ライバル・イズ・チートフル
紙月三角
第1章 出会い is awful
01
すっかり日の落ちた、夜の公園。
二人の少女がいる。
「わあー、すごおーい! きっれえーな眺めーっ!」
金髪の少女が、歓声をあげる。
彼女が体を寄せている木製の手すりの向こう側には、遥か遠くに巨大な大理石造りの城。そして、それを取り囲むように放射状に家々が立ち並んでいるのが見える。それらの建物のどこからも柔らかな暖色系の光がこぼれ出し、キラキラと輝いている。まるで、高価な宝石や魔石が並ぶアクセサリーショップの店先のようだ。
そこは、城下街を見下ろすことのできる、郊外の高台に位置した公園だった。
興奮気味の金髪の少女は、さっきからその美しい夜景に視線を奪われていた。
「街のすぐ近くにこんなところがあったなんて、あたし、知らなかったよおー! 今日は連れてきてくれて、ありがとおーねー! アレサちゃん!」
「全く、ウィリアったら……。こんな時間にあんまり大声を出したら近所迷惑ですわよ?」
アレサと呼ばれたもう一人の赤毛の少女は、ウィリアという金髪の少女の背中に、あきれるような苦笑をこぼしている。
しかしその表情は次第に、優しい笑顔に変わっていく。
(うふふ……。やっと、ここまで来ましたのね……。
わたくしが、今日のこの瞬間のことをどれだけ待ち望んだか……。今日のために、今までどれだけ準備を重ねてきたか……。その努力が、やっと実を結ぶのね……)
幼い子供のように騒いでいる金髪の少女の後ろ姿を、心底愛おしそうに見つめているアレサ。
燃えるような赤い髪はサイドでまとめてツインテールにして、ゴージャスな縦ロールを作っている。半球状に膨らんだスカートや、所々フリルがちりばめられたドレスのような服だけ見れば、パーティーからの帰り道なのかとも思えるが……これが、彼女のいつもの格好だ。それは、彼女――アレサ・サウスレッド――が、正真正銘誰がどう見ても疑いようのないほどに完璧な貴族令嬢……つまり「お嬢様」であることの体現。
しかも、そんな優雅なドレスの腰に、剣のサヤのようなものが見えるあたりも考慮すると……なかなかの「おてんばお嬢様」であることを現していた。
そんな、ある意味で典型的圧倒的究極的根本的お嬢様であるアレサが、どこにでもいるような金髪の普通の少女――ウィリア・ドール・ウェントバーグ――と二人きりで夜の公園にいるのにも、もちろん理由があった。
(ここまでくるのに、本当に、いろんな準備を重ねてきたわ……。
ウィリアに恋人や好きな人がいないのを確認することはもちろん。
彼女が同性間の恋愛に対して、少なからず理解があること。女性からの好意やスキンシップや、過度な嫌悪感を抱いていないこと。彼女自身が「そういう恋愛」をする可能性が、ゼロではないということ。あらゆる遠回しな方法で、わたくしはそれらを確認してきたわ。
……当然、どれだけそんなことをしたところで、わたくしたちの「壁」が取り除かれたわけではない。むしろ、わたくしにはこれからも、越えなければいけないたくさんの「壁」があるでしょう。
でも……それでも。
ウィリア。わたくしは今日のこの日、この瞬間をもって……貴女に自分の本心をさらけ出すわ。ただの親友から、新しい関係に進むことを……二人の新しい物語を始めることを、決意したのよ……)
アレサは今、同性の少女ウィリアに恋をし、告白をしようとしていた。
つまり、このアレサお嬢様は、百合だったのだ。
(そう……これは、わたくしとウィリアの物語。
わたくしたちの、か弱くて小さくて頼りない、恋の物語なのだから……)
やがて、覚悟を決めたアレサは、自分の想い人の名前を呼ぶ。
「ねえ、ウィリア……」
金髪の少女はくるりと体を回して、彼女の方を振り返る。
「なあに、アレサちゃん?」
アレサの口調に何かを感じ取ったのか、ウィリアはもう子供っぽくはしゃぐのをやめて、ただニッコリとほほえんでいる。
