木曜日・3

『ごめんね、岡島さんと一緒に帰ることになっちゃった。明日はバイトだよね? また行く前に会えるかな?』

 ペロッ……これはまさか……NTR……?

 不穏なワードが脳裏によぎったものの、先輩への信頼がそれを何処かに葬り去ってくれた。

『はい、いつものところで会いましょう』

 返信を打ち、時間も時間だしそろそろ動くことにした。

 たぶん他の部員は、着替えて帰宅を始めていることだろう。

 コートに戻れば案の定、どこにも誰もいない。しかしポツポツとボールが転がっていたり、ブラシが掛けられていない場所がある。

 そう、私にやれという意味が無言のコートには込められているのだ。まぁやりますけどね。そんくらいしか女子テニス部に貢献できてないし。

「有喜」

 無言で片付けを進めていると、既に制服へと着替えた住良木先輩がやってきた。ちょっと気まずい。

「どうしたんですか?」

「……手伝ってもいい?」

「あ、ありがとうございます」

 ブラシを持ってくると、反対側のコートを掛け始めてくれた住良木先輩。さっきのさっきで急になんだ? 今度は一体何を企んで……?

「有喜、さっきはごめんなさい」

 訝しげに私が見つめていると、こちらを不意に見た住良木先輩と目が合った。

「そ、そうですね。性的指向に関しては超えちゃいけないラインがありますから。気をつけてくださいね」

 何を偉そうにとも自分で思ったけど、ネットを見ていると同胞がささいな言葉や行動で傷ついている投稿を散見する。別に私はそこまで気にしてないけど、将来的に住良木先輩が反感を買わないためにもここはビシッと言っておいた。

「本当に反省しているわ。……とても、悔しかったの」

「媛崎先輩に負けたこと、ですか?」

 まぁ私なんぞにあれだけ情熱的なアプローチをしたということは、とにかく悪夢のような現状を打破したいとのことだったんだろう。

「ええ。媛崎との関係は心地よかったわ。ライバル、だけど確実に私の方が上。どれだけ周りが彼女をもてはやそうとも、テニスでは私が絶対的に上回っていた。……だから昨日負けて……衝撃とか焦りとか……いろいろなものが溢れ出てしまったの」

 はぇ~クールな面持ちの裏ではそんな感じになっていたのか。じゃあお胸様に手を誘導したのも半パニック下での行動だったって……ことに、しておこう。

「酷いことを言ってしまって、最低なことをしてしまって本当にごめんなさい」

 住良木先輩はブラシがけを一時中断し、私の元へ駆け寄って深く頭を下げた。

 と、とても反省していらっしゃる……そしてとてもいい匂いがする……部活終わりなのに……制汗剤のきつい匂いじゃなくてちゃんと甘い香り……どうなってるんだテクノロジーは。

「もう気にしてませんから。顔を上げてください」

「本当?」

「え、ええ」

 くそっ憂いを帯びた表情も綺麗だなおい。どうなってんだ遺伝子情報……!

「そう。……ねぇ、改めてお願いさせて。私にもアドバイスをして欲しいの。強く、なりたいの」

 うぐ……こんな顔面偏差値で殴られると困る……!

「岡島と上手くやれていないんでしょう? 無理してあのグループにいる必要はないわ」

 ……岡島さん、かぁ。大変な子だとは思うけど、別段距離を置きたいとも思わないんだよなぁ。向こうはエンガチョしたい気持ちでいっぱいかもしれないけれど――

「じゃあ、こういうのはどうです?」

 ――けれど私は、どれだけ正論を言われようとも媛崎先輩から離れる気は一切ない。

 だから、

「私が先輩のところに行くんじゃなくて。先輩が私のところに来るんです」

「……えっ?」

 おっ、クールビューティーの困惑顔。これは貴重だぁ。というかまぁ、そんな顔にもなるよね。

「私は媛崎先輩から離れたくありません。先輩は私のアドバイスを受けたい。それなら私達が練習しているコートに住良木先輩が来ればいいんですよ。そして媛崎先輩とラリーでも模擬戦でもしてください。そしたら私はお二方にアドバイスができます」

「……なるほど」

 ふははどうだ妙案だろう。でもこれあれだな、媛崎先輩ちょっと怒りそうだな……説明したらわかってくれるかな。

「でもそしたら、私に今付いている後輩はどうするの?」

「そんなの知りませんよ。先輩が練習の指示を出せばいいんじゃないですか? 私はそこまで責任を負うつもりはありません」

 責任は負えません、が正しいけど。入学して二ヶ月の一年生にそこまで背負わせないでくりゃれい。

「ふふっ、そうね。貴女が正しいわ。代替案をありがとう。……私も少し、考えてみるわ」

「はい。それじゃあ」

「? まだ片付けは終わってないみたいだけど」

「そうですが……いつもなので。ああ安心してください。ちゃんと片付けてコートの鍵も返しておくので……」

 私が話している途中から動き出した先輩。まだ手をつけていないコートへ移動していく。

「見くびらないで。私だって、口説いてる相手には良いところを見せたいって思うのよ」

 散らかっているボールを……住良木先輩がひょいひょいと拾っていく……。エースなのに……制服なのに……というか口説いてるって……言い回しよ……。

「ありがとうございます」

 私も自分の作業をすることにした。

 正直今回の判断が、媛崎先輩にとって最適解かはわからない。だけど、住良木先輩がスキルアップするということは相乗効果できっと媛崎先輩にとってもプラスになる。

 長い目でみればいい判断なはずだ。

 だからこの悪寒は、きっと気のせいだ。

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