念動力



 一面に広がる”緑の絨毯”。青々と茂る草原がどこまでも続く場所は限りなく広く、異世界の自然の雄大さを実感させた。


 地面を踏み鳴らすと草がくしゃりとつぶれる感触が上履き越しに伝わる。教室の冷たい床と比べて踏み心地の良い大地には開放感すら覚えた。


 視線を下から前に向けると……なにもない。建造物はもちろん、さきほど見せられた木々や山々に囲まれたキャンプ場のような場所と比べて遮るモノすらないこの場所では、大海原で表現する地平線が見えてしまうほどだ。


 青い空と緑の草原の境界線を目にして、俺は思わずつぶやいた――


「……なん、だよ……これ……」


 目の前のありえない景色に対して、ひねり出せた言葉はこれだけ。他のクラスメイトも唖然としてる。


 ありえない。本当に、何もない緑の草原が目の前で広がり続けている。あたりを見回しても、あの村を囲んでいた山々や森が続いていない。


 ふいにクラスメイトの誰かが悲鳴を上げた。


「み、みんなっ。あ、あれ!」


 普段は真面目で落ち着きのあるクラス委員長が指を指したところを見て、俺たちが先ほどまでいた場所はしっかりと”存在”していたことに気付いた。


 山は確かにそこにあったのだ。天高くそびえ立ちながら、山はその姿を真っ二つに割れた状態で存在していたのだ。


 まるで果物をナイフで切ったみたいに断面図を晒し、さながらあの村が演劇をするための舞台のために存在する書き割れ。自然物である山が、不自然な異物として存在している事に異世界の異様さが筆舌尽くしがたい恐怖を抱かせる。


 これはなんだ、いったいなんなんだ。俺たちはどこへ呼ばれてきたんだ。


 俺と同じように疑問を抱いたクラスメイトが、あの女を問い詰めようとしたがもう遅かった。


 いない、どこにもいない……!


「みなさん、お待たせしました。これより、魔物たちがこちらに向かってきます。みなさまの力を持って、にっくきあの怪物たちを退けてくださいませ」

「ちょ、ちょっと待ってください! まってっ!!」


 島崎の疑問に答えることなく、その場でデパートのアナウンスのように金髪の女の声が響いた。


「し、島崎。お前の言うようにテンプレってモンがあるならここからどうなるんだ!?」

「しらな、しらないっ! ステータスプレート以外、こんなのテンプレにはないよ! そもそも異世界転移であれ転生であれ、呼ばれるのは大抵、中世ヨーロッパ風なんだよ!? こんなっ、ボクに言われたって!」


 頼みの綱と思われていた島崎が半べそで頭を掻きむしっている。ああ、そうだ俺だってパニクリたいくらいだ。


 あの女は魔物が来ると言っていた。敵が来るなら力を持った俺たちで退ければいいのだろうが、そもそも力とやらの使い方なんて聞いてないのに戦えだなんて無茶だ!

 

「た、たのむっ! おれ達を元の世界に帰してくれよぉ!」

「やだやだっ! 死にたくない、さっきの村の中に入れてぇ!!」


 大半の生徒も取り乱し初める。村の方へと戻ろうとする者たちは断面図を晒している山の方へと向かって走っていくが、何もない場所で弾かれたようにしりもちをついた。


 ……よく見ればさっきはなかった薄い膜のようなものがぼんやりと見える。生徒の一人が指先で軽く突いた途端、バチっという音と共に強く弾かれた。


 逃げられない。あの女はとんでもないことに、何の関係もない俺たち一般高校生にぶっつけ本番で戦わせようとしている!


 何もない草原がとても怖く見える。遮る事のない地平線が見えるこの場で、いまにも敵が来るのだ。こんな、隠れることもできない場所で!


「……な、なぁ……地面揺れてね……」

「足音が……聞こえる……! なにかこっちに来てるんじゃ……!」


 不変と思われていた草原に異常を感じられた。ブルブルと足の芯に伝わる振動。命の危機に関わる事象が近づいてきている。


「……島崎っ、本当に、ほんっっっとーに! 何もないのか!? こういう時の異世界テンプレで、役に立つことって本当にないのかっ!?」

「あ、わばばばばばっ……」

「頼むっ、思い出してくれ! ……そうだプレート! このステータスプレートで俺たちは何ができるんだ!?」

「……あっ! す、スキル! 職業! みんなっ、ステータスプレートを確認して!」


 半ば錯乱状態だった生徒たちの生存本能が働き始めたのだろう。すがれる藁を感じ取り、手早くステータスプレートを取り出し始めた。


 変わらず薄いガラスのように見えるこれには変わらず俺たちのレベルが表示されている。よく見れば攻撃力やら防御力やらのほかにもう一つの項目が表示されている。これがスキル……


【念動波】


 攻撃力、防御力と書かれている中、次に表示されていたのがこれだった。


 これだ……これだけだった。島崎が言っていたスキルだとか職業なんてものはなく、本当にこれしかない。


「……なんだこれ。念動波って……なんだこれ……」

「え、えと、つまりサイコキネシスみたいな感じだと思うんだけど……え、本当にこれだけ……?」


 頼みの綱が藁へと変わってもすがれば答えが出ると思っていた。なのに、出てきたのはあなたたちはサイコキネシスが使えますとか言う、謎の解説だけ。


 ……地が揺れる、空気が震える、心臓を掴むような唸り声が平原に響く。


 まず最初に地面から”腕”が生えた。現れたのは白とも黒とも言い難い肌色の五十本の指が生えている右手。触手のようにうねつく指の群生が蠢かせて、多関節をポキポキと鳴き声のように唸らせる。


