校舎裏

 学校が午前中で終わると、先生たちは「まっすぐに家に帰るように」と、追い出すように生徒たちを下校させていった。

 そんな先生たちの目を盗んで、ボクは校舎裏へと急ぐ。

 吉岡は幼稚園からよく遊んだ仲の良い女子で、いわゆる幼馴染というヤツだった。

 そんな彼女からの、それも転校する日の呼び出しに、ボクはざわつく胸を押さえるのに必死だった。


「――吉岡」


 校舎裏、夏を早取りしたような白い陽射しの中、彼女は校舎の影にひっそりとしてボクが来るのを――あのときと同じように待っていた。

 影の中にたたずむ彼女の白いマスクは印象的で、その上から見える普段はキリッとした切れ長の目元がやわらかく笑ったのに、ボクは思わずドキッとしてしまった。


「ありがとう。来てくれて」

「いや、その、手紙……あ、いや、転校って」


 ボクにはこの呼び出しの理由に心当たりがあった。それについてどう話そうかということで頭がいっぱいなボクにくらべて彼女の態度はすごく落ち着いていて、ボクは自分の負い目がますます身体を固くしていくのを感じた。


「その――」

「どう? ドキドキした?」


 そんなボクのしどろもどろした様子なんて気にも留めずに、彼女は小首を傾げてそう訊いてきた。


「え?」


 意地悪げに彼女が言う。


「転校の日に校舎裏なんて、マンガだったら告白の場面だよ」


 おどけた声で目だけで笑う彼女の視線にボクはたじろいだ。校舎の影から見る陽射しの白さが、いやにまぶしく目に刺さった。


「……でも、違うんだろ?」


 うつむいて逃げた視線の端で、彼女がボクを見ている。重いわだかまりが胸からせり上がってきて、弱く震えた情けない声が喉からこぼれてきた。


「――ごめん。あのときのこと……後悔してる。怒ってるなら、その、殴ってくれたって――」

「違うよ」


 ボクの言葉を切るように、彼女は強い声でそう言った。その声に顔を上げると彼女は目を細めて、怒るでも責めるでもなく、ただ悲しげにボクの目を見つめていた。


「……あ」


 何秒だろうか、沈黙がボクと彼女の視線の間で交わされて、けれどそこに交わされない感情がボクと彼女の間を戸惑いとなって浮いていた。

 木々の梢がざわついた。湿り気のない風が吹き、彼女はそれを嫌がるように口を開いて、さっきの強い声とは一転してしぼった――終わり際の線香花火みたいな声で言った。


「転校するでしょ、あたし――」

「誰か残っているのか!」


 先生の声だった。校舎裏まで見回りに――そう声の方を振り向いたときには、ボクの手は彼女に握られていた。


「こっち」


 手を引く彼女とボクは走り出し、学校と裏山を隔てるフェンスの切れ間をすり抜ける。


「はぁ、はぁ――」


 風が鳴っていた。新緑の葉が揺れて木漏れ日が踊る細い小道を、学校を抜け出てもう走る必要もないのにボクたちは走っていた。

 息が聴こえた。走るほどに熱く汗ばむ肌を風が冷ませば冷ますほど、握る手は熱く彼女とボクをつなぎ、そのせいでボクたちは走り続けた。

 マスクの息苦しさと動悸の高鳴りが混ざり合い、胸が絞まるように軋んで、けれど止まることが何か裏切りになってしまうように思えて、ボクたちは走ることをやめられなかった――。

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