とびきりの恐怖を
ヘイ
とびきりの恐怖を
アスファルトの地面に白と黒に近い灰色が順に敷かれたそれを人は気にするべくもなく歩いていた。
駅近くのそこは巨大建造物が立ち並び、多くの店があった。
緑に点灯する信号を一度は見上げていた人々は、すぐに正面に目を移したり、自分の腕を見たりと信号に集まる視線は疎らになった。
駅近くの一際大きなビルに付けられた電光掲示板に映し出されたCMはアイドルのCDに関するものだった。
若々しい、とは言っても彼よりは年上だ。少なくとも二十代を超えているはずだ。
「おっと……」
背中を人の波に押されるように感じて、彼も横断歩道を渡る。
彼が横断歩道を渡り終えて、暫く歩くと、ここ最近駅の近くに出来たマンションを近くを通ろうとすると、警察官が集まっている。
「何があったんだ?」
人通りが多くて、それを見るために立ち止まったのは彼だけではない。
「近づかないでください!」
男性警官の一人が騒ぐ民衆たちを必死に抑える。カメラで撮影をしようとする彼らは好奇心に駆られているのだろう。
そこら中からパシャパシャと写真を撮る音が響く。そこを通り過ぎていく女子高生や、スーツを着たサラリーマンは、それを他人事のように眺めている。
ブルーシートをかけられたそこに警察官が集まった、人一人ほどの膨らみが確認できた。
「どうかしてるな……」
この光景はテレビドラマでしか見たことはなかったが、彼は現実にそれを目にしてそう吐き捨てた。
日常とかけ離れた何かを、刺激を求めていた民衆は、人の死をエンターテインメントと考えている節があるのではないだろうか。
どんな人が、どんな理由で飛び降りるに至ったのかを彼は知らない。
「はあ……」
そんな彼も、きっとそこらの民衆とは変わらない。人の死に理由を求めて、その答えを知りたがる。
「ねえ……」
そんな声が聞こえて、彼は振り返る。
声は女性のものだった。
そこに居たのはを黒色のTシャツを着た女性。髪は短く切り揃えられていて、一言で綺麗だと言えるような見た目をしている。
端正な顔立ちの女性に話しかけられて、緊張してしまった彼は思わず一歩、身体を後ろ引いた。
「えっと、どうかしたかしら?」
不安げに彼女は彼を見上げて、そう尋ねた。
「あ、いや、えっと。どうしたんですか?」
視線は一点に集中しない。
女性の胸は豊満で、そこに視線を集中させることは躊躇われる。
「あ、知り合いだと思ったの」
「知り合い、ですか?」
「
「えっと、誰ですか?」
彼女の方は、彼を、天笠を知っているようであったが、天笠には彼女が誰だかわからない。
「忘れたの?」
「えっと、ははは……」
「ちょっと、こういう場所で話すのもなんだからね……」
そう言って彼女は眉を潜めて、天笠の袖を引っ張って歩き出した。
「え、ちょっと……!」
とりあえず、と彼らは事故のあったマンションを離れたところで話し始める。
「あの、結局、誰なんですか?」
天笠がそう聞くと、彼女は少しだけ呆然としたような顔をしてから、クスリと笑って答えた。
「ほら、昔一緒に遊んだじゃない。隣の家の
「葵さん? え、葵さん!?」
驚いた。
天笠は何故か二度も彼女の名前を呼び、それに応えるように星宮はにこりと笑う。
「てことで、改めて久しぶりね、あーちゃん」
「ちょ、その呼び方やめて……」
「あーちゃんはあーちゃんよ」
揶揄うように笑う星宮を見て、天笠は思い出した。
昔もこうやって揶揄われていたのだと。
「久しぶりにあったら、あーちゃんで遊びたいなぁ」
「俺で、じゃないでしょ。俺と、なら分かるけど……」
「あ、ごめん。間違えちゃった」
謝罪のつもりはないのだろう。
舌を出して、ウインクをしながら言ったのだから。
そのふざけた態度も懐かしい。
「葵さんは、社会人?」
「うん、そうだよ。ほら、大人の色気ってやつ?」
「四捨五入して三十ね……」
星宮の年齢は二十五歳の筈だ。それも天笠の記憶が正しければだが。
「まだ二十五よ!」
「へえー」
