偽賢者の石
三人だけで話をしたいとイシュガルドらを客間に案内したキャラットであるが内心怯えていた。製作不可能の人工ルビーを鑑定した直後に、鬼気迫る表情。そして王家直属の騎士団のケビン・オーベムが告げた「国家を揺るがす危機」という言葉もあり、もしや自分は生きて帰れないのではと足が震えていた。毎日見慣れた客間も、ふかふかの綿が入ったソファーも、ベルベッドの絨毯も彼らの家の中にいる感覚に飲み込まれていく。
こんなことになるのだったら、ルイーダの言う通りさっさと帰っていればよかった。
「えーっと、キャラット・マクレガー殿そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。ケビンも私が大人しくさせているから。私だけを見てほしいな」
「俺は狂犬か何かか」
ムッとまた眉間を縦にするケビン。そして言われた通りにイシュガルドの顔だけを見つめる。ケビンと違いやんわりとした柔和な顔、元々の顔立ちが良いためか不思議と心が安らいだ。
「さて、君が鑑定してもらったあの宝石についてだけど」
「は、はい」
「あれを作ったのは僕なんだ」
「イシュガルド様がですか」
「自作自演というのかな。ルビーのもととなるコランダムに錬金術でクロムを取り込ませたんだ。比率とか適当につくったから美麗さとか考えていないけど、ともかくルビーの条件はほぼ満たしているから見分けるのは難しいと思っていたんだけどね」
「つまり試していたということですか」
「そういうこと。さっき鑑定してもらったことは『国家の危機』とはまったく関係ないよ」
それを聞いて体がバラバラと崩れ落ちかけた。落ち着いて考えてみると、ただ宝石を鑑定しただけで国を揺るがすことになるなんてありえないはずなのに……人間勢いと迫力に呑まれると冷静な判断も失われるのだな。
ルイーダが用意してくれたのにすっかり冷めてしまった。と冷めたお茶を飲み干す。
「さて本題に入りたい。わざわざ偽物のルビーを作ってまでしたのは、こちらの宝石について鑑定してもらうためだ」
ケビンが懐から取り出した麻袋に手を入れると、赤い宝石がゴロゴロと無造作にテーブルの上に広げられる。正面から見れば赤のように見えるが、少し傾きが違うと虹のような輝きを放っている。
「これは……ルビーのように見えますが」
「錬金術師の最終到達点である万能の秘薬賢者の石」
賢者の石! 名前だけは聞いたことはあった。曰く死者を蘇らせる。曰く卑金属を金に変える。曰く不老不死の霊薬などその名の通り万能にして最高の秘薬だ。
「これが賢者の石」
「のまがい物。賢者の石は未だに完成に至っていなくて、できた物はどれもこれも魔力が微妙で使い物にはならない。けどこの失敗作でも使い方次第では利用できると企んだ人間がいる。マクレガー殿一度見てもらえるかい」
促されたキャラットは、その偽の賢者の石を手に取って鑑定をしてみた。カットに関しては素人が削り出されたように粗が多いものの、色味や内包物が少なく非常によい代物だ。もしも指摘されなければ、上質なルビーと見間違うだろう。だが、『眼』を使ってみると違いは一目瞭然だ。
「ルビーに非常に似ていますね。たぶん熟練の鑑定士でもわからないレベルの代物です」
「やはりね。この偽賢者の石は、傍目からしたら高価なルビーに匹敵するほどよく似ている。そして問題はこの偽賢者の石を意図的に作成する場合、安い材料で作成できるということ。これがどういうことかわかるかな」
宝石の価値というのは美しさもさることながら、希少価値が高いことで価格が高いことで成り立っている。それが偽賢者の石によって流通量を増やれると本物のルビーの価格が暴落、本物そっくりのルビーが出るとなると他の宝石も怪しむ人もいて宝石業界はおしまい。しかもルビーは込められた魔力が高いから、魔具の材料として錬金術師に引き渡される。それに魔力が低い偽物が入っていたら、研究がめちゃくちゃになる。
これはただのルビー詐欺事件でなく、まさしく『国家を揺るがす危機』というわけか。
「宝石の市場がめちゃくちゃになりますね。ではすでに市場に流通しているということになりますが」
「その通り。この賢者の石は私の工房から出た廃棄物で、本来なら調合法も全部きちんとした手続きに則り処分されるはずだった。だけど知り合いの鑑定士がこれを偽物と鑑定して持ってきたんだ」
