金曜日・1

「そんなわけで、もしかしたら住良木先輩が私達の練習に加わるかもしれません」

 次の日の放課後。私と媛崎先輩はいつもの非常階段でイチャコラしていた。

「そっか……。まぁ……有喜ちゃんが良いなら……」

 腰に手を回し、背骨をへし折りにきているのでは? というレベルの力で抱きしめてくれている先輩は、私の制服(胸元)に顔を埋めながらそう返す。

「勝手に判断しちゃったんですけど、大丈夫でしたか?」

「ん~……わかんない。でも二人っきりのときに有喜ちゃんの口から女の子の話、聞きたくないかなぁ」

「わ、わかりました。すみません」

「私の方こそ……大人気なくてごめんね」

 ふむ。今までのやりとりからしてもうちょっとチクチク言われてしまうかもと思ったけど、想像以上に大人な媛崎先輩。

 ま、まさか本当に岡島さんと……? それでなんか……余裕ができたとか……? いやでも控えめに言っても余裕があるようには思えない……わからぬ……何もわからぬ……。

「昨日岡島さんと……何かありましたか?」

 だが、何もわからぬならば聞けばいい。会話こそがコミュニケーションの真髄じゃい!

「……うん、えっと……岡島さんと一緒に帰ってた時にね……?」

「はい」

 まさかもしや……ホンマに浮気的なサムシングを……? そして罪悪感に苛まれナウ……?

「岡島さんの口からずっと有喜ちゃんの悪口を聞いてたから……つらくて……」

 はぁーいごめんなさぁーい! くだらない疑いして本当にすみません! 私のせいでつらい思いをさせていたのに!!

「そう、でしたか……すみません、私のせいで」

「ううん、有喜ちゃんは何も悪くないから。でもね、心の中では、有喜ちゃんのこと何も知らないのに勝手なこと言わないでって怒りとか……やっぱり有喜ちゃんのことを一番知ってるのは私なんだなぁっていう……その、ちょっとした優越感というか……いろんな感情が湧いてきて……疲れちゃったの」

「先輩……」

 どう返せばいい?

 私のために疲弊してしまっている天使へどんな言葉を投げかければいい。

「……」

 ダメだ。見つからない。そんな簡単に見つかるなら多分ヘンレズなんてあだ名付けられてクラスで浮いてない。

 だから、私に出来ることを精一杯しよう。

「んっ、有喜ちゃん?」

 抱きしめ返すんじゃ足りない。キスは……私からはまだ出来ない。

 背中をさすりながら頭を撫でてみたけど……どうでしょう……?

「……有喜ちゃん、なでなで上手だよね。とっても気持ちいい」

「そうですか? 良かったです」

「なんか……手慣れてる?」

「っ! まっさか〜、なでなで手慣れるってどんな状況ですか~」

「……だね~」

 あはははは、まさかこれで金稼いでますなんて口が裂けても言えない……いやでもほら、バイトでご奉仕するときはね、手袋つけてますから! ちゃんと一線引いてますから! 言ったら言ったで先輩は納得してくれるはず。だから言っても無意味。だから言わない。はい論破、弱い自分の心をスパッと論破。

「……私、有喜ちゃんのバイト先にはいつ行っていいの?」

 こんな流れでバイトの話が出たものだから跳ね上がる心臓。

 なんとかそれを抑え込みつつ、いつもの表情を意識して答える。

「わ、私としてはいつでもいいんですが……丁度先輩の部活とかぶってるじゃないですか、ん~だからほら、慌てないで都合の良い日を待ちましょうよ? いつでも来られるわけですし!」

「……そう、だね。あぁ〜早く行きたいよぉ。ウェイトレス姿の有喜ちゃん、お客さんとか一緒に働いている人はたくさん見てるのに、彼女の私が見てないなんて絶対変! おかしい!」

