怪しいルビー

 ミネルヴァの屋敷から離れて数刻、ガタガタとひっきりなし湯れていた馬車が急に静かになった。舗装されていない田舎道から石畳の町トワイネに入った合図だ。

 サイリスタ国の中心街で人と物や金がひっきりなしに飛び交う商業と国の中心地であるこの町であるが、グルシュナー商会がある南側の住人のほとんどが商人と政府関係者とそれに従事する労働者ばかり。

 貴族は軒並み広い邸宅と庭を所望するので広い土地がある郊外に家を構えている。この町に住むには狭すぎるし、うるさすぎるのだ。ここに住む貴族と言えば道具さえあればそこは研究室であると豪語する錬金術師アルケミストだけである。

 馬車を降りて漆喰でできた縦に長い一軒家『グルシュナー宝石店』に帰ってきたのは夕暮れ時。荷物を置くとグルシュナーはシルクハットを帽子掛けにかけてキャラットに「今日の鑑定依頼分が終わったら上がってもいいぞ」と言い残して店の奥へ下がった。


「キャラットちゃん営業お疲れ。ご夫人と契約いけそうだった?」

「いやぁ。店長の顔を見ての通りです」

「だよねちょい不機嫌だったから」


 ひょっこりと受付から顔を出したのは受付兼見習い鑑定士のルイーダだ。キャラットよりも二つ年上で、働いている年数も彼女が上であるのだが、先輩後輩の間柄など気にせず話しかけてくれる。


「あんま落ち込まないでよ、人間得意不得意あるんだし。私なんて口と愛想笑いがうまいだけで鑑定士試験に何回も落ちたんだもの。その年で公認宝石鑑定士の資格を持っているのがあなたの才能なんだから」

「あはぁ。ありがとうございます」


 宝石鑑定士という仕事はたいてい三十代を過ぎた女性が担っていることが多い。キャラットのように十代後半で鑑定士の資格を持っていることはほとんどないのだ。ちなみにグルシュナーも一応鑑定はできるのだが、女性が持つ色彩の多様性にはやや劣るため、ほとんど経営だけに専念している。

 自信を持たせてくれるルイーダの言葉に、キャラットは詰まらせながら返した。鑑定士になれたのはキャラットが持っている『眼』のおかげだからとは口にできなかった。


「私もお店手伝ってもいいですか。他に受付の人もルイーダさんだけですし」

「いーよいーよ。もう夕方でお客も店頭にある宝石の売買しかないからでずっと暇だし。店長に言われていた分ちゃっちゃと終わらせて帰って寝てなよ」


 今日の仕事での失態を励ましてくれているのか、背中を押されて受付から追い出された。帰ろうにも寝ようにもまだ日が高いし、ゆっくりと宝石を眺めながら終わらせますか。


 自分の仕事部屋に入ると、テーブルの上にある最新式魔石燭台のコックをひねって人工的な白色の明かりを灯す。すると電気の光による反射で箱の中に入っていたルビーにトパーズなど大小の宝石たちが煌めく。どれもこれも商品として貴族たちに売れるか見極める代物だ。このいくつもある宝石たちを一つづつ装飾品として申し分ないか選別するのが宝石鑑定士であるキャラットの仕事である。


 装飾品として満たす基準は、加工や傷に光の角度などで判別される。たった少しの違いだけでも輝きや宝石に籠っている魔力の質も異なり、価格もゼロ一桁違うこともある。それを見分ける鑑定士の眼は宝石の運命を左右するため慎重になる必要がある。


 だがキャラットの『眼』は別である。

 宝石を手の中に入れて万華鏡を覗くように見ると、宝石が持っている魔力を判別できるのだ。技でもなんでもなくそういうを生まれた時から持っていた。ふつうは一つの宝石を鑑定するのに何分もかかる鑑定も、これさえすれば一発で判別ができると鑑定士からしたら涎ものな能力であるが、まるでズルをしていると引け目を感じていて『眼』のことはキャラット本人とグルシュナーしか知らない。


 だが普段の鑑定で『眼』はあまり使わない。一度に多数の宝石を『眼』で鑑定すると異様に疲れるのもあるが、この微妙に輝きや質が異なる石たちを自分の眼で眺めることがキャラットは好きだった。なのでその中に不合格品があるとちょっと寂しくなってもしまう。


「う~ん。これは不合格品だなぁ。ざんねん」


 手に取った小さなエメラルドに渋い顔をするキャラット。こうした装飾品として値しない宝石だ。こういう不合格品は、電気燭台など国家錬金術師たちが発明した魔力製品の動力源として使われる。しかし腐っても宝石、むげに投げ捨てる真似はせず、綿が敷き詰めた黒い箱の中に落とした。


 続いて別の宝石を手に取ろうとした時、受付から鑑定依頼用ベルが鳴った。この時間に来客とは珍しいがルイーダが応対するだろうと最初は無視していた。だがまた鳴っていたので受付に出てみると、ルイーダの姿がなかった。閉店間際の時間でもう客は来ないと思っていたのかタイミング悪く席を外してしまったのだろう。


「よかった閉店時間過ぎてしまったかと思ってたよ」


 細身で長身の黒のフードを被った青年が穏やかな口調で胸をなで下ろしていた。傍には紺の軍服を着た茶髪の男も共に入店していたが、軍服の男はなにやら品定めするかのようにじっくりと店内を見回してる。

 ああ、あの人か。

 以前に宝石の鑑定を依頼したときに国家錬金術師の人間であった。一度見たら忘れない、青年のフードの中から流れる緋色の髪と同じ色味をしている赤い目。まるで最上級のルビーを黒い布で大切に保護しているかのようで、その布の下でも彼の美しさは隠しきれえてない。それほどに美麗な男性である。しかしいつもはお伴の人を連れずに一人で来店していたと記憶していたが、今日はなぜか供を連れている。しかも閉店間際に。


「すみませんが鑑定士はいますか? こちらのルビーを鑑定してほしいのですが」


 鑑定? 錬金術師が?