城下街からもれる光と、夜空に浮かぶ星々の煌めきが、後光が差すように背後から彼女の体を照らしている。
(綺麗よ……ウィリア)
あまりにも完璧なそんなウィリアの姿に、いつまでも見とれていたいという思いが、アレサの頭の中に押し寄せてくる。しかし、その幸せな欲求にどうにか打ち克って、彼女は理性を取り戻した。
そして、その言葉を……。
今日のために用意してきた、とっておきのセリフを……。
今の自分の気持ちを百パーセント詰め込んだ、想いのこもった告白を……、
「ウィリア……わ、わたくしは……実は、貴女のことが……!」
しようとした。
しかし、それはできなかった。
「ギャァァァァースッ!」
「な、何っ⁉」
突然の轟音。
それから少し遅れて、公園の木々をなぎ倒すほどの突風と、体の芯から揺さぶられるような地響きがくる。
「キャアーッ!」
「ウィ、ウィリア、落ち着いて! わたくしの体につかまりなさい!」
素早く体を動かして、ウィリアの盾になるアレサ。
彼女は取り乱すことなく冷静に、風が吹いてきた方向、すなわちさっき狂暴な鳴き声が聞こえてきた方向に目を凝らす。
すると、最初は砂ぼこりが舞い上がって視界がはっきりしていなかったその方向から、再びすさまじい鳴き声とともに、「それ」が姿を現した。
見上げるほどの全身は、金属のように頑丈そうな光沢のあるウロコに覆われている。背中からは、そんな巨体を包み込むくらいに大きく、分厚い翼が生えている。きっとさっきの突風は、その翼から巻き起こされたのだろう。
それだけでも、対峙した者に恐怖を与えるには十分過ぎる。しかもそれに加えて屈強な四肢の先には鋭い爪があり、人間くらいなら簡単に丸のみにできそうなくらいの大きな口からは、ノコギリのようなギザギザの牙までのぞかせているのだ。
「う、うそ……でしょ? な、な、な……何で、こんなところに……」
アレサの後ろに隠れていたウィリアは、あまりの絶望に、がっくりと膝を落としてしまう。
例えるなら、森で大きな熊と出会ったときのような。あるいは、海で人食いザメと出会ったときのような。
ドラゴンと出会うということは、この世界ではそれらと同じくらいにショッキングな出来事だった。
「ウィリア、大丈夫よ! 貴女は絶対に傷付けさせないわ!」
しかしアレサは、そんな上級モンスターとのエンカウントにも、まるでひるんだ様子はなかった。
彼女はこの状況を打破するために、冷静に現状を考察し始める。
(確か……この公園を少し奥に行くと、モンスターたちの巣がある「迷いの森」や「魔の山」があったはず。きっとこの子も、そのあたりからひょっこり降りてきてしまったんでしょうね。人里とモンスターたちの居住区の境界地点じゃあ、そんなに珍しいことじゃないわ。
だけど分からないのは……この子、どうしてこんなに凶暴化してるの? ドラゴンなんて、人間なんかよりずっと知能が高い種族のはずでしょ? これじゃまるで、ただの暴れ馬同然で……)
しかしそこで、アレサの考察は中断を余儀なくされた。
「ちょ、ちょっとっ⁉」
牙の生えたドラゴンの口の中に、何も燃えるものなどないのに真っ赤な炎が現れ、どんどん大きくなっていたのだ。
それは、
「バ、バカあなた! 何考えてるのよっ⁉ こっちに向けてそんな魔法を使ったら、どうなるか分からないの⁉」
火属性のエネルギーを風属性のエネルギーに乗せて放つ
その魔法を使えるようになって間もない初心者の場合、飛距離は一メートルにも満たず、命中したときの火力もせいぜい小さな火傷をつくる程度。しかし、火属性と風属性を極めた高レベル魔法使いの放つそれは、地上から遥か彼方にそびえる山の頂上まで到達し、その山を円形にえぐりとる。下手をすると、そのまま地面を溶かして地形を変えてしまうほどだと言われているのだ。
さすがに目の前のモンスターがそこまでの魔法の使い手と考えるのは、悲観的過ぎるかもしれない。だが、比較的知性と魔力が高いと言われているドラゴン族の火球が、初心者級ということもあり得ない。
