宝石少女は緋色の石の夢を見たい
チクチクネズミ
第一章 宝石鑑定士キャラット・マクレガー
宝石商の難しさ
貴族との取引は大変だ。
どんなに必死に国家試験を受けたとしても、金を稼いでいたとしても貴族と商人という身分の前ではそんなもの関係ない。王族・貴族は一番、それ以外は下。そこに逸脱しないのは当然というのが世界の理として横たわっている。
数年前まで鉱山の町娘だったキャラットは宝石店の店主に才能を見出され、嫌というほどその現実を目のあたりにしてきた。それでも生きるためにはこの理を受け入れなければならない。
さて、今日も失敗しないよう営業スマイルスマイル。
身分の低い商人が貴族に宝石を見せるときは、床に膝をつきながら、両手を掲げてテーブルに宝石を載せて献上するという形式で差し出さなければならない。ゆっくりとキャラットはマホガニー材のテーブルに一つ一つ宝石を置いていくと、そこに鎮座する夫人が宝石を見て笑みを浮かべる。
毎度のことながら、こんなものと自尊心を満たす以外に意味はないだろうにと元庶民のキャラットであるが、表は商売用の笑みを作りながら心の中でいぶかしむ。
「奥様こちらの宝石、ガーネットでございますが」
「ええ、美しい色合いに申し分ない加工。いいわね私にぴったり」
「それからこちらのオパールは」
「それもいいわ。買った」
店長であるグルシュナーの話を最後まで聞かず、本日の顧客であるミネルヴァ夫人は即決で黄色と空色の宝石がはめられたリングを掴み上げた。
宝石には力がある。石から生まれる宝石たちには権威、権力、財産、魅力、美などの力が付与されている。どんな人間でも宝石から放たれる七色の輝きに魅了され、続いて金額でめまいを起こす。それが時に人を狂わせる。
特に貴族たちはそれ以上に宝石に込められている魔力に惹きつけられている。宝石の魔力は自身や家に力を与える強い力を秘めており、貴族たちはより強力な魔力の恩恵を受けるため大きな宝石を買い漁り、終いには権力争いまで発展することもしばしばある。
宝石商に仕えるキャラット・マクレガーはそんな宝石に魅了される人間をたびたび見てきた。だが中にはただの装飾品としかみない貴族もいることも知っている。彼女は典型的な金持ち思考の貴族だ。そしてそういう思考をする貴族はたいてい物の扱いが粗雑であることも。しばらし膝をついてお辞儀の姿勢を続けていたキャラットは我慢ならず立ち上がり、宝石を素手で掴んでいるミネルヴァ夫人の手を握った。
「奥様、お気を付けくださいませ。宝石は傷みやすいもの、こうして柔らかい布で扱わないと色が損なわれます」
店で何度も練習した言葉を練習どうりに口にして、取り出したシルクを皺が入った夫人の手ごと優しく包み込む。そして笑顔も忘れずに。
「あらお気遣いありがとう」
「いえ奥様ほどの高貴な方ならばこそです」
と建前では言いつつも、宝石を買うならそれぐらいの知識持っておきなさいと心の中で毒を溜める。
「友人の紹介で招いてみたけど、すばらしいわね宝石も人も」
「ありがたき幸せ」
クルシュナーが膝を折ってお辞儀すると、キャラットも合わせてスカートの裾を少し上げながらお辞儀をする。
いつになってもこのしきたりは慣れないな。早く終わってご飯にしたい。
普段の仕事場ではスカートは邪魔になるので動きやすいズボンを穿き潰していたので。気にしているのは久しぶりのスカートだから裾を上げすぎていないかなと素足が露出していないか気にしていた。
「ガーネットは豊穣をオパールは隠れた才能を引き出す加護がありますので、ミネルヴァ家はますますの繁栄を遂げることでしょう」
「あら素敵だわ。今後もあなたの所でお世話になろうかしら。そうだわ、そこのあなた」
「はい、奥様」
「あなた色々な宝石に詳しいそうね。うちにある家宝の宝石も見てもらえないかしら」
宝石商なんだから宝石に詳しいのは当たり前だというのは置いといて、家宝の宝石という言葉に心惹かれた。幼いころから無知な人間は嫌いだが宝石は好きだった。特に本の中でしか見たことがない宝石が自分の目の前に見せられると、自分が手にしたかのように興奮してしまうぐらいに。夫人がベルを鳴らすと、奥から使用人が装飾が入った小さな箱を携えてテーブルの上に置いた。
箱自体は木製の年代物でだいぶ古びていて輝きは失っていた。だが蓋が開かれると、中にあった
「私が十代の頃に親から買ってもらったルビーのネックレスよ。こんな大粒のルビー今の出回っているものと比べても負けはしないでしょう。私が最初にもらった古い宝石だからかしら、最近色がにぶくて舞踏会に持ち歩けないのよ」
「わかりました。
手袋をはめてルーペを片手にルビーを眺める。
加工は二、三十年前のモノだから甘い部分があるけど今の社交界につけて行っても劣らない。輝きが鈍っているのは表面の脂質汚れが付いているせいね、この夫人のことだから素手で触っては手入れをしなかっただろうに。
だけどこれは……本当にルビー?