 錬金術師が宝石店に来る目的は宝石の買い取りだ。それも装飾品として一番価値のあるものをごっそりと購入する。ただし、それは実験の材料として使うためである。高価な宝石なほど魔力が多く込められていることはわかっているが、それを鑑賞も吟味もせず適当に買う姿勢が気に入らない。それが鑑定依頼とか?

 怪しく思うが、顔出さないのも商売だと頭を切り替える。


「私が承りますが」

「君がかい?」


 錬金術師が興味ありげな顔をしてキャラットを覗き込んだ。若い鑑定士などほとんどいることがないから珍しいのだろうか。

 すると傍にいた軍服の男が眉間にしわを寄せてドスの利いた声で遮った。


「大事なものをお前のような若い娘に任せていいのか」


 カチンと来た。

 ズルい『眼』を持っているとはいえ、何十時間も勉強して合格した鑑定士の資格を持っていることには誇りを持ってはいる。


「私は国家から承認された公認鑑定士です。その国家からの資格を疑うというのなら、そちらの錬金術師殿の技量を疑うことになりますが」

「お前、イシュガルドを愚弄するとは」

「ケビン、君が悪いよ。ごめんねうちのお守り君は切れやすくて。こちらの宝石を鑑定お願いできるかな」


 深々とイシュガルドという錬金術師が頭を下げ、キャラットの手を取って謝罪した。そしてきらりと垂れた赤い目がフードの下から覗くと わあぁ。なんだろうこの人の眼、すごく落ち着くような優しい感じがする。イシュガルドが懐から改めて、白い布に覆われた大きめのルビーを受け取る。

 またルビー。昼間にミネルヴァ夫人のことでトラウマがあるけど、お得意様の依頼だからちゃんと鑑定しないと。眉間をぎゅっと抑えて気合を入れるとルーペを手に取る。

 輝きはまあまあ、加工はルビーの輝きを最大限に活かしてないし、削りに甘さがある。商品価値としては最低限ぐらいか。あんまり腕の良い職人ではないことはすぐに判断できた。

 けどこのルビーもまた違和感を感じる。今日はやけに違和感がある宝石と巡り合うなぁ。ミネルヴァ夫人のスピネルのような種類の違いでも、人工宝石でもない。というかそもそもダイヤモンド以外に人工ものはないけど。グルシュナーならこのまま鑑定結果を出して帰らせるだろうが、やはり気になる。


 自分の違和感を信じ、ルビーを手の中に包ませて『眼』を使う。


 手の中に広がる宇宙。そしてその中心の星となるのがルビー……え? この色合いは、ルビーでもなんでもない……!

 でもこれはとても大変なことになる。でも言わないと、とんでもないことに。

 震える手を押さえつけて、宝石を置くとイシュガルドに質問した。


「お客様こちらはどこで購入されましたか」

「これにおかしいと感じることでも?」

「その……ルビーやサファイヤなどの宝石ではないです。とても巧妙に細工されてますが、これはコランダム石です」


 コランダムはルビーやサファイヤが採れる鉱床で、クロムの含有量が多ければルビーが、鉄が多ければサファイヤになる。だがルビーがサファイヤに、サファイヤがルビーになることはない。なにより、ダイヤモンドと違いまだ人工的なルビーを作る技術など存在しない。

 そんな存在しないものが目の前にあることに、キャラットはしていた。


「一体どうやって、こんなすごいものをつくれたのか。作った人間に聞たいほどに正確な偽物で」


 突然キャラットの体が浮いた。横にいた軍服の男ケビンが胸ぐらをつかんで彼女を持ち上げていたのだ。


「おい、鑑定士。どうしてこれが、偽物だと一発でわかった!」

「ケビン、そんな怖いことしたら彼女が泣くだろ。落ち着け」

「俺の顔は指名手配犯顔だと言うのか」


 一体何が起きているのかわからなかったが、もしや自分はとんでもない地雷を踏み抜いてしまったのでは……

 一瞬で体が冷えていくのを感じると、店の奥からルイーダが戻ってきた。


「お待たせしましてすみませんって、あなたたち何をしているの!」


 キャラットが大の男二人に絡まれているのを見るやいなや、血相を変えてキャラットを引きはがし後ろに下がらせて守る。


「店の人か。この娘と話がしたい人払いできるところはあるか」

「な、なんですかあなた方は。営業妨害するのなら警察を呼びますよ」

「俺は国家騎士団のケビン・オーベムだ。で、こちらの方は国家錬金術師のイシュガルド。国家秩序にかかわる重要事態にかかわるので、しばらくの間この娘と話がしたい」


 ケビンが懐から取り出した金に輝く王家の紋章が入った勲章を突きつけると二人は青ざめた。どうやら私はまた余計なことを言ってしまったようだ。

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