直撃すればただでは済まないのはもちろん。仮に避けることができたとしても、標的を外れた火球はそのまま高台の公園から見下ろせる城下街に降り注ぎ、街を火の海にしてしまうだろう。どれだけ楽観的に考えても、数十人レベルの死傷者が出るのは避けられない。
アレサが心配したのは、それだった。
「わたくしの声が、聞こえないのっ⁉ や、やめなさいっ! やめなさいってばっ!」
火の塊はあっという間にドラゴンの口いっぱいの大きさに膨らんで、いつ放たれてもおかしくない状態になった。
アレサも貴族令嬢ならば、ある程度の防御魔法くらいは
とすれば、もはや残された選択肢は一つ。
(やるしか、ないのね……)
苦い顔で下唇を噛みながら、腰のサヤに刺さっている「武器」に手をかけるアレサ。恐怖のせいなのか、その手はかすかに震えている。
しかし、それよりも何十倍も大きく体を震わせているウィリアを背中に感じている以上、もう迷ってはいられない。アレサはその「武器」を握りしめ、勢いよくサヤから引き抜こうとした。
そのとき……。
「あー、すんません。ここは俺が何とかするンで、下がっててください」
突然そんな、緊張感のない声が聞こえてきた。
「え?」
アレサは、声のしたほうを振り向く。しかしその「声の主」はそれよりも早くアレサの前を通り過ぎ、ドラゴンの目の前に立ちはだかった。
「こんな、か弱い女の子たちを襲うとか……ったく、ろくでもねーモンスターだな!」
それは、農民がよく着るような薄手の布の服を着た、アレサたちと同い年くらいの少年だった。
「これでもくらえっ、『
彼がそう言った途端、その右手から灰色の雲が現れ、ドラゴンの口を覆いつくす。
「グアァァ…………! ……!」
それは、周辺の音を奪い取ってしまう魔法だった。
この世界では、魔法を使用するのには、対応する呪文を唱える必要がある。魔法の技術が熟練すればするほどその呪文の長さは短くなり、完全に極めたときには、その魔法の名前を叫ぶだけで行使できるようにもなったりもする。しかし、それでも完全に無詠唱で魔法を使うことは絶対にできない。魔法を使うには必ず、人間ならば人間の言葉で、ドラゴンならばドラゴンの言葉で、呪文を唱えなければいけないのだった。
だから、かけられた者の音を奪う沈黙の魔法は、今まさにドラゴンが使おうとしていた火球の魔法を封じる、最善の手だったのだ。
「へへーん。これでもう、余計なことはできねーだろ? あとは……こいつ結構『魔法防御』がたけーみたいだから、とどめは物理攻撃で……って俺、武器なんて持ってないじゃん!」
そんな、わけの分からないことを言いながら、目を細めて周囲を見回す少年。ふと、アレサの持っている「武器」に目を止める。
「お。あんたのソレ、なかなか頑丈そうじゃん?」
そして、素早くアレサのもとにやってきて、その「武器」をサヤごと奪いとってしまった。
「ちょ、ちょっと⁉」
「一瞬、借りるよ!」
そう言って、すぐにドラゴンの方に駆け出す。
「な、何するのよっ⁉ それは、あなたなんかが扱えるような代物じゃあ……」
「大丈夫、大丈夫」
雲の魔法を受けて混乱しているらしいドラゴンに、向かって行く少年。その表情にはアレサたちのような緊迫感はなく、余裕そのものだ。
「『
風属性の魔法を使い、空中で何回かジャンプをして加速する。そして十分にドラゴンに近づいたところで、アレサから奪ったその「武器」をサヤから抜き、剣道の上段の構えで大きく振りかぶった。しかし、
「うわ、なんだこりゃ⁉ 剣じゃないじゃん!?」
そこで、サヤの中に入っていたのが普通の武器ではなかったことに気付き、彼は初めてうろたえた。
アレサが持っていた「武器」は、刃をもたない長さ一メートル程度の、細長い金属の棒だったのだ。
「だ、だから言ったでしょうが! それは、適切な修行を積まなければ扱うことのできない特別な道具なのよ! わ、分かったなら早く、こっちに戻ってらっしゃい!」