 次に出たのは”頭”だった。面長の顔に左右上下の瞳を赤々と輝かせ、中心の五つの鼻の穴からふしゅぅふしゅぅと鼻息を荒くさせ、下顎に生えたベリーショートの髪が華麗に揺らめかせて毛先の目玉がぎょろぎょろと生徒全員を睨みつけた。


 最後は”足”だった。ベリーショートから生えた四本の足には骨がないのだろうか。出てきたばかりのそれらを支えることなく、金髪の女性が言っていたであろう魔物らしき怪物は力なくその場で横たわった。


「……ぁ、ぁぇ……?」


 ここまでマヌケな声もそうそう出せないだろうと思う。


 出てきたのは五十本ほどの指を頭部から生やしながら骨のない四本足で横たわる魔物と思われる物体。ぐねぐねと蠢く”それ”は、現実でもなじみがある人間のパーツを子供の悪魔的発想によってばらばらにして組み替えたかのようなでたらめじみた怪物。


 俺はこんな怪物しらない。島崎に備わっている中世ファンタジーに疎い俺でも、こんなやつが中世ファンタジー世界に登場する怪物じゃないのは理解できた。出てたらコワイ。


 ……クラスメイトの女子の一人が泣きながら吐いている。うん、そうだよな。考えたら俺ら昼休憩の後だし、こんなもん見せられたら脳の許容量がパンクするよな。


「俺、知らなかったよ。同世代じゃこういうのが人気なんだな」

「ち、違う違う違う違うっ! これボクの知ってる異世界テンプレじゃないよ!?」

「ああ、やっぱり……」


 確認を取ってみたがやはり違うようだ。よかった、現代人の感性はもっとしっかりしていると証明された。俺たちの身の安全はまだ保証されてないが。


 もはや目の前の事象を現実として受け止めることが出来ない。さながら人体に寄生した蛆虫のごとく睨みつけてくるベリーショートの瞳がぎょろぎょろと不規則に動くたびにこれは授業中に寝落ちした夢ではないかと思い始める。


 女子は薄笑いでよだれを出しながら眺め、男子は泣きながら帰って宿題しなきゃと呟き始めてる。俺もできればそっちに行きたかった。仲間外れは酷い。


 この場を冷静に受け止める物もいる。さきほどのクラス委員長が一人一人をビンタして「早く逃げてっ!」と伝えてるが彼らには逃げる意思が全く感じられない。 


 ならば、敵からすれば俺たちはどうするだろう。


 逃げもしない抵抗もしない。皿の上に盛られたご馳走と変わらない。


 その身を横たわらせた”魔物”は指を駆使して体の向きを俺たちに向けた。怪しく光る赤い四ツ目からライトのように光りだして俺たちに向けられ――


「キャハハハハハっ! 消えちゃえバーカ!!!」


 ――る直前の事だった。異様な物体として存在していた魔物は聞きなれた甲高い声と共にべしゃりとつぶれた。


 鋼鉄のプレス機によって上から圧殺された物体は人間のパーツをしているのに内臓物らしきものや血の一滴すら出さなかった。ただただ白と黒ともいいがたい肌色だった怪物は煉り合せた粘土を引き延ばしたかのような物体へと変わってしまい、声すらあげなくなった。


 戦いに勝った……という事でいいのだろうか。


「ばっかみたーい。サイコ……なんたらが使えるんだったら使えばいいのにほんとビビりしかいないんだねぇー!」


 俺は、声の方を見た。森川は、プレートに表示されていたスキルを見て使用したであろう【念動波】を利用して空に浮いている。自分がスカートを履いていることを忘れたのかと言いたくなるほどに堂々としたその態度と俺に向けてくる目線が「どうだ」とばかりに鼻を鳴らして得意げにしている。


 念じて、力を使う。ただそれだけで使える力だと言うのか。そんなにもシンプルな能力だと言うのか。だからあの金髪の女は何も言わなかったのか……?


 そこで思い出す。そう言えば森川は俺たちの中で優れている者と呼ばれていた。だから力についてすぐに理解できたし、あんなにも手早く戦えたのか……?


 俺が茫然としているところで、大歓声があがった。あれだけ泣いて腰を抜かしていたクラスメイト達は助かった事による安堵で全身から水分を抜いてしまいかねないほどに泣きながら森川に感謝していた。


「あ、ありがとっ! ありがどぉ、もりがわぁ!」

「森川さん、助けてくれてありがとう!! あなたは命の恩人だわ!!」

「森川―! 陰口いったりしてごめんなー!!」

「おれ、本当はお前の事尊敬してたんだよー!」


 けらけらと笑いながらご満悦の表情を浮かべる。命からがら助けてくれたことによる感謝の念、自分に対してどこまでも信じようとしてくれる者たちの信奉、強大な力を手に入れたことによる充足感……いま、彼女の内側はどれだけのモノで満たされてるのだろうか。


 かくいう俺は何もせず立ち尽くしたまんまだ。ここに来た時と状況は全く変わらない。


 島崎のほうも無言で森川を見つめてるし、こいつがさんざんっぱら言っていたチートとやらを目にして何も言えない状態のようだ。もうテンプレがどーとかで騒げるほどの力も残っていないらしい。


「キャハハハハ! みんなー、アタシのいう事を聞くんだったらまず低レベルの子をイジメちゃダメだよー? あんなんでもアタシたちのクラスメイトなんだからねー! キャハハハハ!!」


 クルクルと空を飛び回りながら森川は高笑いを続ける。自身の力を実感しながら、ときおりちらちらとこちらを見てくる。


 この時、俺は気づいたのだ。命がけの状況の中、俺たちの命は実質アイツが手に握っていることに。


 帰れるか分からない、生きていけるか分からない異世界で俺はただただ立ち尽くした。


 

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