第2話 自分という男。
自分は現在、大手企業の下請け会社で働いている。金型でプレス機で製造した商品を梱包して出荷する部署で働いている。年齢は今年で52歳になる。現在、彼女もなく、いや暫く彼女もいない。それどころ生き物の暖かさすら忘れていることに去年気づいた。それは六畳一間のアパートで暮していて、そのアパートを縄張りにしている野良猫と親しくなり、ツナ缶をその野良猫に与えているとき、野良猫の体を触った。そのとき、自分は思った。
「あ、暖かい」
そう生き物って暖かい。人のぬくもりも忘れ、一肌ではなく、猫の肌で暖かさを思い出した。そのとき自分は今、いかに寂しい人生を送っているのだろうか、とショックを覚えた。
今はまだ51歳だが、この年になるとどうしても恋に臆病にならざるおえない理由がある。その大きな理由が収入である。商品を梱包するだけのようは頭数いればいい。技術や武器というものを要求されない、変えはいくらでも聞く仕事だけに収入は低い、給料は手取りで先月から20万。それまでは19万で都民税が安くなったのかなんかしらの徴収税が安くなってやっと20万になった。50代といえば、職場では未婚もいるが、既婚者は大体子供は成人している。オジサン中のオジサンである。しかも手取り20万では20代の頃、バイトしていた得ていたお金よりも低い。その低さが一歩も二歩も踏み出せない理由である。
だが、気持ちはある。告白したいという気持ちだけは。性格が物事を溜め込まずはっきり言いたいタイプだけに、思い立ったら吉日、善は急げ、そう思う人間だけに告白したい気持ちはある。これが20代なら間違いなく言っていた。20代なら貧乏でもなんら恋に支障はない。それは問題ではないと思っていた。しかし、さすがに30代中盤から年齢と収入が気になり、気が付いた51歳を過ぎ、今年で52歳になる。こと今年は、2020年はコロナウィルスが蔓延して、景気回復策としてGo Toキャンペーンなるものが今始まっているのに、それに一緒に出かける相手もいない。いや、コロナウィルスで自宅での自粛が余儀なくされたとき、一人はつくづく寂しいと思った。人生を豊かにするのは、愛する人とのふれあい、共に生きること。そう思う自分は今の自分の境遇が惨めで仕方なかった。いや、境遇よりも愛する人が欲しい。愛する人が傍にいたら強くなれる。自分に足りないのは愛ではないか?と数年前から思うようになり始めていた。
「愛さえあれば、今まで噛み合わなかった歯車が噛み合うのでは。そうしたら、自分の望みも全てうまく噛み合い動き始めるのではないだろうか」と思っていた。
そう自分には望みがあった。その望み、いや、夢も恋を後回しにしていた要因の一つかもしれない。
第三話ではその夢について話そう。
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