なにもない村
声を揃えて「かわいそうだね」とみんなが言う。でも、俺はそう思わなかった。
父親の稼ぎはあまりいい方ではなく、入って来る収入では安いぼろアパートで”俺を含めた家族二人”で暮らすのがギリギリだったのだ。着る物のだいたいは父親の古いおさがり、食べる物は親せきや知り合いや近所の人たちから分けてもらえる夕飯のあまりもの。友達がゲーム機だスマホだなんだと言っている中で、俺の家でそんなものを迎えるような余裕はなかった。
そう、余裕なんてない。そんな余裕のない家だからこそ母さんは若い男とどこかへと出て行ってしまった。先の暮らしを支えられない男であることに情愛よりも打算が働いたのだろう。この世には金で買えない愛があると誰がかいっても、それを実行できる人間はわずかだ。
「ん、あぁ……もういくのか」
「ごめん父さん。起こした?」
「いや、いい……気をつけてな」
畳の上に質素な敷布団。いつの時代の部屋だろうと思うようなかび臭い空間の中、布団を川の字のように並べながら俺たち親子は生活している。ほかにあるのはたたんでしまえるテーブルに座布団、キッチン、テレビ。こんだけ。
学習机なんてものはない。夕飯時には食事に使うテーブルは深夜近くになれば俺の宿題用テーブルへと変貌する。小学校のときからずっとだから長い付き合いだ。
テレビを除いて、娯楽なんてものは中古本屋で買った流行が去っていったラノベ系やテレビですっかり取り上げられなくなったミステリ小説くらいだ。元の持ち主の使用感が手に伝わって来るが、不快感はない。
布団をたたみ、隅に置いておく。この布団もだいぶ虫食いが酷くなっている。今度のバイトのお金で防虫グッズでも買ってみようかな。
「それじゃあ父さん。行ってくるよ」
「あ、あぁ……いってらっしゃい」
この人は昨日も夜遅くにまで働き、身を粉にしてまで働いてくれたのだ。つやのない肌、暗く沈んだ瞳、やつれた顔の皮をむりにひっぱって笑顔にしたような力のない表情。
昨日も激務だったのだろう。それでも、体を起こして迎えてくれることに俺も何も問わず「いってきます」と返しておく。残りの時間は明日のためにやすための時間なのだ。養ってもらう立場の俺では何も言わない事こそが”してあげられること”だ。
※
「なぁ、オレたちどうなるんだろうなぁ……」
「家に帰りたいよ……」
「やっべえ、わくわくが止まんねぇ。マジでゲームみたいなことってあるんだ……!」
「ねぇねぇ、ステータスってことは戦えばレベルアップするのかな!?」
ふと、数日前の事を思い出していた。たった数日の前の事なのに、異世界転移とかいうハプニングを挟んだことでだいぶ遠い過去のように思えてしまう。現実逃避をしている間に他のクラスメイト達はいろいろと話し合ってる。
父さんはどうしているだろうか。今の俺たちはまだこの世界に来てから一時間も経っていない。そんな短時間では捜索願やら警察などの話には発展していないだろう。地球の方で俺たちを探そうと行動してくれる人はまだいないはずだ。出来るかどうかはともかく。
……意識を現実に切り替えて、向き合う。いまだ石のドームとも形容できる【召喚の間】では例の金髪の女性が最後の一人を確認してから退出した後。
【召喚の間】から出る際「こちらが出ていいと言うまで中で待機していてください」と言い残したのだ。
さすがにその言いつけを破ってここから出る者はいない。見知らぬ土地に連れ来られた以上、好奇心よりも恐怖心が勝る。例の女性が来るまでに、俺は一人のクラスメイトに話しかけることにした。
「……なぁ、島崎。ちょっといいか」
「はぇ……あ、す、砂山くんかぁ。なにかな」
こいつは島崎(しまざき)。ふくよかな体型とアニメ関係のグッズを集めていることを隠そうともしない分かりやすいオタク系男子だ。
島崎と知り合ったのは昼休みに図書室でなんどか顔を合わせる機会が多かったからだ。たまたま俺が返却しようと思っていた世界史の漫画が島崎が借りたい本だと知って、そこから関係が出来た。なんでも有名イラストレーターが担当しているから見ておきたかったんだとかなんとか。
