導きの日

不可逆性FIG

It's a Wonderful World.

 ぱらぱらと、通り雨が降り出してきた。

 遮るもののない青空から透明な雨粒が太陽光を乱反射させながら雨が上がる数分の間、美しい虹のプリズムが次々に生まれては砕け散っていく、そんな光景を僕は鼻歌を僅かに響かせながら、じっと窓から眺めていた。たまに神様はこうして世界を美しい芸術に包み込んでいく。――あらかじめプログラムされた気象情報そのままに。


「はー、ついに明日は『導きの日』かあ……ノドスにも神様から通知きた?」

「エリンと僕は同い年なんだから、そりゃ通知は来たよ」

 雨上がりの道を僕とエリンは並んで歩いていた。今年20歳を迎えるにあたって、僕たちは人生最大のイベントを目の前に控えているのである。

「私たちまだ20歳の子供なのにね。まだ旧人類が長命種じゃない頃の慣習を未だに使い続けてるのって変な感じ」

「まあ、平均寿命が240歳の僕ら人間からしたらだいぶ早いかもね。でも、すぐに結婚するわけじゃないんだから、早くに相手を知れるのは別に悪いことじゃないと思うけど」

 むう、と何か言いたげに頬を膨らませて僕を小突くエリン。肩まで伸ばした栗色の髪が歩くたびにふわりと揺れている。まだまだ大人の女性のように魅力的ではないけれど、それでも彼女の容姿は整っていて美しく可憐だった。

 僕たちが暮らす空に浮かんだ群島には『導きの日』という行事がある。20歳になると将来の結婚相手を神様が選定し、その相手との顔合わせを行う特別な祭日なのだ。

「ノドスだって、初めて会う女の子にいきなり歴史や社会の硬い話しちゃダメだからね?」

「うっ、それは……そうなの?」

「当たり前でしょ。初対面でそんな話をする人なんか居ないもの。まずは相手を褒めるところから会話に繋げるの!」

 まるで先生にでもなったように、彼女は指を立てて講釈を垂れる。

 一応、僕だって結婚やら恋愛やらどういうものか調べたことはあるのだ。小説、映画、音楽、色々な媒体で表現している愛。そいつを知って大きく成長したり、大人になれたり、ひねりのない歌で想いを届けたり……調べるほどによくわからなくなってしまう。僕も運命の人に出逢えたなら、何か――わかるのだろうか。

 等間隔に植えられた街路樹の道を僕たちは歩く。雨上がりの空はどこまでも透明に澄み渡っていて、神様がデザインされた美しい景色を胸いっぱいに吸い込み、今はそんな答えの見えない気持ちは考えないことにした。


*****


 僕たち人間の住む世界は空に浮遊している。

 ここは神様が全てをいちから作り上げた理想郷なのだそうだ。細かいことはよくわからないけど、科学技術の粋を結集させて街ひとつ分の島を永続的に安定して浮遊させているらしい。僕たちを統治する神様は恐ろしいくらいテクノロジーに精通している。何故なら、その神様こそが全能のAIなのだから。

「――帰り道とはいえ、よく毎日飽きずに空ばかり見てられるよね。楽しい?」

「楽しいかって言われると難しいなあ。なんていうか、毎日変わっていくこの風景が好きなんだ。上にも下にも雲が流れていて、遥か下の地上にはソーラーパネルがハニカム構造状に敷き詰められている。その全ての電力が点在する円錐形の白い塔に集約され、テスラシステムによってこの空の群島に供給されているんだ。天気が良いと、肉眼でも白い発電所が見えることがあるんだよ」

「……スイッチが入るとすぐに語り出す癖、私だから許してるんだからね」

 はあ、と小さくため息を吐きながら、僕の隣で同じように柵に腕を置くエリン。鳥籠のように高い柵が伸びた浮遊島にある見晴らしヶ丘で、空と地面とを隔てる手摺りに身体を預けながら少しずつ変化していく風景を眺めるのが僕の日課だった。というか、何故か彼女も文句を言いつつ、ほぼ毎日一緒に眺めているのだけど。

「ああ、ごめんって。見晴らしヶ丘の景色と僕の好きなものをエリンにも好きになってほしくて、つい語っちゃうのかも」

「な、なにそれ、ばっかみたい……」

 妙に言葉を詰まらせつつ、彼女はそっぽを向いてしまう。自分の好きなものを押し付けるのはマズかったかなあ、と少し反省。幼馴染みとして20年来の付き合いだけど、未だにわからないことだらけで迷惑をかけている僕である。『導きの日』で出会う初めての誰かにも、同じように迷惑をかけてしまうのだろうか。もし、そうであったならエリンのように理解できずとも隣りに居てくれるような人であってほしいな、と僕は密かに思った。


「――ノドスってさ、いつか大地まで行ってみたいとか考えたことある?」

「大地かあ……興味はあるけど、ソーラーパネルの下の世界は僕ら人間のための牧場があるだけらしいし、そのうちでいいやって感じかな」

 この世界のことは歴史の授業で習っている。有象無象の旧人類が溢れていた時代に、新しい統治者として名乗りを上げたAIが世界の在り方をアップグレードし、神様の両手ですくえる分だけの人類を浮遊島に移住させたことが新時代の始まりであるらしい。その後の大地でのことはあまり詳しく書かれておらず、浮遊島の歴史にフォーカスされた教科書だった。

「牛、豚、鶏、羊……それと『獣』あたりが管理されて放牧されてるんだっけ」

「そうそう。だいたいは食用だったりするんだけど、『獣』だけは新たに神様がデザインされた動物で、エネルギーの塊みたいな生き物だから発電所で利用するために作られたんだよね」

「不思議な生き物よね。燃料として使われるためだけに生きているなんて」

「食物連鎖なんて差異はあれど、そんなもんだろう?」

 それもそっか、とさして興味もなさげに彼女は呟く。

 僕だって大地のことはよく知らない。『獣』のことだって人間にとっての使いみちを知っているだけで姿かたち、鳴き声、生態なんかまるで知らないのだ。ああ、15年くらいの短命種だってことは知っているか。陽の当たらないハニカム構造のパネルの下でどんな放牧がされているのだろうか――世界には知らないことがいっぱいあるのだ。

「ねえ、エリン。一応聞くけど、大地の情報や『獣』についての情報が50歳になったら解禁されるけど興味ある?」

「あと30年後でしょ? その頃は情報解禁じゃなくて『統一祭』で街中それどころじゃないよ、きっと」

 それもそっか、と今度は僕が適当に呟く。

 そういえば、統一祭が控えているんだった。よくもまあ、そんな先のことまで覚えてるなあ、とつい関心してしまう。

 統一祭。

 半世紀ごとに開催されるこの世界の一大イベントで、世界各国の浮遊島の住民がオンラインで繋がり、それぞれの異文化に触れ合って、神様に愛された種族であることを喜び合う祝祭らしい。

「統一祭400周年かあ。どんな雰囲気なんだろうね」

「ノドスと同い年の私にそれ訊く? まあ、一番盛り上がるんじゃない?」

「350周年生まれはツイてないよなあ……」

 僕たちは眼下に流れる薄雲を眺めながら、示し合わせたようにため息を同時に吐いた。帰路であったため、いつの間にか太陽は暮れかけていて影が長く伸ばされていた。茜色になりかけの空気が世界を満たそうとしている、淡く儚い時間だった。


*****


「――ねえ、ノドス。私ね、今日ほど明日が不安な日は初めて、かもしれない」

「そんなに『導きの日』って緊張する? 顔合わせするだけでしょ。まあ、僕も少し緊張するけどさ」

「そうだけどっ! でも、そういうことじゃなくて……もぉーっ!」

 エリンが僕の肩を柔らかく叩く。見晴らしヶ丘を離れ、再び帰り道を歩いている僕たち。あたりは夜の気配が濃くなって青紫の星明りが瞬く空の下、街灯が行く先を照らし続けている。

「ノドスがこんなにニブいとは思わなかった! 明日、私が誰か知らない運命の人と恋人になってもノドスはなんとも思わないの?」

「僕は……ううん、神様が決めたことだから、良いことなんだと思う。たぶん……」

「私はそんなの嫌。ノドスが誰か知らない運命の人と勝手に仲良くなるのは、なんかむかつく!」

 そんな理不尽な、と思わなくもないが、確かに僕もそういう気持ちが無いわけでは無い。エリンが知らない誰かと愛を育んでいく。神様が決めたパートナーだから間違いはないのだろうけど、それでも少しモヤモヤするのだ、胸の奥が。

 気付けば、彼女の吸い込まれそうな大粒の瞳が僕をじっと捉えていた。吐き出された彼女の強い感情に何か応えようと、言葉を探しているうちにさらにその先の言葉を紡がれてしまう。それは僕に芽生えたばかりの不定形な気持ちを、この瞬間で結晶化させてしまうほどの恐ろしく甘美な言霊だった。

「だからさ、お互いの誰かよりも先に――キスとか、経験してみたい、かも」

 まるで世界中の音が、ぴぃんと止まったかのような錯覚が僕を包み込む。その言葉の意味は、意味だけは知っている。僕はおどけて、「冗談はやめてよ」と言おうと一度は背けた顔をもう一度エリンに向き直すと、目の前には今にも泣き出しそうなほど紅潮した顔の真剣な眼差しが僕をひたすらに射抜いていた。

 彼女はどこまでも本気なのだ、と今更に思い知る。そして、僕もまだ子供だけど男だ。小さく深呼吸をして鼓動の早鐘をひた隠しながら、華奢な彼女の手の平をそっと握った。

「ありがとう。僕も最初はエリンにしたかった……んだと思う」

「もっと早く気付けっての!」

 そうして街灯と街灯の灯りの隙間で、僕たちは静かにおずおずと唇を重ね合った。初めてのキスだった。永遠にも似た刹那の感触だった。想像してた倍くらい人間の唇は温かくて、心の奥が柔らかい何かで満たされていった。そして離れた瞬間、何故かはわからないがずっと昔から彼女の唇を知っていたような、そんな切なくて不思議な感覚に僕は気付くのだった。

