02

 その日は、アレサにとってさんざんな日になった。


 あのあとトモが、「実は俺、お金持ってなくて今日の宿に困ってるンすよねー」などと言って、すかさずウィリアが「だったらウチに泊まれば……」なんて言い出したことに、アレサはショックを隠すことができなかった。


(な、何よそれ⁉ わたくしだってまだ、ウィリアと「お泊まり」なんてしたことありませんのよ⁉ それを、よりにもよってあんな、どこの馬の骨の食べ残しの捨て忘れともわからないような男に、ウィリア自らが誘うようなことを言うなんて……。

 な、なんてうらやま……い、いえ! はしたないのかしら⁉ ウィリアにはちゃんと、淑女レディとしてのたしなみを教えてあげなくてはいけませんわねっ!

 で、でも……そんな風にチョロいところも、たまらなくかわいいのよねぇ……。えへ、えへへ……)


 とりあえずのところは、アレサが宿泊代を出して、なかば無理やりにトモを宿屋に押し込むことで、その場はなんとかなった。だが、ウィリアは最後までトモという男のことを気にしていたようだった。


「トモくん、ちゃんと宿屋で眠れてるかな……?」

「トモくん、もしかしたらさっきの戦いで、どこかケガしたりしてないかな……?」

「トモくん、もう私のことなんて忘れちゃったかな……?」

「トモくん……私、きみのことが……」

 エトセトラ、エトセトラ……。


 当然、そんなウィリアに対して告白の続きなど出来るはずもなく。

 しかも、公園でのびているドラゴンの後始末フォローまで、アレサがやらなければいけなくなり……。彼女が自分の住む屋敷に帰ってきたときには、すでに日が変わるくらいの時刻になっていて、心身ともにクタクタだった。



「ああ、もう! 一体なんなのよ、あいつ!」

 貴族令嬢だが、同時に学生でもあるアレサは、明日は朝から学園に行かなければならない。お嬢様としての美容健康的にも、夜更かしはするべきでないと常々母親やメイドたちから言われている。

 だが、ベッドで横になって目を閉じても、さっきのことが思い出されてムカムカしてしまい、彼女はいっこうに眠りにつくことができずにいた。


「突然わたくしたちの間にしゃしゃり出てきたかと思ったら、『ここは俺に任せろ』とか言っちゃって! あんたなんか、お呼びじゃないのよっ! あんたなんかいなくったって、わたくしだけでもあのドラゴンくらい、なんとかできたんですわ!」

 寝室には他に誰もいないが、饒舌にまくし立てるアレサ。

「なーにが、『弱点は眉間だ』よ! 『くらえっ』よ! そりゃ大抵の生物は、あんなに強く眉間突かれたら気絶するわよ! ボロボロの服着て、教養のなさそうなバカ面下げて、偉そうなこと言ってんじゃないわよ! その上、魔法が苦手なわたくしに当て付けるみたいに、バンバン魔法使ったりして……ウィリアにまで色目使っちゃって……キィー! 許せませんわっ!」

 一人でエキサイトして、声が大きくなっていくアレサ。しかしそこで、急に冷静になって考え込んだ。



「それにしても……本当にあいつ、何者だったのかしら? 格好は街の民のようでもありましたけど……ただの一般市民が、あんなふうに自由自在に魔法を使えるものかしら?

 残念なことにこの国では、庶民階級が十分な魔法教育を受けられる環境が整っているとは言いがたいですわ。あの若さで、『沈黙の雲』なんていう風と水の二属性の高等合体魔法を使いこなせるなんて……よほど天性の素質があるか、優秀な魔法使いを雇える特権階級でなければ、あり得ないことですわ。剣技にもかなり精通しているようでしたし。ナバタメ・トモ・ヒトという名前も、この国の名前とは思えない。

 他の国からやって来たってこと? でもそれにしては、わたくしたちの国の言葉を普通に話していましたわね。まるで、『何かのルールによってそう決められている』とでも言うみたいに……」

「ええ。実はそうなんです」

「ま、何でもいいですわ。詳しい話は、明日にでもあいつ自身に聞いてみれば……って」

 そこで何か違和感を感じて、体を硬直させるアレサ。

「え、えーと……? 今……何か、聞こえたような……? そ、空耳ですわよね? ええ、そうに違いありませんわ!