しかし彼は、すぐに落ち着きを取り戻し、アレサの忠告を無視する。
「……ま、よーするに先端がとがってないレイピアみたいなもんでしょ?」
そして、剣道からフェンシングのような構えに変更して、そのままドラゴンに向かっていった。
「ちょっとっ! あ、あなたねっ……!」
空中浮遊でドラゴンの大きな顔の前に飛び出す少年。
「おまえの弱点は……眉間だ! くらえぇぇぇーっ!」
次の瞬間、その言葉の通り両目の真ん中の眉間に、アレサの円柱棒を思いっきり突き立てた。
「グギャァァァァアーッ!」
ひときわ大きな叫び声をあげて、ドラゴンは激しくブンブンと頭を振る。
しかし、やがて……。
ズゥゥゥ……ン。
力を失い、その場にぐったりと倒れてしまった。
「ふう……」
ドラゴンの上で、軽く背伸びをする少年。彼にとっては、今のドラゴン退治なんて大したことではなかったらしい。
「あ、コレどーもでした。……つーかあんた、変わった武器使ってるンすね?」
そう言って、さっきアレサから無理矢理借りた金属棒を返す。
「う、うるさいわねっ! ほっときなさいよっ!」
アレサはそれを、乱暴に奪い返す。
「というか、あなた! 何考えてるのよっ⁉ 突然現れたかと思ったら、こんなことして……非常識にも程があるわよっ!」
チラリと、倒れているドラゴンに目をやる。どうやら気絶しているだけらしく、大きな体がかすかに動いているのが分かった。今にも意識を取り戻してふたたび襲いかかってきそうな気がして、アレサはブルブルっと体を震わせた。
「無事だから良かったものの……もしものことがあったら、どうするつもりでしたのよっ! 全く、バカなことを……!」
ものすごい剣幕でまくし立てるアレサに対して、少年の方はあくまでも余裕ぶっている。
「まあまあ、勝ったンだからいいじゃないっすかー?」
「良くないわよっ! 全然良くないわよっ! あなたね、こんなことをして……」
「あ、あの!」
そこで、アレサの背後からウィリアが歩みでてきた。
「あ、ありがとうございました! 助けて、くれて……」
「へ……?」
突然のことに、間抜けな声を出してしまうアレサ。
「あ、あー。別に、全然大したことしてないんで。気にしないでください」
「……お強いんですね」
「ウィ、ウィリア……?」
アレサは、ウィリアがぽうっと頬を赤くしていることに気付いてしまう。
「じゃ、俺はこの辺で……」
「ま、待ってください!」
その少年のもとまで駆けていき、その手をつかむウィリア。
「も、もしよかったら……お名前を、聞いてもいいですか?」
「え? あ、全然いーっすよ。別に名乗るほどの名前じゃないっすけど。俺、
「な、なばた……」
「あー、言いにくかったら、トモって呼んでください。両親も学校の友だちも、そー呼ぶんで!」
そう言いながら、ビシッと親指を立てて笑顔を見せるトモ。その仕草は、絵に描いたような爽やかな好青年だ。
「ちょ、ちょっとウィリア! なんでこんなやつの名前なんか、聞いてるのよ⁉」アレサはウィリアの肩を持って、彼女を無理矢理自分に振り向かせる。「こんなやつ、かかわり合いにならないほうが……」
「トモ……くん」
「え、え、え……? な、なんなの、その言い方……。それに、そのうっとりするような目は……」
「ね、アレサちゃん……」
ウィリアは視線をトモのほうに向けたまま、上の空で話す。
「前に……『あたしは今、好きな人はいない』って言ったけどさ…………出来たかも」
「え……」
「好きな人……やっと、出来たかもしれない」
「な、な、な……」
そのときウィリアがアレサに見せた顔は……。
どこからどうみても明らかなくらい、まごうことなき、「恋する乙女」の表情だった。
「な、な、な…………なんでこうなるのよぉーっ!」
その、ドラゴンにも負けないくらいのアレサの絶叫は、夜の公園に高らかに響き渡った。
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