そんなことがあって昼休みでは顔を合わせて話し合うほどの交流があるから、俺も見知らぬ場所で気安く話しかけられるのだが、今一番聞きたいのはこいつが漏らした単語の数々に俺は気になった。
「お前、さっきチートだとかなんだとか騒いでなかったか?」
「あ、あー……うん。まぁ、ね。へへっ」
ぽってりとした指で鼻をこすり、島崎の顔が得意げににやけている。
「ねぇ、砂山くんは”異世界クラス転移”って知ってるかな」
「……いや知らん。まったくもって知らん」
単語から連想すれば外国で出版された、十五前後の少年たちが漂流する友情の冒険小説くらいしかギリギリ思い浮かばない。
どうも俺にはあまり聞きなれない単語のようだ。先ほどの答えを聞いてからの島崎は待ってましたとばかりに説明をし始めた。
「ある日突然、クラスごとまったく別の異世界へと召喚されたクラスメイト達が、呼ばれた異世界で勇者としてのチート能力を持って無双する物語……とまぁ、だいたいの大筋はこんな感じだよ。作者によってはそこからいろんな味付けをしたりして、独特の内容になったりするんだ」
「……あ、ちょっと待て。俺もしかしたらしってるかも。たしか本屋のほうに転生系小説コーナーとか……」
「そう、それ……て言っても、異世界クラス転移はそういった転生系小説のうちの一つのジャンルなんだ。もしも地球に帰れたらボクのおススメを紹介するね。へへ」
ぽちゃぽちゃと笑いあげるところに余裕の色が見て取れる。こいつからすれば自分が考えていた妄想や空想物のシチュエーションが現実として起こっているのだ。
なにより、以前から娯楽として吸収していた知識が現実になった事、実践できるかもしれないという期待、他のクラスメイト達よりも優位に立てると言う優越感がこいつを喜ばせているのかもしれない。
けれど、気持ちは分からなくもない。言ってしまえば、自分の夢想が形になったようなものだ。俺も生活が楽になったらなと思って現実になったらきっと喜び舞い上がるに違いない。
……それに知識があるということは島崎が優位に立てるだけでなく、俺たちクラスメイトが助かる可能性が跳ね上がることに繋がる。これは重要視すべきだろう。
「キャハハハハハっ! まぁ、なにが来たってアタシがぜーんぶ倒しちゃうわよっ!」
「ほ、ほんとう!?」
「森川さんっ! お願いだから守って……!」
……近くでは森川が自分の力の証であるステータスプレートをひけらかして得意げに触れ回っている。ちらちらとこちらに視線を向けてくるが、俺は知らない関与しない。
「……まぁ、うん。チート関係はあっちに持ってかれてるけどボクは、ほら、知識があるから……」
それに対してこっちは自信なさげなのがちょっとコワイ。いやお前に自信がなくなったらこっちも不安になるんだけど……
「――みなさま、お待たせしました」
【召喚の間】へと戻って来た彼女が軽く頭を下げて、手先で外へ出るにしぐさする。
クラスメイト達は外へ出るようにして並んだ。石のドーム状をしている【召喚の間】の出入り口はソコソコ細い。横幅がヒト二人分ほどの広さではあるモノの三十人前後のクラスメイトが出ようとすれば詰まる。
俺たちの方ではあらかじめ、クラス内の出席番号順に並んだ。番号は五十音順で”す”の俺と”し”の島崎はそこそこ前の方。
「ふふっ、ここからボクのチーレム物語が始まるのだ……っ!」
「ポジティブだなぁ、お前……」
もはやその優越ぶりに羨ましさを覚える。そのポジティブっぷり、分けてほしい。
暗い通路を進む。じめじめとした意思の通路内ではしめっている空気を感じるが、不思議と不快感はない。他のクラスメイト達がいる事とこの世界における知識を事前に持っていた知り合いがいるから気持ち軽めなのもある。
……二分か三分はかからず、外からの光が見えてくる。出入り口に近い先頭のほうから声が上がる。
