Youthful Days.

 にわか雨が通り過ぎていった音がした。

 僕は急いで妹のアモルを呼んで自転車の荷台に乗せると、この世界を覆う大樹の隙間へと全力で漕いで走っていく。見渡すと、電燈の灯りよりも強烈な光が遥か頭上に敷き詰められた六角形の隙間へと降り注いでいる……。僕たちはその光が差す根本へと、錆びついたオンボロをキィキィと響かせながら急いでいくのだ。


「ねえ、ノドス。この果実って見たことある?」

「……いや、初めて見たな。こんな赤々とした実が育つ木はこの川辺にも無かったはず」

「もしかして、天上人さまの恵みだったりして」

「噂だと20年前の統一祭の後にそういう恵みがよく落ちてたらしいけど……アモル、今日はツイてるかもな!」

 誰かの齧った跡が付いた赤い果実を妹はポケットに詰めて、太陽光が差す川辺の浅瀬を再びうろうろと探し歩く。僕たちは期待に胸を膨らませ、穏やかな水面に反射する一筋の空を掻き分けながら、雨と共にまだ何か売れるものが落ちていないか探し始めるのだった。

 ――この世界の雨は川の上にしか降らず、木漏れ日もまた川の上にしか降り注がない。

 天を衝くように高く、高く伸びた大樹の枝葉は全て一様に六角形に育ち、巨木が立ち並ぶその隙間から集約された雨が滝のように流れ落ちてくる。逆説的に、その真下には当然のごとく川が生まれ、草木が萌え、動物が喉を潤し、僕たち人間もいつでも神殿を見上げられるよう街を築くのである。いつか必ず訪れる『導きの日』が自分にも来ますようにと毎日、祈りをかかさず捧げているのだ。


「……思ったほど鉄クズは拾えなかったなあ」

「しょうがないよ、ノドス。大樹の葉に何も引っかかってなかったんでしょ」

「それもそうか」

 ガシャガシャと麻袋の中身が歩くたびに鳴っている。雨に流されて落ちてくるこの黒い鉄クズはカネになるのだ。神殿が出資している金物屋に持ち込むと、なかなかの金額で売れる。どうやら、太陽光を吸って魔力を蓄える不思議な性質を持っているらしいが、そもそも太陽光の差さないこの大地ではただの鉄クズである。なので、川辺までの距離さえ考えなければ小遣い稼ぎにはもってこいの作業なのだった。

「はあ、流石に金属以外は買い取ってくれなかったね」

「赤い果実なんて誰も見たことないもんな。一応、過去の文献には載ってるようだけど、そういう大切な資料はほとんど神殿の保管だし……」

「じゃあ、別にいいじゃん。これは私たちの秘密ってことで! というか、天上人さまが普段食べてるもの気になるし、新鮮なうちに味見してみようよ!」

「秘密なのはいいけど、その……大丈夫かな」

「大丈夫よ。きっと『導きの日』が決まったノドスへの神様からの餞別だろうし、そうじゃなくても私たちの――特別で大切な思い出になるんだから!」

 アモルは鼻息荒くそう主張した。まるで根拠ない身勝手な主張だけど胸を張る彼女を見て、そんな倫理観など馬鹿馬鹿しくなってしまう。そして僕たちは笑い合った。悪戯な笑みでニヤニヤ笑ったあと、そんなお互いの表情を見てゲラゲラと声を上げて。

「甘いね! お菓子とかまた違う甘みがある!」

「うん、瑞々しい食感とさっぱりした果実の甘さだ。これは美味しいな」

 赤い果実の皮を丁寧に剥いて、天上人さまが齧った跡も避けて、残りを半分こにして分け合った。僕は愛すべき彼女の満面の笑顔を見れたことこそが神様からの恵みのような、そんな気がした。


*****


 人間は弱い。

 人間は大地で生きる牛、豚、鶏、羊あたりを神様のために飼ってなんとか生きているに過ぎない。そんな人類が今まで繁栄してこれたのは神様の寵愛があってこそだろう。神殿から一定量渡される一日分の栄養が詰まったブロック状のクッキーを食べれば餓死することは最低限ないし、健康に成長したら神様の御下へと奉公に行くことが許可されるのだ。

 つまりその日こそが『導きの日』というわけである。

 生まれてから15年も経った僕はとっくに立派な大人だし、今までに多くの女と子を授かった。今、僕が生きる時代では男も女も誰かが互いを占有することはしない。何故なら人間は皆、神様の愛によって守られているので殺し合うことも飢えることもなくなったのだから。――ちなみに、僕とアモルは同じ母から生まれたが、もちろん父は違う男である。だから、僕もアモルもそれぞれの人間と子を何人も授かり、街全体で子を育てている最中なのだ。

「N地区からはノドス含めて、60人が選ばれたんだね」

「ああ、誇らしいよ。明日が楽しみだ」

「嬉しいけど、やっぱりちょっとさみしいな……もっとノドスと一緒に居たかったかも」

 僕たちは街外れにある草原の丘で二人寄り添って、静かに夜を眺めていた。

 夜は世界がさらに暗くなって、大樹から生えている電燈も数を減らし、まるで一筋の空に浮かんだ星々を演出しているかのようだった。アモルはそっと僕の肩に頭を乗せる。そんな愛おしい仕草に思わず僕は甘い痛みで胸が苦しくなってしまう。そして、そうなるのが自然かのように彼女をもっと強く抱き寄せて誰にも知られてはいけない禁忌の――くちづけを交わした。

