福添有喜・1

 外は相変わらず暑そうで、記憶は相変わらずぼやけていて、幸廼ちゃんは相変わらず、とても近い。

「…………」

「…………」

 ベッドの上で小説を読む私と、そんな私と手元の小説を交互に眺める幸廼ちゃん。それがここ最近定着してきた、私達のお見舞いスタイルだった。お見舞いというより、なんていうか……模範囚と看守っていう感じがしなくもない。

「有喜、」

 面会時間もそろそろ終わりという頃、一冊読み終え顔を上げた私の手をとって、幸廼ちゃんは小さく口を開いた。

「なあに、幸廼ちゃん」

「明日、会いに来れないかもしれないの。ごめんなさい」

『いやいや、毎日来てくれなくても大丈夫なんだよ?』と言えば、幸廼ちゃんはたぶん怒るので、「どうしたの?」と返してみる。

「三者面談があるの。私の場合は二者面談なんだけど、今まで無視していたら、明日来なかったら実家に電話すると言われてしまって」

 そんなになるまで無視し続けるって……メンタル強い……流石は幸廼ちゃんだ……。

「有喜と会う時間を削ってまで、教師と話すことなんてないのにね」

「進路とかの話でしょ?」

「たぶんね。でも、なんでもいいのよ、進路なんて。進学しようと就職しようと、有喜が隣にいてくれれば、それでいいの」

 手を握る力が強くなった。声音も相俟あいまって、なにかに怯えて掴めるものに縋っているような……そんな印象を受ける。

 私は結構、こういうのに弱いらしい。いつも強気で凛としている幸廼ちゃんが、時々こんなにも無防備に弱さを見せてくると、庇護欲なのか母性なのかがくすぐられてたまらなくなる。

「それに……貴女だって、そろそろ一人の時間が欲しいでしょう?」

「そんなことは……。いつも来てくれてありがとうね、幸廼ちゃん」

 そんなことないよっ! と、すぐに明るく言ってあげられない私……ダメ彼女だな……。変なごまかし方しちゃったし。

「……」

 私の返答にはやはり不満だったのか、幸廼ちゃんはいつもより長く、深く、私と唇を重ねた。

「……」

 何故なんだろう、この行為に慣れ始めている自分に、妙な罪悪感を覚える。

 女同士でこんなことをしているから? 幸廼ちゃんにされてばっかりで自分からしてあげられないから?

 どうして恋人とキスをしているだけなのに、こうも釈然としない思いに苛まれないといけないんだろう。


×


 さて、しかし一人の時間を与えられたところですることは変わらない。

 私が今までに読んできたらしい小説を再びなぞり、遠い記憶から少しずつかき集めていく。

 無理に思い出そうとするとショックで脳がダメージを受け、思わぬ後遺症が残ったり残らなかったりするらしい……恐ろしや……。

 だからゆっくりでいいんだ。私には優しい母もいるし、傍で支えてくれる幸廼ちゃんもいる。

 そんなわけで二人が甲斐甲斐しく揃えてくれた本の山から一冊を手に取ると、高らかなノックが病室に響いた。

 まさか幸廼ちゃん、忠告を無視してまた面談を放棄してしまったんだろうか……と思わず手が止まったけれど、顔を覗かせたのは想像とは違う人物。

「うーきーちゃんっ」

「あっ……お久しぶりです、媛崎先輩」

「久しぶりっ! 怪我、随分良くなったって春江さんから聞いたから来ちゃった」

 その名前は、既にしっかりと記憶されていて。

 だけどその外見は、幸廼ちゃんを連れてきてくれた時に比べるとかなり印象が変わっていた。

 カチューシャなんて付けていなかったし、童顔には大きすぎる黒縁メガネだってなかった。纏っている空気も前はフルーツ系のような気がしたけど今はバニラの甘くて蕩けるような香りで……なんだかすごく……それらのアイテムを装備しただけでガーリーファッションの最先端を行くような可憐さが……でもなんていうのかな、素材の味を隠すような、そんな意図を感じなくもないけど……とりあえず……かっっっっっっわいぃぃいいいいぃぃ……なんじゃこりゃあ……。

「どう、かな? イメチェンしてみたの」

 私があんまりにマジマジ見過ぎてしまったせいだろうか、先輩は頬をほんのりと染めて、上目遣いで尋ねる。反則だ、全部が全部反則だ……!

「か、かわ………………最高です……!」

 幸廼ちゃんという恋人がいる手前、高すぎる評価は抑えようと心掛けるも、その反動なのか紛れもない本音がポロリしてしまう……。

「えへへ、良かったぁ」

「っ……」

 病室に駆け込んできてくれた時や、幸廼ちゃんを連れてきてくれた時とは打って変わってきらめくこの笑顔。

 きっとこの表情こそ、媛崎先輩の真髄なんだろう。室内の温度が二、三度上がったんじゃないかな……。

「最近はどんな本を読んでるの?」

「え、えっとですね……」

 ドギマギと暴れまわる心臓を懸命に鎮めながら、今日まで読んできた本達を手に取り、あらすじやその魅了について私は語り始める。

 理由はわからないけれど、今日は媛崎先輩の瞳を見ても、どこかが痛むことが少ない。

 おかげでこの空間と私の心には、幸福感だけがじんわりと沁み込んでいるような、そんな気がした。

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