。


「言ったわね⁉ 覚悟なさい! 後で吠え面かいても、知りませんからね! おーほっほっほー!」

 完全に勝利を確信しているアレサは、そこが図書室だということなどとっくに忘れて、最大ボリュームの高笑いを決めている。


 一方のメイは、「今回もまたこの方は、ご自分から盛大に敗北フラグを立てていらっしゃるなあ……」と、苦笑いするのだった。

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