見た目は間違いなくルビーのようではある。だが何か違和感を感じていた。削りとか輝きとか硬度とかそういった宝石商たちが培ってきた目視の技術ではない、違和感。
キャラットはルーペを外し、ネックレスを手の中に包み込み指二本を折ってそれをルーペのように覗き込む。暗い手の中で紅玉は鈍く赤々と輝きを放つと、宝石の周りに茜色の光が見えた。
ああ、やっぱり。宝石から手を離して、ミネルヴァ夫人の前に差し出して鑑定結果を伝えた。
「こちらの宝石ですが、表面に脂質などの汚れが溜まっているため輝きが鈍っているようです。掃除をすれば前のように輝きは取り戻せるでしょう。ですが、これはルビーではないです」
「え?」
「はめられているのはスピネルといううちの業界では『鏡のルビー』と言われるほど、よく間違えられる宝石です」
「で、でお母さまは最高のルビーだって」
「しかたありません。素人が見てもわからないですから親御様の目利きではどうしようもないです。ですがスピネル自体は美しく の加護もございます のでどうか大切に」
「マクレガー!」
瞬間、後ろからグルシュナーの叫びが上がった。
「も、申し訳ございません。口が出すぎたようでこちらの宝石の洗浄はただでやらせていただきます」
「それぐらいはしてもらわないと」
先ほどまで機嫌が良かったミネルヴァ夫人が一転してフンっと鼻息を鳴らして扇で顔を隠してしまった。
あ、また私やってしまった……
夫人のネックレスを預かり、店に戻る馬車の中でグルシュナー腕を組みながらキャラットに向けて眉間にしわを寄せていた。
「まったく今日はいい調子で夫人の機嫌を取っていて優良客になりかけていたのに。最後の最後で化け猫の皮がはがれよって」
「すみません」
「ああいう場合は不都合なことは伏せて、褒めるだけでいいんだ。あのご夫人は宝石をただ自分を飾り付けるための装飾品としてしか見ていない上客だというのに」
ただのカモとしか見ていなかったのかと内心呆れるキャラット。
「まったく。お前の目はどの宝石商よりも最高に優れているというのに。あとはその庶民染みた口調とスイッチが入ると周りのことが見えなくなる癖さえなくせば、宝石商として恥ずかしくない地位につけやれるのに」
キャラットの出世意欲の乏しさに口ひげを揺らして、グルシュナーはため息を吐く。この国有数の宝石商である『グルシュナー商会』でふさわしい地位ともなれば、家を買えるほど給料がもらえるだけでなく、他の業界の人脈作りなどの面で一目おかれる存在になれるほどで他の従業員が血眼になって業績を上げていくほどだ。
だがキャラットにはそんなもの興味なかったがとりあえず「改善いたします」と反省の意を示すようにした。元々あまりお金を使わないため実家に送る分を引いても生活に支障はない。故郷である粉塵と煤が飛び交う鉱山の町での生活に比べたら、きれいなものに美味しいものにあふれかえっていてはち切れそうだ。
好きなものである宝石もまわりにあるため自分は満たされている。それで十分贅沢だ。
けど、このままでいいのかな私。
田舎道を走っていく馬車の車窓に揺られながら、将来の展望を抱けずぼんやりと眺めていく。
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