外へ出た。
「……あれっ?」
「……おー……」
外へ出た時、最初に足に感じられたのは草を踏みしめる音。何も遮らない光が上空から降り注ぎ、思わず手で遮る。
そこにあったのは”自然だった”どこまでも広がる草原の中に幾つか点在する【召喚の間】より小さい石のドーム、近くには森がうっそうと茂り側には川が流れている。周りを見れば山が見える。
大自然の中、とてものどかな風が流れる場所。言ってしまえばちょっとしたキャンプ場に見えた。
……これが異世界。 これが異世界ファンタジー。
俺は目の前の光景が現実でもあり得そうという印象を抱いたから他に何も考えようがない。他のクラスメイト達もキャンプ場めいたこの場所を見て、どうすればいいんだろうと言った顔で周りをきょろきょろとみているが、とにかく先頭を歩く金髪の女性についていくしかない。
さぁ、ここはどういった場所なのだろうか。この世界において”知識”というアドンバンテージを得た島崎に聞いてみる事にしよう。
「……あるぇー? なんか違うぞぉ……」
俺の不安が一気に加速した。
まて、ちょっと待て。お前さっきまでの得意げな顔はどうした。この世界を楽しんで見せるぜみたいなツラをしてたくせに借りた猫のように大人しくなるのやめてくれ。
「……知らないのか。その、お前の知識をもってしても」
「う、うん。これちょっとボクの読んだ作品にはない場所だ。ふつうは中世ヨーロッパ風のファンタジー世界にふさわしい、お城とか宮殿とかに呼ばれるはずなのにここは……どう見ても”村”だ。世界の危機とか人類存亡だがを語るにはちょっとこれは……」
……なら、どういう事なのだろうか。俺たちを呼び出したあの女性は魔物たちによって世界の危機を迎えていると言っていた。そんな呼び出された場所がへんぴな村であることはおかしい……と、島崎はそう言いたいのだろうか。
ただ呼ばれた場所が村だという事実はまだいい。
だが、この村と呼べる”なにか”はヒトの気配が全く感じられないのだ。外で遊ぶ子供は? 働いている大人たちは? 山の中であれば牧畜……もっと言えばウマや牛は?
実態が、状況が読めない。先頭に続いて歩いているうちに、俺たちはいつのまにか先ほどの村らしき場所からどんどん外れて言っていき、俺たちはいつの間にか森の中へと突入している。
開放的な外でありながら、生き物がいないと言うだけで不気味な静寂さが重くのしかかる。整備もされていない森の中、木々をの間を分けて歩くには学校用の上履きではきつすぎる。
「……なぁ、島崎。気づいてるか」
「う、うん。村でもそうだけどこの森……”虫の羽音”が全く聞こえない……」
暗くもないのに、暗く感じられる。木の切れ端を踏み抜くパキリとした音、時おり漏れる枝のこすれ合う音、風が吹き抜ける音……
なのに、先ほどからまったく生物の声が聞こえない……感じられない。あえて聞こえる物をあげるとすれば、そろそろ歩くことがきつくなってきたクラスメイトの荒い息づかいくらいだ。時おり、いつになったら着くのとこぼしている。
あの村でも、この森の中でも、俺たちはいまだにこの金髪の女性以外の生きている”モノ”に出会えてない。
こんなことがあり得るのだろうか。このような不思議空間も”異世界”という言葉で片づけられるほど、異世界とは世の不条理や不思議さを片付けてしまえるほどの便利ワードだとでもいうのだろうか。
……途中、この森の中では自然に出ないであろうモノを目にした。
(……”柵”?)
木々の間に柵が立てかけられている。列を作って歩いている右側にある事に気づき、反対の方にも目を向けると同じようなモノがある。そのどちらもややカーブを描いているように見える。さっきの柵と合わせると円を描くみたいに……まるで村の内側に向けられているそれは、村を閉じ込めているみたいに……
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