木曜日・1
「先輩、身体の開きが早くなってます。疲れてる時こそもっと意識してください」
「はいっ。ありがとう
「いえいえ」
幸い近くに人はいなかったものの、言い直してくれてホッとした。
今日は授業が終わって部活に参加。いつも通り雑務を済ませてから、
(頑張ってる先輩、素敵だなぁ)
こんな感じで先輩の練習にお付き合いできるのは、実はただのラッキーでしかない。
前提として我が高校の女子テニス部は規模が大きいため、新入生が入ってくるとくじ引きを行い、そこに書かれた上級生の練習を見たり、指導を受けたりする謎ルールがある。
私は運良く最初の振り分けでこうして、たまたま先輩と同じチームになり交流をとれるんだけど、そこもまたいじめの原因になっている難しい事情もあったりなかったり……。
「ちょっとヘンレズ、偉そうにしすぎ」
「ああ、ごめんね岡島さん」
切れ長の瞳でジロリと私を
なんとなく雰囲気に気圧されて、さん付けしてしまうけれど普通に私と同級生で、同じく媛崎先輩の下についている。
実は小学校の頃最後の二年間を同じクラスで過ごし、中学で別々に、そして高校でこうして再会したわけなんだけど――
「なによ。変な目で見ないでくれる?」
「あ、はい」
――私のことは覚えていなさそうだ。まぁ覚えられていても変な感じになっちゃうだろうから別にいいんだけど。
テニスの実力としては、一年生の中ではトップクラスの強さを誇っており、二、三年を押しのけ次の団体戦に出場するのではと噂されるほど。私の噂と交換してほしい。
「ったく……アンタなんてこなくていいのに。私と
「そうだね。……球、集めてくるよ」
岡島さんの言っていることは紛れもなく正論。私は先輩と接触したいがために参加している。
だけど、岡島さんは媛崎先輩への羨望があってか、注意や指摘ができない。
昔から女の子を観察するのが趣味だった私は、微妙なフォームの変化なんかに気づきやすいらしい。
ゆえに、一応の存在意義なんかは感じてるんだけど~……岡島さんからしたら関係ないよね~……。
「岡島さん、」
「なんですか
私達の会話を聞いていたのかいないのか微妙な位置にいた媛崎先輩が、こちらへ歩いてくる。
「私、福添さんのアドバイスとっても参考になってるの、あんまり――余計なこと、言わないでね」
「は、はい」
言うと、私達がいるコートの反面へ移動する媛崎先輩。やっぱり聞こえていたらしい。
「……ほんっとに優しい先輩。アンタみたいのにも気遣ってくれてんのね」
「あはは、そうだね」
「私、集中して先輩とラリーしたいからヘンレズは外周でもして体力つけてきたら?」
「そう、しよっかな」
今日の岡島さんはすこぶる(私に対する)機嫌が悪いらしい。ここで逆らったりしてエスカレートするのは嫌だし、なにより先輩が私のフォローをしてくれようとした時に飛び火するのは絶対ダメだ。
おとなしく言うことを聞いてコートを出る。先輩と視線を合わせてお辞儀をすると、先輩は、少し悲しげに、笑って、手を振ってくれた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
こんなの……マネージャーの……することじゃ……ない……。
テニスコートがたくさんあるということは、それを保有する校舎も結構な広さを誇っているということ。その周りをランニングする『外周』というメニューは、大嫌いなトレーニングの一つでもある。
「あっ」
走っている途中、媛崎先輩のライバル、
そう言えば媛崎先輩は昨日の練習試合で、私への宣言通り、見事住良木先輩を打ち負かしたとか。
私チャージ効果すげぇ、なんてね。
「……」
「っ」
っと。
住良木先輩と目が合ったような気がした。ダメだダメだ、またレズが獲物を狙ってるとかなんとかでいじられる口実ができてしまう。
とにかく今は心頭を滅却してこの地獄と向き合おう。
×××
力を振り絞って外周を五回走り終え、吐きそうになりながら部室に戻りドリンクを飲む。ああ、運動は嫌いだけど、この乾ききった身体に液体が染み込む感覚は好きだなぁ。