「誰かが横流ししたということですか」
「叩きってやりたいほどにな」
ケビンが物騒なことを口にするが、一瞬腰にぶら下げていた剣の柄に手を振れていたから本気だろう。
「でもどうして私が」
「この偽の賢者の石を鑑定できた鑑定士は相当高齢な方でね、歩くのでさえやっとだ。ご老体に何百も流れているだろう偽賢者の石を鑑定するように鞭打つのはご無体だ。その鑑定士によると、偽賢者の石を判別できるのは僕が作成したルビーが偽物と判別できるほどの熟練の鑑定士でないと難しいと言ったんだ。それを頼りに探し回り、初めて偽物と判別できたのはあなたを見つけたんだ。それもたった一度見ただけでね。驚いたよ」
「そんなに驚くことなんですか」
「この一か月国中の宝石店やら個人鑑定士までも依頼して、何も成果がなかったんだ。それが年端も行かない娘が嬉々とした顔で見抜いたから詐欺集団の関係者か疑たからな」
今までの苦労を思い出したようで、どこそこの裏街で追いはぎにあいかけただの、馬車が壊れて野宿で過ごさなければならなかっただのをケビンはぶつぶつとうわごとのように呟いていた。
だがひっそりと驚愕していたのはキャラットの方だ。それほどまでに的確に判断できていたのかと自分の『眼』の力に改めて認識したからだ。キャラットの『眼』は手を覆うだけでその宝石の魔力の大きさや種類を直感で判断できる能力が備わっている。幼いころから持っていた力だが自分以外誰も持っていないから比較のしようがなかったが、まさか熟練の鑑定士に匹敵しようとは思いもよらなかった。
「それでだ。マクレガー殿、この国家の危機に君の力を貸してほしいというわけなんだが、私と一緒に来てくれるかい?」
「…………即決できかねます。店の仕事もありますし、店長にも相談しないといけませんから」
「すぐとは言わないよ。もし手伝うようであれば私の工房に来てくれ」
イシュガルドは持っていたお茶を飲みえてカップを下すと部屋を後にした。その後ケビンがキャラットに近づき。
「来るか来ないかはあんたの自由だが、『国家の危機』というのを忘れないでくれ」
とプレッシャーをかけて、彼の後を追うように部屋を出て行った。
***
「キャラット! 大丈夫? あの怖そうな騎士団の人にひどいことされなかった? まだ」
「何もされてませんから、離れてください暑いです」
イシュガルドたちが帰った後、ルイーダが抱き着いてきた。まるで赤ん坊を扱うように顔や頬や頭に傷などないか確認するのはそれほど大事にしてくれる裏返しであるのだが、反面構いすぎて恥ずかしい。
ようやくルイーダが離れてくれると、奥に下がっていたはずのグルシュナーの姿があった。どうやら騒ぎを聞きつけて出てきたようで。すでにルイーダから事情を聞かされていた。
「偽賢者の石がルビーとして市場に流通しているとは。厄介だなそれは」
「疑いのあるものはイシュガルド様の工房に集められているのですが、鑑定できる人が私と高齢の鑑定士しかいないらしくて」
問題だなと再びグルシュナーが唸ったのは、キャラットが店から離れることを懸念してのことだろう。前任の鑑定士が抜けた穴を補填しようにも同技術の人はめったにない、ましてやキャラットの『眼』はもしかしたら最高クラスの鑑定技術、穴は非常に大きい。
「そう言えば先ほどの、青い軍服の男だが名前は何と言っていた」
「ケビン・オーベムとおっしゃってましたが」
ケビンの家の名を聞くや否やグルシュナーの眼がカっと見開いた。
「オーベム家の人間か。確かミネルヴァ夫人の血縁のはず、その伝手を使えば今朝の失態を取り戻せるやも」
「店長そんな目的でキャラットを送り出すなんて!」
「宝石市場の危機なのはわかっている。だがこちらの見返りもなく奉仕するというのはもったいない」
「そういうことではなく」
ルイーダが必死に反対するのは、私の意向を完全に無視しているからだろう。だがこうと決めた店長は決して考えを改めないことをキャラットは知っている。
「わかりました。早ければ明後日にイシュガルド様の工房に赴きます」
どうせこれも仕事の一環、出世にも夢も持たない私にしがらみはない。
それに私をここまで育てて、拾ってくれた店長の恩もある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます