木曜日・2

 まず人が訪れることのない校舎のはずれにある非常階段。

 もはやお馴染みといった感じだし、今後もここを利用するのは目に見えてわかる程便利な場所だ。

 そこに、ユニフォーム姿の美少女・媛崎先輩と、ださジャージの私が目を合わせずに座っている。

「えっと……先輩?」

「有喜ちゃん……テニス部、やめちゃおっか」

「だ、だめですよ。急にどうしたんですか?」

「だって……有喜ちゃんがとられちゃう」

「誰に……?」

「住良木」

「……はぁ。いつからあそこにいたんですか?」

 部室のドアに防音性能などあるわけもなく、すぐ近くにいれば会話など丸聞こえだ。先輩の感じからして後半は間違いなく聞かれてるけど……。

「外周が終わった有喜ちゃんにお疲れ様が言いたくて部室に行こうとしたら、住良木が先に入って行ったから……そこから」

「ということは最初ですね」

 ヘンレズだのグループ内で上手く行ってないだのも聞かれてしまったというわけか。

「でも先輩、じゃあ最後まで聞いてくれてましたよね? ちゃんとお断りしましたよ」

「それは……そうなんだけど……」

 言いながら腰に手を回して抱きつこうとする先輩を制止する。せめて着替えさせてください。

「馬鹿にするなって言ってやりました。たぶん向こうも愛想を尽かしたことでしょう」

「うん。聞いてたよ。すごく嬉しかった。私もずっと、有喜ちゃんを馬鹿にするなーって思ってたから」

 ……あぶなかった。もしもあのまま住良木先輩のお胸様を触っていたら、あれ程までには強く出れなかったかもしれない。

 今私にとって一番大切なのは媛崎先輩。

 彼女が嬉しかったのなら、それが最適解だろう。

「有喜ちゃんは部活、嫌じゃない?」

「嫌なわけないじゃないですか。先輩と会えるんですよ?」

「でも……ほら、岡島さんとか、他の子も……有喜ちゃんにいじわるして……」

「あんなもん小六からされてますから慣れっこですよ。というか、あの程度のことで先輩との時間がなくなっちゃう方が嫌です」

「そ、そっか、そっか……えへへ。有喜ちゃんは優しいなぁ」

 さっきまでの涙模様はどこへやら。やっぱり先輩には天真爛漫な天使スマイルがよく似合う。

 いじわる、いたずら、いじめ。たぶんどれも味わってきたけど、現状は比較的マシだ。都会の高校生ともなるといじめなんてくだらないことに時間を割くのは馬鹿げていると気づき始めるのだろうか。田舎の中学生は凄まじかったぞ~。……いや、そんなこともないか、ただ運が悪かっただけ。そして今は、

「……?」

 ただ、運が良いだけ。

 だってこんな可愛い彼女がいるんだもん! しかもちゃんと私のことを思ってくれて……憂いてくれて……。結構丈夫だからもっと安心してくれてもいいんだけどなぁ。

「有喜ちゃん、ぎゅーしたい」

「ダメです。せめて着替えさせてください」

「じゃあチューは?」

 むぅ。なんだよなんだよ。私だってどっちもしたいさ! でも先輩に一瞬でも嫌悪感を抱かれるわけにはいかないの!

「一瞬なら、いいですよ。パッとして、パッと離れてください。鼻で呼吸したらダメですからね? 一瞬ですよ?」

「はぁーい!」

 あら可愛い。お手々を天に掲げお返事をした先輩は、私の頬に手を添えた。ピリッと、心臓が緊張で痛んだ。

「「――」」

 と同時に、鳴り響く私のスマホ。

「で、電話です、ちょっと出ますね」

「いいところだったのに~」

 スマホなんて部室に置いてくれば良かった……。しかも表示されているのは、まぁ、あまりお話したくない人だった。

『ちょっとアンタ! 茜先輩どこやったのよ!』

 岡島さん……。爽やかな茶髪をポニーテールにして、ややつり上がった目尻が特徴的な女の子。媛崎先輩の、大ファン。

「ごめんね、媛崎先輩ちょっと体調崩しちゃったみたいで、今保健室で休んでもらってるの」

『それでなんでアンタまでこんなに戻りが遅いのよ。アンタ茜先輩に変なことしてたら許さないわよ!』

 ごめんなさい、真っ最中でした。

「するわけないじゃん。媛崎先輩が私を相手にすると思う?」

『そりゃあ茜先輩からしたらアンタなんて眼中にないでしょうけど、アンタが無理矢理……いや、ないか。私に言い負かさせれてさっさと外周行くような根性なしに、そんな勇気』

「……私もちょっとお手洗い寄ってたの。すぐ戻るね」

『どうでもいいわよアンタなんて。茜先輩はしばらく保健室にいるの? なら私、荷物とか着替え一式持っていくから』

「たぶんいるんじゃないかな。持っていてあげて」

『ふん、保健室まで連れてったなら普通アンタがこういうところまでするでしょうが。ドベは気が利かなくって嫌になるわね』

「ん、じゃああとはよろしくね」

 ペイっと、通話を切る。あ、危ない危ない、この私が女の子に対して怒りの感情を覚えるところだった……。大丈夫……口はきついけど岡島さんも可愛い女の子なんだ……ビジュアルを鮮明に思い出せ……よしよし、溜飲は下がりつつある。

 と、クールダウンして先輩に目をやると、

「誰が誰を相手にしないってぇ?」

 ちょっと、怒っているご様子だった。

「いやいや先輩、しょうがないじゃないですか、岡島さんにバレるわけにはいかないでしょう?」

「私今、すんごくバラしたい」

「ちょ、冗談でもそんなこと言わないでください」

 あーもう、唇尖らせてもぷりちぃふぇいすやぁ……。

「電話の内容全部聞こえたもん。岡島さん酷いよ。どうして有喜ちゃんにたくさん意地悪するの?」

 それは――私も疑問の一つだった。他の人は私を省いたり、遠巻きにヘンレズと囁いて馬鹿にすることはあれど、こうも直接的に敵意を向けてくるのは、現段階では非常に珍しい。

 昔女の子に迫られた、とかかなぁ。親友と思ってた女子から告白されて『そんな目で見られていたなんて気持ち悪い! 裏切られた! レズなんて最悪だ!』的な。

 うわーなんかありそうだなぁ。

「……有喜ちゃん、チュー、続き」

 思案を広げていると、裾をクイクイと動かされた。子供か! 可愛すぎか!

「先輩、非常に残念ですがすぐに保健室に向かってください。電話聞いてたんですよね? 岡島さんが来ちゃいます」

「……次の機会は我慢しないから」

 立ち上がってあっかんべ~をした先輩は、そのまま保健室へ走り去っていった。

 申し訳無さと不甲斐なさと、ちょっと優越感。全国の媛崎茜ファンのみんな、私が彼女の彼女です。

 えっ? 釣り合ってないって? ははは、そんなこと百も承知。捨てられるまでの期間をたっぷり享受すれば私の勝ちよ。

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