火曜日・2

「先輩……今日、部活は?」

「途中で抜けさせてもらったよ。だって彼女が体調不良でお休みなんだもん」

「そ、そうですか」

 そうか……やっぱり私、この人の彼女なんだ。そしてこの人は……私の彼女なんだ。

 っというか。

「先輩、あの、早退するときなんて言ってきたんですか? まさか私達のことは……」

「どうだったかなぁ。だって有喜ちゃん、昨日キスしてくれなかったし~」

「せ、先輩!」

 思わずまた肩に手をやってしまった。なんだこれ、癖か?

「あはっ」

 しかし先輩は、悠々とシャーベットを食べきり、悪戯な目で私を見て笑う。

「有喜ちゃんが必死になってくれるの、嬉しいなぁ」

「えっ……あっからかいましたね、やめてくださいよ、私冗談通じない女なんですから……」

「ふふ、ごめんごめん。じゃあえっと……これ、お詫び」

 肩から手を離して俯いていた私を――先輩は包むように抱き締めた。

「なっ……はっ……」

「私の匂い、どう? 有喜ちゃんの好きな女の子の香り?」

「はいっそりゃあもう……まさに、と言った具合で。あはは」

 自分の心音がうるさくて口から出している言葉が聞こえない。

 これなんだ? なんなんだこの幸せ空間は。いい香りとかいう次元じゃねぇ! というかあの、ちゃんと柔らかいです。たぶん付くところにはきちんと筋肉が付いてるんだろうけど、お胸様は……先輩のお胸様はとても柔らかいです……!

「有喜ちゃん、凄い汗「――っ!「きゃっ」

「ご、ごめんなさい!」

 興奮で気づけなかった、自分から溢れ出る滝のような汗。それを指摘された恥ずかしさで、思わず先輩を突き飛ばしてしまった。

「全然大丈夫だよ。はい、もう一回ぎゅってしていい?」

「絶対ダメです!」

「出た、有喜ちゃんの絶対ダメ」

「だって絶対ダメなんですもん! なんで私毎回……ああ、もう、本当に嫌だ……」

「私達の関係を秘密にするのは有喜ちゃんを守るためって言うので納得できたけど、どうしてぎゅーもダメなの? 有喜ちゃん女の子好きなんだからいいでしょ」

「他の女の子だったらここまで気にしませんよ、その……先輩にだからこんなんなってるんじゃないですか!」

 私の顔は完全に真っ赤だろう、せっかくメイクをしたが仕方ない、とにかく手のひらで顔面を隠した。

「私、だから?」

「……と、とにかく、今日はもう近づかないでください」

「私の匂い、嗅げなくていいの?」

「とても残念ですが今の自分を嗅がれるのなら仕方ないです」

「有喜ちゃんとってもナイーブだぁ」

「そうですとってもナイーブです。取り扱いには気をつけてください」

 流石に面倒くさいかな? 怒ったかなと思って先輩の顔を見やると、その頬は緩々に緩んでいた。

「ど、どうしたんですか?」

「んー? いやだって……私達本当に……恋人同士だなぁと思って」

「っ……たし、かに」

 少なくとも昨日の段階じゃ、こんな会話きっとできなかった。

 だけどこれは、なんてことない、先輩の圧倒的なコミュニケーション能力によって成り立っていることを私は知っている。

 だから驚くことはない。

 ――その代わりに、嬉しく思う。誇らしく思う。こんなに素敵な女の子が、私の恋人だなんて。

 ようやく私は驚きという茨の森を飛び越えて、幸せの沼に浸かり始めた。


「よし、じゃあ先輩は帰ります。体調悪いのに押しかけてごめんね?」

 夜八時。学校は閉門時刻で、部活がある際もだいたいこの辺りの時間でみんな帰路につく。

 お家の人に訝しく思われないような配慮なんだろうな、先輩、ちゃんとそういうのもわかってて偉いや。

「いえ、とっても嬉しかったです。でもその、今度は、一報いただけるともっと嬉しいです」

「あっそうだよね、有喜ちゃん、ID教えて?」

「えっあっはい」

 あまりにも馴染みのないやりとりに戸惑ったが、そういえば私華のJKだった。というかこのメッセージアプリ起動したのいつぶりだろ……。

「名字で登録してるんだ。……えへへ、『有喜ちゃん』に変えとくね」

「あっ、はい。……誰にも見られちゃダメですよ?」

「はーい気をつけまーす」

 そういう先輩は『あかね』と表示されていたので、私は『媛崎先輩』と変更をした。下の名前で呼び捨てなんて……恐れ多い……!

「それじゃあね。明日、元気が出たら学校で」

「はい。先輩のおかげで見ての通り健康体ですので安心してください」

「良かった」

「……先輩……」

「ぎゅー……する?」

「しま……し……しません」


 そんなやり取りを何度か繰り返して、私は家から少し離れた場所まで先輩を送り届けた。

 朝のダウン状態が嘘のように晴れて、今ならトイレ中にピンポンを何度鳴らされても許せてしまえそうだなと思って、そんなくだらないことを先輩に話したらどんな風に笑ってくれるだろうとか考えて、とにかく、心地いい眠りについた。

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