「ノドス、大好きよ」

「僕もだ。本当はアモルも連れていけたら、って何度神様に願ったかわからない」

「兄妹として生まれてこなければ良かったのに……」

「でも、兄妹だからアモルを守ってこれたんだ」

「……ままならないね」

「そうだな。人生はままならないよ」

 今まで肌を重ねたどの女よりもアモルとは心が通じ合い、愛で強く繋がっていた。だけど、それ故に僕たちは決して恋人と悟られてはいけない渇いたキスを交わし合っている。僕とアモルは欠陥品で、きっとどこか壊れてしまっているのだろう。だからこそ、普通の人間を演じ続けなくてはいけなかった。互いが互いの代用品として誰かと子を成し、それを知るたびに平気な顔をしながら、胸の痛みに疼きながら、本当の想いを隠しながら、血の繋がりという絆を日々少しずつ呪うのだ。

「でも、大丈夫さ。アモルだって2年後には『導きの日』が訪れるだろう? きっと向こうでまた会えるよ」

「ノドスは私のことずっと憶えててくれる?」

「当たり前だ。絶対に忘れたりなんかしない」

 僕は彼女の手を握る。華奢で僅かに体温の低いアモルの手の平に僕の体温がじんわりと広がっていくのを感じた。それと同時に、彼女との愛をカタチとして残せない悔しさが蓋をしたはずの奥底から止めどなく湧き出してきてしまう。その衝動のまま、彼女の手をぎゅっと強く乱暴に握ってしまい、「痛いよ」という一言で、我に返った僕は独善的な思いに心が塗り潰されていることを恥じた。

 そして、ハッと気付く。報われない愛ならば、最後くらい勝手したって神様も目をつぶってくださるだろう、と。


「――なあ、アモル」

「なあに?」

「僕はアモルを忘れない。忘れたくない。いつでもアモルとの愛を感じていたい。だから、僕の腕に名前を彫りたいんだ」

「タトゥー入れるの? でも、もう明日だし……それに名前じゃバレちゃうよ」

 僅かに嬉しい顔を覗かせて、途端に悲しみをこらえているような影の多い笑顔を取り繕うアモル。これから僕は今まで15年間生きてきて一番イカレたことを告げようと思う。静かに深呼吸をして、言葉を紡いでいく。

「別に見栄えなんかいらないんだ。だから……いつも持ち歩いてるこのナイフで充分さ」

 腰に差してあるナイフを抜き取り、夜空にかざしてみる。鈍い輝きを放つ銀色が頭上の電燈を反射させて光っている。使い古しではあるが、毎日研いでいるので割りと切れ味は良いに違いない。

「馬鹿ね、ノドスって大馬鹿よ。でも、嬉しい。私たちの愛は――本物だったのね」

 涙を拭うアモル。今、このときだけは兄妹なんて関係ない。愛し合う一組のつがいでしかないのだ。

「最後くらい馬鹿でいたっていいだろう。アモル、愛してる。神様に誓ってもいい」

「私も……じゃあ、向こうで逢っても絶対に私だってわかるように個人識別番号にしない? 暗号っぽくて誰にも悟られないでしょ?」

「それはいい考えかもな! ええと、僕のナンバーはN地区の172番だから」

「妹の私は、N173! もし、ノドスが私を忘れてもそのナンバーを私が探し出して、また呆れるほど抱き締めてキスしてやるんだから!」

 僕たちはひとしきり笑って、日常が押し殺してきた素直な心を互いに見せ付けあっていた。

 それから、僕は研ぎ澄まされたナイフを自分の腕に押し当て幾度も、幾度も、幾度も、傷を付けていく。肌を裂いていく冷たい熱さも、僕に流れている赤い血の痛みも、アモルをただ想うことでそれすら愛おしさに変わるのだ。そして、僕以上に歯を食いしばりながら泣かないよう、腕から滴り落ちる血を袖口で拭う彼女の、その仕草がなんだかとてもセクシーだと感じてしまった。


「――これでどうだろう?」

「いいと思う。ちゃんと文字になってる。でも、心臓に悪いからこれっきりにしてね!」

「すまん、わかった。ナイフだから直線でしか刻み込めなかったけど、まあ読めるか」

「それ、ノドスはN173って読めるけど、私からは逆さまの文字でELINって読んじゃうかも」

「それはそれで暗号っぽいけどな」

 僕たちは顔を見合わせてまた笑い合う。二人で何か他愛の無い会話をしていることがもうすでに楽しくて仕方がなかった。明日の別れさえも忘れてしまえるほどに。


*****


 明くる日。

「それじゃあ、行ってくる! 元気でな、アモル」

「ノドスも元気で。神様に粗相して愛想尽かされないでよ?」

 そうして僕たちは家の中で人知れずそっと抱擁をした。甘美な愛おしい時間だった。嬉しい日と悲しい日が同時に訪れたことの涙をおそらく一生分流し合ったと思う。そして、最後のキスをした。――けれど、やっぱり最後も渇いたキスだった。

 ひとしきり別れを惜しんだ後、僕は晴れやかに凪いだ気持ちで扉を開ける。しばらく歩くと、六角形の大樹と大樹の隙間にひとつだけぽっかりと大きく青空が開けた場所がある。そこが神殿だ。シンプルな円錐形をした恐ろしいほどに神聖で美しいデザインである。

 巨大で真っ白い神殿の入り口には、大きく『統一祭350周年まで――残り30年』と掲示されていた。僕は未だ見ぬ未来の華やかな祝祭を想像し、神様の偉大さに改めて畏怖し、願わくば腕に刻んだN173も許してくださるよう、膝を折り神様に祈りを捧げた。

 心の奥、魂の底から一点の曇りもない深い祈りを僕は再度、神様に捧げたのだった。


〈了〉


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導きの日 不可逆性FIG @FigmentR

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