「そういう、アンタは大学生ね……」
「そうだよ……」
「どこの大学?」
「近くの」
簡潔に答えれば、彼女はクスクスと笑った。
「てことは○○大学でしょ。また、私の後輩だ」
「ああ、そうだったんだ」
「ま、そんな事よりほら、遊びに行きましょ」
「どこに行くの?」
「良いから行くぞー!」
そう言って天笠の腕を掴んで星宮はズンズンと歩き出した。
まるで、会うことができなかった数年間を埋めていくように天笠を連れ回して、大笑いを繰り返した。
ご飯はその辺で適当に買って、ゲームセンター、本屋、服屋。大した買い物もしない筈なのに、いろいろな場所を回った。
出不精の天笠にとっては、それは新鮮さを感じるようなものだった。
今回、外に出たのは近くのコンビニで昼食を買うつもりだったのに、知り合いとの再会から普段、行かないような場所にまで来てしまった。
日はすっかりと暮れて、その場所はそれでも都会だからか、未だ明るいままだ。
「凄いよね、こんな時間、こんな日まで働いている人がいるのって」
時刻は夜九時を回る。
月が昇り、星々は夜空に煌く。
「都会ほどブラックなんだね」
そう言って彼女は苦笑いを浮かべる。
「どうだった今日は?」
天笠にそう尋ねる。
「疲れた」
溜息を吐きながら天笠が答えれば、変わらずに笑ってるだけだ。
「そう? 楽しかったとかは?」
「……楽しかったよ」
フイと天笠が星宮から視線をズラすと、ニマニマと意地の悪いような顔をする。
「へぇー、ふーん」
「何、その顔……」
揶揄われるような気がして、彼の精神は防御態勢に入る。
「いや、私も楽しかったな、って」
そう息を吐きながら、本心を語る。
全てから解放されて、まるで仮面を被るのをやめたかの様に見える。
ステージを降りた役者の様に彼女は見えた。
「どうするの、葵さん」
天笠は既に歩きっぱなしで足が限界で、今すぐにでも家に帰ってベッドに身体を投げ出して眠りについてしまいたかった。
「うーん、あ、じゃあさ」
星宮は天笠に近づいて、
「家まで手を繋いで帰ろうよ」
優しく手を包み込んだ。
ひんやりとしたその手を、天笠は仕方なしに握り返して歩き始めた。
「あれー、素直だね。あーちゃん」
ニヤニヤと。
いや、星宮の顔はどこか寂しげに見えた。
「偶には、素直になった方がいいかなって……」
「嬉しいなぁ。……素直なあーちゃんは珍しい」
「俺は素直だよ……」
二人は恋人には見えなかった。
恋人繋ぎではないし、それに彼らは恋人という関係よりも姉弟に見えるだろう。
今まで歩いた道を戻っているわけではない。だから知った場所に出ることで、ようやく帰ってきた様な気がする。
「葵さん、どこまで付いてくるの?」
「あーちゃんの家まで」
とびきりの笑顔を浮かべながら、星宮は言った。ただ、天笠もそれを断るつもりはなかった。
「ところでさ、あーちゃん」
「うん?」
「お姉ちゃんって呼んでくれないの?」
「……はぁ、お姉ちゃん。これで満足か?」
嫌そうな顔をしながら天笠がそう言うと、カラカラと笑う。
「あはは、愛が足りてないなー!」
そう言いながら、星宮は人差し指を立てる。もう一回やれと言うことだろう。
「お姉ちゃん……」
「…………」
星宮は無言だった。
ただ、その空気に耐えられなくて天笠が切り出した。
「なんか言えよ!」
「……あっ、いや、まさか言ってくれるなんてね」
天笠は顔を赤くして、横に向けた。
「はあ、もう俺、家に着くよ」
「そっか」
感慨深げに彼女は呟いた。
「ありがとね」
「何がだよ……」
「私に付き合ってくれて」
「どういたしまして」
そう応えると、星宮は笑う。
天笠は背中に彼女は一言。
ーーじゃあね。
と、告げた。
それにも天笠は返答しようと振り返ると、そこには誰も居なかった。
後日、天笠は星宮が死亡したと言う話を人伝に聞いた。
とびきりの恐怖を ヘイ @Hei767
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