第4話

 よし、ほっぺをつねっても痛くない。いつもの通学路なのに私以外の誰もいない。空気は澄んでいて、身体は浮遊でもしているかのように心地いい。完全に夢の中。まさに夢見心地だ。

 はぁ~やばい。ドキドキしてきた。夢の中なのに。来るんだ、来るぞ~甘々なアリアたんが!

「だーれだ!」

「ひゃっ」

 音もなく私の背後にいたらしいアリアが、その白魚の如きお手手様で私の瞼を抑えた。

「だ、だれかな~? わかんにゃいな~!」

 あぁっぁぁあああぁ……さっそく最高なんですけど? いきなりクライマックスなんですけれども?

 柔らかくて、ちょっとヒンヤリしてて、鼻孔から全身に幸せが駆け巡る香りがして……。

「ほんと~? 明希ったらほんとに鈍感だねぇ~」

 はわわわわわ。アリアさん? アリア様? そんなに身体をくっつけたらその……お胸様が……私の夢の中では既に国宝に指定されているお胸様がぁ……私の背中に……!!

「ごめんなさいギブギブ! わかりましたアリアたんです! もうっダメだよそんなことしたら!」

「なんで? 夢なんだから何してもいいじゃん」

「それは……そうなんだけど……」

 私から離れたアリアは、この夢でしか見られない悪戯な笑みを浮かべて隣に並んだ。

「おはよっ、明希」

「おはよう……アリア、あんまり私の心臓をいじめないでね?」

「ふふふ、起きてる私をいじめる鈍感な明希が悪いんだよ?」

「? それはどういう」意味? と、聞こうとして。

 アリアしか入らないはずの視界の端に、第三者が写り込んでいることに気がつく。

「あっ、もう来てる」

「来てる?」

 疑問符ばかりが浮かぶ私と、余裕綽々なアリアとが何気なく歩を進める先で、彼女は風に吹かれて佇んでいた。

 やがて近づく私達に彼女も気付くと、瞳を大きく開けて小さく絞り出された声が聞こえる。

「明希様……?」

「や、弥生ちゃん?」

 緊張した面持ちが印象深いその少女は、私のことを好きだと言ってくれた水崎弥生ちゃんだった。


 ×


「これは……えっと……どういうこと?」

 とりあえずと思い弥生ちゃんの元へ辿り着いたものの、よくわからない状況に場は若干気まずい沈黙。それを打ち破ったのは、昨日の朝と同様、アリアへ強い視線を向けている弥生ちゃん。

「アリア先輩……今日、明希様と近くないですか?」

 怪訝そうに眉を潜めた弥生ちゃんは、現実世界と乖離して柔らかい表情を浮かべ私と腕を組むアリアへ苦言を呈す。

「羨ましい?」

 疑問への答えになってない。

「羨ましいです!!」

 弥生ちゃん……素直過ぎる……。ちょっと……可愛いなって思っちゃった。目の前にアリアがいるのに。いけないいけない。

「ふふ、貴女やっぱり面白いわね」

 私から離れたアリアは、跳ねるように弥生ちゃんへ接近すると、ズイっと身を寄せ続ける。

「私が綿密に敷いていた【明希へのアプローチ禁止令】を振り切ってラブレターを渡すなんて」

「明希様へ告白する勇気もないのに、独占だけしようとする狡い人には……屈しません!」

 な、なにそれ……? ん、ちょっと待って。禁止令だとか告白とか気になるワードはいろいろあるんだけど、その前に……。

「ねぇ、アリアたんはその……今日は弥生ちゃんが来るってわかってたの?」

「そうよ、せっかく勇気を出して行動したのにアレで終わりじゃ可哀想でしょう? だから招待したの」

 私の夢って招待制なの!? っというか私の夢なのに入出者を選別できる権限アリアが持ってるの!? どゆこと!?

「明希様……えっと……私、混乱してるみたいで……」

 そ、そうだよね、一度体験してる私と違って弥生ちゃんは初めてなんだもんね、わけわかんないよね。

「これってあの……夢、なんですよね?」

「夢……だと、思うよ。ほっぺつねってみたら?」

「ホントだ……夢だ……! っということは!」

 急にパァっと表情を輝かせた弥生ちゃんは、小柄な身体でタックルでもかます様に私の腰へ抱きついた。

「アリア先輩の前で! 明希様にこんなことをしても良いというわけですね!」

「わわっ、ちょっと、弥生ちゃん!?」

「良いのよ。だってこれは夢だもの」

 相変わらず余裕な笑みを浮かべながら、私に代わって返答をするアリア。

「えへへ~! いつもクールで大人な対応をしてくださる明希様がこんなに慌てて……こんな一面も素敵過ぎます!」

 スリスリと頬を擦る仕草に小動物的な可愛さを覚えつつも、こちらをジッと見つめているアリアへ謎の罪悪感も覚えてしまう。

「アリア、変なこと聞いてもいい?」

「どうぞ」

「これって……誰の夢?」

 口に出して、本当に変なこと聞いたと思う。だってこれは私が見ている夢だ。私の夢という回答以外ありえない。

「さぁ?」

 しかしアリアたんは明言をしてくれなかった。

「わかってるのは、ここが夢の中だということで、みんなが幸せになれる空間だっていうことだけ」

 冷たい手のひらが私の頬を優しく撫でる。一瞬にして鳥肌が立つほど気持ちが良くて、少し、怖い。

「でももし、これがここにいる全員で共通して見ている夢なのだとしたら……私達だけが美味しい思いをするのは狡いでしょう?」

 つまりアリアたんと甘々なことをするためには……弥生ちゃんに甘々な夢を見せてあげないといけないってこと……?

「明希しゃまぁ~」

 抱きついたままズルズルと下がり、私の太ももに頬ずりをしている弥生ちゃんを見ながら天秤を揺らす。

 ……考えるべくもない。アリアに似たようなことをしても良いというのなら、私も受け入れよう。……というか私もアリアに似たような――こんなだらしない――顔見せてたのか……。やば。もうちょっと自制して……いや――

「アリア、来て?」

「ん。どうしたい?」

 ――そうだ、ここは夢の中。自制なんて無意味。太ももだけじゃ飽き足らず臀部や胸部も弄り始めた彼女が正しいんだ。

 だから――いいよ、弥生ちゃん。この夢でだけ。この夢の中でだけなら、貴女にありったけの甘さで接してあげる。

 そして私も――

「アリアたぁん! 撫で撫でしてぇ!」

「ふふ、よしよし」

 ――たぁっぷり甘やかされちゃおー!

「あぁ! アリア先輩狡いです! 明希様、明希様は私によしよししてください!」

「はいはい。……よしよし……これでいい?」

「えへへぇ……天にも昇る心地です……!」

 私もアリアも弥生ちゃんも、現実世界ではありえない程頬を緩めていて、完成された幸せ空間がここにはある。

『昨日――』

 チリっと脳が痛んで、昨朝のアリアが何かを言いかけて止めたシーンがフラッシュバックした。

 もし、もしも。

 本当にこれが、三人が共通して見ている記憶なのだとしたら……夢が甘い分、現実はとんでもないことになるんじゃ……?

「明希様?」

「明希、どうしたの?」

「っ」

 二人の笑みは、ただ緩んでいるだけじゃない。

 どこか不敵で――まるで何かを見通して、見据えているような――悪戯な笑み。

「……ううん! なんでもない!」

 目覚めた後のことは、目覚めた私に任せよう。三角関係とか修羅場とか、全部、任せた。

 今の私はただ、この甘い夢を享受するだけ――。

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この百合は夢でだけ甘い 燈外町 猶 @Toutoma

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