なんて、一人ぼっちの部室を堪能していると、なにやら勢いよくドアが開く。そしてそこには、外周中ちょいちょい目が合った――住良木先輩。
「貴女、媛崎の後輩よね」
「そう、ですけど」
一応あなたの後輩でもあるんですが。
「……いつも媛崎にどんなアドバイスをしてるの」
「へっ?」
まさか住良木先輩と会話をするとは思っておらず、意に沿わない返答をしてしまった。
「教えたくないわけ?」
「いえ違います。……ええと、どんなアドバイス? 普通にアレですよ。フォームが崩れる時、サーブの打点がずれ始める時、スプリットステップが遅れている時……とにかく、媛崎先輩の『弱点が出てくる時』のタイミング、と思しきことは全部お伝えしてます。知っていれば改善したり対策がとれるプレイヤーですからね、媛崎先輩は」
「……それで、なのね」
私の話を一通り聞いた住良木先輩は、中に入って部室のドアを締めた。そうして私に近づいてくる。うぅ、外周終わりで汗かいてるから近寄ってほしくない……。
「貴女、名前は?」
「福添有喜です」
「そう。有喜、なんでマネージャーの貴女が外周なんてしているの?」
名前は知らなかったのに私がマネージャーということは知ってたのか。
「ええと、二人がラリーをすると言っていたので……」
「そのラリーを見て弱点を教えるのが貴女の仕事でしょう?」
ぐぬぬ……。
「ヘンレズ、だったかしら、貴女への蔑称。どうせグループ内で馬が合っていないんでしょう?」
名前は知らないのに蔑称知ってるとか……ヘンレズ恐るべし。
「……そう、なりますね」
「くだらないわ。そんなことで戦力が落ちるなんてくだらないにも程がある」
ごもっともです。
「有喜、貴女は私に付きなさい」
「――へ?」
またもや、素っ頓狂な返事をしてしまった。でもこれ私……悪くないよね?
「一年の頃から媛崎とは何回も試合をしてきたけど一度だって負けなかった。でも昨日は……」
ええ、まさか私チャージの力がそんなに……?
「貴女の分析が正しいのよ。今いるグループで十全に発揮できないのなら、私のために使いなさい」
気づけば、先輩は、ぐっと私に接近していた。く、クールビューティーの化身や……。お顔の整い方が尋常じゃない。
たぶんモデルさんとか女優さんの中でも相当選ばれし者じゃないとここまでの造形にはなれないだろう。
「いいわね。媛崎からは私が言っておくわ」
「ま、待ってください!」
危なかった。見惚れて大事な返事が言えないところだった……。
「私は媛崎先輩から離れるつもりはありません。住良木先輩には申し訳ないですが……」
「ふぅん」
どこか、住良木先輩の雰囲気が変わった。そして彼女は更に私へと近づき、私の手をとる。
まるで昨日の媛崎先輩のように。
だけど、私の手が導かれたのは頬ではなく、お胸様の……直前だった。
「っ!」
「貴女、レズなんでしょう? 私の下につくなら……そうね、胸を触る程度のことだったら許してあげてもいいわよ」
何やら大きな音が聞こえたかと思ったら、それは自分の、生唾を飲む音だった。続けて今度は鼻息が荒くなっていることに気づく。
けれど目の前の住良木先輩は、まるで普段どおり。目が合うと私をからかうように、妖しく微笑んだ。
「ばっ……」
「ば?」
「バカにしないでください!」
決死の思いで住良木先輩の手を振りほどく。ああ、こんな機会、この先一生訪れないだろう。でもいいんだ。なんか完全に私――というよりかレズビアン馬鹿にしているし。
顔がよければ何でも思い通りになると思うな!
「失礼します!」
「あっ……有喜……」
呆気にとられる住良木先輩を押しのけ部室から出ると、
「えっあれっ先輩?」
「……有喜ちゃん、」
いつからいたのだろうか。
涙を溜め込んだ媛崎先輩がそこにはいて、
「来て」
裾を掴まれた私は、強く引っ張られるがままに移動を余儀なくされた。
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