「……ま、またね!」

 言うは早いが、彼女は脱兎の如く駆け出していく。きっと恥ずかしさが爆発している顔を見られたくないのだろう。宵闇に独り残された僕は、そっと自分の指を唇に沿わせる。――『導きの日』が明日に迫ってきているというのに。


*****


 『導きの日』の当日は、深い青に澄み切った晴天だった。

 神様から通知を受け取り、記載されていた集合場所へと向かう。そこは離れ小島の群れのひとつだった。自動走行の飛空艇に揺られ、少しの間ぼんやりと空を眺める。眼下に見えたのは、ハニカム構造のソーラーパネルと、棘のように突き出た円錐形の発電所が雲間からうっすらと。――やっぱり今日は天気が良い。

 そうこうしてるうちに目的地に到着した僕は飛空艇を空の彼方へ見送ると、見渡す限り喧騒の存在しない青空とそよ風と草原だけの離島で静かに深呼吸をした。足元から一直線に伸びた石畳の道の先にぽつんと大きな林檎の木が根を張っている。おそらくそこに運命の相手がいるのだろう。僕は柄にもなく多少の緊張で喉を鳴らしてしまった。何故なら、すでに木陰には僕を待つ誰かが佇んでいたのだから。


「あの、はじめまして……『導きの日』で待ち合わせてる人ですよね?」

 初対面の女の子に話しかけるのは、やはり慣れない。ましてや運命の相手など。もっと第一印象は明るく話しかけたほうが良かっただろうか……。相手が振り向くまでの短い間で僕は何度も第一声を後悔してしまう。

「えっ!? うそ……うそでしょ!?」

 驚愕と困惑の色を混ぜたような声音で、なんだか見覚えのある後ろ姿がぐるりと振り向く。僕は目の前の光景が信じられなくて、言葉を失ってしまった。運命の相手として神様に巡り合わせて頂いたのは、林檎を手にして目一杯おめかしをして綺麗に着飾った栗色の髪の女の子――エリンだった。


「なーんか朝早く起きてノドスのために頑張ってた自分が馬鹿みたい」

「ははは、僕も緊張して損したかも」

「……じゃあ、とりあえず出逢えたってことでお互いの名前を『導きの日』の相手として登録申請しちゃおうよ」

「そうだね、じゃあ手の甲のデバイスを起動させて――握手すればいいだよね?」

「うん、それで大丈夫」

 今まで当たり前のように触れ合っていた彼女の手なのに、不思議と躊躇してしまう気恥ずかしさを感じる。それでも、なんとか平常心を演じて登録する数秒間の握手をし終えた。

 向かい合った僕たちの真ん中に、ピコンと画面が空中に表示される。どうやら、登録申請が終わったらしい。名前の欄に僕の『NODUS』、そして彼女の『ELIN』が表記されている。ああ、そういえばエリンはそう綴るんだったな――と思い出していると、目の前の彼女が不安そうな表情でふと僕にこう問いかけるのだった。


「ねえ、どうしてノドスは泣いているの?」


 僕は自分の頬に触れる。何故か指先が濡れていて、一筋の涙が頬に流れていることにまったく気付いていなかった。

「え……」

 何故かはわからないけど、エリンが僕の運命の相手であることが流れ続ける涙もそのままに心の奥底でパズルのピースが綺麗に嵌ったみたいにそう確信している。それはまるで許されざる想いへの後悔を歌うように、儚い願いのままくすぶっていた魂が歌うように、忘れかけていた愛する誰かのために誓った優しい歌のように、エリンがただ――恋しくて、胸が潰れそうなほど愛おしかった。

「そうか、僕は……君が好きだ。ずっと前からエリンが好きだったんだ」

「いきなり告白? まあ、私もノドスのこと……嫌いじゃないよ」

 その愛の言葉に、僕は衝動的にエリンを抱き締めてしまった。そしてそのまま、流れに身を任せたまま彼女と2回目のキスをする。動揺したエリンの手から零れ落ちた林檎が風にのって転がり、島の端から空の遥か彼方まで落ちて飛ばされてしまったことにも気付かないほど、何度も、何度も――。


「なんだかずっと昔からエリンとこうなるのが運命だったような気がする」

「馬鹿みたいって言いたいところだけど、なんだか私もそんな気がするから不思議よね」

 僕がエリンの名を、彼女がノドスの名を呼び合うたびに涙が溢れていった。お互いに理解出来ないまま、ずっと隠し持っていたであろう幸福な気持ちがただただ大きな愛情となって相手を想う心を鮮やかに彩っていった。

 僕たちは神様と『導きの日』に最大級の感謝を抱く。ずっと二人で、いつも二人で居られるようにと未来を誓いながら林檎の木の真下で、手を組み祈りを捧げ、そんな束の間の永遠が僕たちだけの世界をそっと包み込んでいた。


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