 おほほ……。わ、わたくしとしたことが、今日はいろいろなことがありすぎたせいで、疲れてしまったみたいで……」

「実は、あの魔法や剣の技術、それにこの国の言葉が使えることなどは全部、あらかじめ決められていることなのです」

「は……?」

 どれだけ頭の中で気のせいと言い張っても、ごまかしきれないくらいにハッキリと。その声は、アレサの寝室の入口付近から聞こえてきていた。

 ベッドから体を動かして、アレサはそうっとその声のほうを見てみる。すると……。


「こんにちは」


「ぎゃーっ⁉」

 そこには、ゆったりとした純白のローブを着た、金髪ロングの大人の女性が立っていたのだった。

「だ、だ、誰っ⁉ い、いつの間に、部屋に入ったのよっ⁉」

「驚かせてしまって、申し訳ありません。でも、安心してください。貴女に危害を加えるつもりはありませんから」

 にっこりとほほえむ女性。その、見ているだけで暖かい気持ちになるような優しい笑顔には、確かに危険な感じはない。むしろ、慌てていたアレサの気持ちを急速に落ち着かせるような不思議な魅力に満ちていた。

 完全に心を許したというわけではないが、アレサはひとまず、彼女の姿を観察してみることにした。


 まず目に入ってきたのは、彼女の美しい顔つきと、サラサラの金髪からはみ出る先の尖った長い耳。それらは、エルフの特徴として有名なものだ。しかし、基本的に細身で凹凸の少ない体をしていることが多いエルフにしては、彼女のグラマラスなボディラインはあまりにも目に余る。

 しかも、そんな大人びた体付きに似合わず顔は幼い子供のようで、庇護欲をくすぐるほどに可愛らしい。まるで、数十歳の成人でも人間の子供の見た目をしているホビット族のようだ。

 またよく見れば、妖精族が羽から輝く鱗粉りんぷんを散らすように、彼女が動くたびに空気がキラキラと輝いていたりして……。


 彼女はまるで、この世界に住む全ての種族の美しい部分だけを寄せ集めた、完璧な美の象徴のような姿をしていたのだった。


「だ、だから結局……あなたは何者なのよっ⁉」

 観察によって、余計に混乱してしまったアレサが叫ぶ。

「何者、ですか……? えっとお……それは、少し難しい質問ですね」

 彼女は、少し困ったように天を仰いだ。

「どのように言ったらよいのでしょうか? どうやら私には、皆様が普通に持っている『名前』というものが、ないようなのです。

 ええ。もちろん貴女は、私のことを知ってくださっているとは思うのですが……」

「はあ⁉ な、何言ってるのよっ! わたくしが、勝手に他人の寝室に入り込むような変質者のことなんて、知るはずがありませんわっ!」

「うふふ……変質者とは、手厳しいですね」

 おしとやかに微笑んでから、その女性は何かを思い出したかのように手を打った。

「ああ、そうでしたっ! そういえば皆様の中には、私のことを『ヌル』と呼んでくださっている方がいらっしゃったと記憶していますよ?

 そう名乗れば、貴女も私のことを分かっていただけますか?」

「は、はあぁぁぁぁっ⁉」

 顔を崩して、オーバーな態度で呆れかえるアレサ。

 しかし、そんなアレサのリアクションも、ある意味では無理もなかった。


 なぜならば……この世界のアレサの住む国では、『ヌル』という言葉には、特別な意味があったからだ。それはすなわち、この世界の創造主にして管理者。誰よりも高貴で、偉大で、正しくて、尊い存在。

 唯一神……すなわち、神様を意味する言葉だったからだ。

 つまり、いきなり寝室に現れたその女性は、初対面のアレサに向かって自分のことを神と名乗ったのだ。


「わ、分かりました。よーく分かりましたわ……」

「ああ、良かった! 分かっていただけました⁉」

「……ええ、分かりましたわ。あなたが、普通じゃないってことがね」

「まあ⁉ 普通じゃないなんて! あんまり褒められると、照れますよお」

「はいはいはい……。普段は世間知らずなんて言われているわたくしですけれど……さすがに、あなたのことは知ってますわよ。以前、メイドたちから聞いていましたもの。

 『自分で自分のことを神とか名乗るようなヤツは、まともじゃない相当ヤバいやつだ』って。だから、『出会ったらあんまり刺激しないように慎重に扱え』ってね……」

「キャー! そんなふうに、皆さんで私のことウワサにして下さってるんですかぁ⁉ そんなのまるで、有名人さんとかアイドルさんみたいじゃないですかぁー⁉

 それに、『ヤバい』ってあれですよね? 『そっちの意味のヤバい』じゃなくって、『あっちの意味のヤバい』ですよね? もおーう、ほめ過ぎですよおーっ!」

 完全にその女性を変人認定したアレサと、自分のことを褒められていると思って浮かれてしまっている女神ヌル。二人の間にはかなりの認識の齟齬そごができていたが、奇跡的に会話は成り立っていた。

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