第3話

 冬峰ふゆみね 柚子ゆずはあらゆる面で格別だった。

 親族こそ貧乏なシングルマザーしか頼れる者がしかいなかったが、容姿も、勉学も、運動も、芸術センスも、全てを兼ね備え生きていた。

 勉学だけは唯一彼女と渡り合える存在、そして登下校で使うバスが同じ、私の家庭もシングルマザーだったことの共通点が私と彼女を自然と繋いでいた。

 しかし彼女の才能は私なんぞとは比肩してはならず、学生の身分で一つのビジネスを成功させていた。一般人をインフルエンサーと錯覚させ広告塔にするビジネスを、誰よりも早く行っていたのだ。

「いい感じの企業から誘われてるの。柳、私どうしたらいいかな」

 平凡な同級生や私が高校から先の進路に悩む放課後、柚子は次元の違う悩みを私に打ち明けた。

「本社が海外にあるから……飛行機乗って行ったり来たりしなくちゃいけないみたいなの」

「……すごいね、大企業の商社マンみたい。お給料もいいんでしょ」

 彼女以外の知り合いがこんなことを言えば、冗句だと受け取ったに違いない。しかし柚子には、信用に足る能力と実績がある。

「それもあるけど……ほら、将来的に海外移住したらメリットもたくさんあるし」

「どんな?」

「例えばこの本社がある州だったら、女同士でも結婚ができる」

「……ふぅん」

「私さ、女の子が好きなんだよね。あっ、子ってこともないのか。女性が好き」

「そうなんだ。通りでプロデュースが上手いわけだよ」

 柚子が私に、並々ならぬ好意を寄せていることには既に気づいていた。彼女が二人きりで遊ぶのは私だけだし、不自然な誘いでヌードデッサンのモデルになったこともあるし、せがまれて裸の写真も何枚か提供している。

「……ねぇ、わかってるでしょ柳。これ、告白だよ?」

「私も、柚子のことは好きだよ」

「キスできる?」

「……柚子がもっと成功したらね」

「……わかった」

 わかっていた。柚子は私に否定してほしかったんだ。

 行くなと、平凡だけど幸せな日常を私と生きよう、そう言ってほしかったんだ。だけど私は怖かった。

 才能を独占することが。真に平凡な自分が、彼女の隣を歩き続けることが。

「断る理由なんてないでしょ、柚子なら大丈夫だよ。私もサポートするから」

「本当に? まだ一緒にいてくれる? ずっと一緒にいてくれる?」

「うん。私にできることしかできないけどね」

 それから三年、私は柚子の奴隷として生きた。大学には行かず日本とアメリカを行き来してビジネスの勉強と実践を同時に行い、日に日に忙殺され、やつれていく彼女をもっとも近くで眺め、食事を作り、抱き、食器を投げられ、土下座し、謝られ、慰め、やがて心は完全に、彼女に支配されていた。

 荒れ狂うWEBマーケティング黎明期を生きるには柚子は若過ぎたし、それを支える私もまた、幼過ぎた。

「もういい」

 そしてその日はあまりに突然訪れた。

「愛されたかっただけなのに。私だけのものになってほしかっただけなのに。柳は私を悪魔でも見るみたいに憐れむよね」

 いつものように窒息で意識を落とし、柚子の腕枕の中で目を覚ますと、彼女はいつになく泣きじゃくりながら言葉を紡ぐ。

「柳の言う成功のラインってどこ、いつになったら愛してくれるの」

 柚子は左腕も使って抱きしめ、痩せて頼りない胸で私の頭を包んだ。

「柳が甘い声を出す度、甘えさせてくれる度、その瞬間に殺したくなる。幸せをパッケージして心臓の奥に仕舞い込んでしまいたくなる」

 その声は涙で湿っていて、憎悪と、そして紛れもない愛で構成されていた。夜が明けるまでひたすらに吐き続けたその言葉は、私の心臓と脳に染み付いている。

「またね。どうせ二度と会わないなんてできないから……サヨナラなんて、言ってあげない」

 日が昇ればいつもの支配者然とした彼女に戻り、ジャケットを羽織りながら柚子はそう言うと、最低限の会話もせずに玄関を出て、本格的に海外を拠点に仕事を始めた。

 支配者を失った私は生きる意味を亡くし、日々の記録として使っていたブログを金に変え、なんとか生きていた。いつかまた、彼女が私を必要としてくれることを、どこか期待して。

 しかし私には支配者ではなく、対等に愛し合う、平凡で恋人ができた。平凡な日常を手に入れたのだ。

 それなのに――。

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