 むむっ確かに。逆の立場で考えてみれば、私はそんなの絶対に許せない。何を差し置いてでも尾行を決行しどんな手段を使ってでも先輩のきゃわゆい姿を網膜に焼き付ける。

「そうだ!」

 先輩は急に顔を上げると、瞳を燦々と輝かせて私の顔面直前まで急接近し、

「写真、撮ってもらってきて! ねっいいでしょ!」

 妙案を言い放つ。

「あー……忙しくなければ大丈夫だと思いますよ」

 そしてこれが妙案返し。『忙しくてすっかり忘れてました~えへへ~』と言うための布石だ。

「やったー! 楽しみだなぁ!」

 うぐぅ! 心が痛い! でも……絶対に見せられない……先輩には申し訳ないが……せっかく今日までこんなに楽しく過ごしているのに、こんな……バイトのことなんかで愛想を尽かれるわけにはいかないんだ……!


 ×××


『もし今日もやることになったら住良木ボコボコにするから! 有喜ちゃんチャージした私は最強だよ!』

 よくもまあこんなに適した絵文字がわかるもんだと感心してしまうほどのキラキラメッセージ。媛崎先輩の乙女チックな一面にも頬が緩みつつ、出勤。

「ハピちゃん、例のお客さんからまた指名入ってるよ」

 着替えてバックヤードへ行くと、店長が頭をかきながら教えてくれた。

 大きな眼鏡が特徴で常に気怠げな雰囲気を纏う格好いい店長。絶対タバコとか似合う。吸ってないらしいけど。

「例のお客さん?」

 以前来た久瀬くぜさんではないということ、そして店長が明らかに嫌悪感を丸出しにしているということは……。

園片そのひらさん、ですか?」

「そうそう。大丈夫あの人、やっぱり出禁にしようか?」

「ええっやめてくださいよ、私の大切な常連さんなんですから」

 園片さんは、久瀬さんとは性格的に正反対な常連さんだ。

 たった二人しかいない私の常連さん……すなわち貴重なインセンティブ源……!

「ん~いつかなんかしでかしそうで怖いんだよな~ああゆうタイプは」

「大丈夫ですよ。話してみると結構いい人なんですよ?」

「その会話が全然成立しないから怖いんだけど……まぁ何かあったらすぐ言ってね」

「はい、お気遣いありがとうございます」

 確かにちょっとクセのある人だけど、そこまで恐れられるかね。でも接客百戦錬磨の店長がこう言うんだから信憑性は高い。ちゃんと気に留めておかなければ。


 ×××


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「は、ははは、はは、ははっはは、ハピしゃん、た、ただい、ただ、ただいま。ふひっ、へ、ははは」

 予約された時間になるまでキッチンや他のメイドさんたちの手伝いをしていると、件の常連である園片さんがご来店された。

 いつも通り、機能していない表情筋が作る精一杯の——いびつな——笑みを浮かべて。

 吃音症というわけではないらしいけど、来店してすぐはいつも緊張してこうなってしまうそうだ。

 私も割と緊張しいなので気持ちはわかる。

「園片様、注文はいつものものでよろしいですか?」

「は、ははっは、はい。す、すみません、いつもおまかせしてしてしまってすみません……」

「いいんですよ。園片様はわたくしめのお嬢様。お嬢様の喜びが私めの喜びですから」

「は、はわわぁ~」

 伏し目がちだった瞳を大きく開くと、園片さんはボロボロのメモ帳と年季の入ったボールペンを胸ポケットから取り出し、摩擦で火が出るのでは? という速度でなにかを書き殴る。

「す、素敵です。ハピさん、とても、とても素敵です……うぅ……うっ……」

「だ、大丈夫ですか園片様」

 メモを取りながら感謝を口にしながら泣き出してしまった園片さん。

 そう、この方(誰が見ても一目瞭然だが)とても情緒不安定なのだ。店の端から視線を感じそちらを見やると、店長が手指で表現した電話をフリフリしながら怪訝な表情で首を傾げている。

(通報、ダメ、絶対)

 俯いている園片さんにばれないよう、口パクと小さなジェスチャーでそれを一蹴。呆れ顔をした店長は奥へ戻っていく。たぶん今も監視カメラでバッチリ見守ってくれているのだろう。

 大丈夫です店長、園片さんは疲れて弱っているだけで、決して害成す悪い人なんかではないと……えっと……信じていますから!

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