ブルートパーズ

「へえ~体調崩してたんだ」


「一二月の頭くらいに」


「ありゃ~」


 まったくもって無意味な返答をしているマチ。まあ、いつまでも重たい雰囲気でいるわけにもいかないのだ。こいつのノリに任せるとしよう。


「一二月というと、あんたが死ぬ気になって勉強に戻ってきた時期ね」


「いや~わずか一ヶ月と少ししか経過していないとは思えないですな~」


 ミチルさんを冤罪で撃ち殺そうとした一一月の終わり。二週間ほどにわたったマチの失踪劇は完璧な恥さらしによって幕を閉じ、そこからは失われた受験勉強を取り戻すべく鬼のような修練を積んでもらうことになった。おかげで学力を元の水準に引き上げることは叶ったが、果たしてあの二週間が致命的なダメージになるかどうか、神のみぞ知るといったところだろうか。


「戻ってきたって、一回離れていたってことですか?」


「そう。しかも二週間」


「なんと……」


 さすが一般受験を経験した人間は違う。事の重大さをすぐに悟ってくれたようだ。


「いやーそれほどでもー」


 頭を掻いているマチだが、いったいぜんたいどうしてそんな風に笑っていられるのか理解に苦しむが、鋼の意思でこぼれ落ちた単語や知識を拾い集め、あまつさえ強化していっている人間にこれ以上追いこみをかけることもできず、私は白い目を剥いてただ茫然としていた。


「ミズキっちもあったっしょ? ほらさ、現実逃避? みたいなの」


 実際に逃げ惑ったのは私の恋人の幼馴染だったがな。


「ハハハ、ソウダネ」


「あ、出た。弟さんと同じのカタカナ発音だ」


 訝しんでは黒パーカーが眉を曲げた。


「イヤダナーチガイマスヨー」


 姉弟とはよく似るもので、彼女が閉塞感を覚えているのであろう家族の呪縛を感じさせる一瞬だった。もっとも、カズキくんの発声はこういったあきれ色ではなく、もっと攻撃的で排他的な、不機嫌色をしていたのだろうが。


 欠かさずにぶら下げているブルートパーズのペンダントは、ハナさんの感情と関係もなく光って揺れる。やけに目に留まるそれを見つめ、私はどこか騒いだ胸から注意を逸らした。


「カタカナっていうと、私はむしろ先生のイメージがありますけどね」


 コホンと咳きこんだ彼女。


「私?」


「はい、イズミ先生って漢字の大人っていう頼れる面もありますけど、そうじゃないカタカナなオトナって部分もあるっていうか……」


 すかさずマチが切りこむ。


「つまりはときどき頼りないってことだね?」


「おいぶっ飛ばすぞ」


 おっといけない。反射で口から暴言が。


「そういう瞬間でものを言うところとかだよ~先生っ」


「……」


 そういうのであれば熟考することにしよう。歴史的なエピソードを参照して、あるいは現代文学やサブカルチャーにも思いを馳せ、しまいには今日読んだ受験用の英語長文の内容も記憶の棚から引っ張りだす。マチの発言にどう返すべきか、丁寧に、真剣に検討して……。


「……ぶっ飛ばすぞ」


「え~」


 口をへの字に曲げているマチをよそに、チカさんはようやくのフォローを始めた。


「なんて言えばいいのかな……とってもまじめで真剣なところもある反面……まじめと真剣って同じ意味かな? いやともかく、普通の大人にはない特別な親近感っていうか、大人と話している感覚もないのに確実にオトナっていうか……」


「……よく分かんないけど、それは褒められているのかな?」


 捉えようによっちゃ単に大人になりきれていない半端者っていう風に聞こえるんだが……。いや、彼女がそういうことを言いたいんじゃないということは察せられる。だからといって言いたいことの中核が掴めるわけでもなかったが。


「はい、とっても」


 照れるような笑い。口には出さなかったが、その様子なんてカズキくんと瓜ふたつだ。この表情を彼女が家族にむかってどれだけ見せているのかは分からなかったが、ともかくはこういう魅力的なところがあって、そこに邪な手を伸ばしている輩がいるのだということに腹立たしい気持ちになった。

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