密だね

 学校から続く裏山の小道は、山腹の小さな神社までつながっている。そこまでたどり着いて、やっとボクたちは走るのをやめた。


「はぁ、はぁ」


 息は荒く苦しいのに、なにか気恥ずかしくて二人してマスクを外さずに、しばらく互いに見つめ合うと、不意に吉岡の目が笑った。


「触っちゃったね。三密なのに」


 アッとボクが手を離すと、彼女は声を出して笑いながら神社の縁側に腰を下ろした。


「転校の話――」


 風が静かにそよいでいた。吉岡はそう校舎裏での話の続きを切り出して、ボクを見上げ、目を落とし、しばらくためらいがちに口を薄く開いて、そして心を決めたように再びボクに顔を上げた。


「恥ずかしいけど」


 マスクに隠れた彼女の顔で、目だけが少し怖がるような気持ちを伝えてきて、


「ウィルスでさ、学校閉鎖して、外出も禁止になってさ」


 ぽつぽつと言葉を出すほどに、その目の伝える気持ちが色と熱を帯びてきて、


「このまま会えなくなるって思ったらね」


 それが怖れよりも勇気の色が強くなったと感じた瞬間、


「悲しかったから――」


 ボクの感情が目に溢れた。


「――ごめん」


 涙に歪む視界でボクは、ボクの感情を、ボクの罪を、全部彼女に吐き出した。


「ボクに勇気がなかったから、あんな傷つけるような、こんな気持ちにさせること――、ボクはまわりのことばかり考えて、勇気がなかったからそんな、空気みたいなヤツに負けて――」


 とりとめもなく散らかった感情は、涙と唾と鼻水でぐちゃぐちゃとマスクの下で混ざりあって、どこまでもボクの胸から溢れて――、


「男とか女だとか適当な言い訳を並べて後悔して、謝ったって許されないのに、戻れないのに、なのにボクは戻りたくて、でも勇気がなくて、それでキミにこんなこと言わせて、ボクは――」


 自己嫌悪の渦の中で吐き出される言葉に、ボクはボクの気持ちと願いの切れ端を捕まえて――、


「ボクはキミと――」

「――大丈夫」


 気づけば彼女は立ち上がって、ボクの前に手を差し出していた。


「あたしだってさ……、だから、おあいこ」


 そう目だけではにかむ彼女の手を、ボクは戸惑い、ためらいながら、自己嫌悪の中で捕まえたボクの心の底の願いに従って――、


「仲直り」


 掴んだ手は優しい熱を伝えていて、さっきの手をつないで走ったあの熱さと感触が蘇って、ボクは握る手に力を込めた。


「密だね」


 そう笑う彼女は、だけど握る手を離さずにじっとボクの顔を見つめ、


「――ありがとう」


 そう言ってマスクを取った。

 数か月ぶりに見た彼女の顔は記憶よりも輝いて見えて、ボクは思わず見とれてしまった。

 そんな様子を見透かしたように彼女はにこりと微笑んで、自分の顔を指差して言った。


「最後くらい顔、ね?」


 そこでボクがマスクを外したときだった。彼女がボクの手を引いて、彼女の顔が近づいて――、


「――男と女だよ」


 その囁き声が聴こえた瞬間に、ボクの唇は奪われた。


「密だね――」


 彼女はそうつぶやいてサッとボクから離れ、神社を下りる石段の方へと身を引くと、


感染うつった?」


 赤く火照った頬に満面の笑顔をのせて、


「これで死んだら一緒にね?」


 そう残して石段を駆け下りていった。

 このときのボクはもうただ立ち尽くして、白い陽射しが肌にひりついていることにも気づかずに、何度も何度も彼女の残した言葉を頭の中で繰り返しに聴いていた。

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