転居先は工房街

 イシュガルドとの出会いから数日後、まだ鳥も起きだす前の時間にキャラットは下宿から出発しようとしていた。工房は街の西側あり、店から歩ける距離であったため付き添いは不要だと伝えたのだが、「あの錬金術師、キャラットを大事にしてくれるか疑わしいからついていく」とあの二人のことを信頼していないようで譲らなかった。


 私のために時間をつくらなくてもいいのに、それよりもルイーダには鑑定士試験の勉強を優先させてほしいと思い、出発する時間より早めにこっそりと一人で行こうとした。

 荷物の整理はすぐに終わった。元々物欲がなく必要最低限のものしか買わないと、同じ年ごろの娘としては非常に少ないため着替えを含めても大きなバッグに収まるほどだ。静かに下宿から降りて扉を開けると、目の前にルイーダが仁王立ちして待ち構えていた。


「やっぱりね」

「ルイーダ!? なんでこんな朝早くから」

「それはこっちの台詞。あなた変なところで遠慮するだろうから先回りしてみたらと思って」


 ズンズンとキャラットを逃さないように下宿の石壁に追い込んで、ルイーダが迫る。いつもは穏やかな目じりをしているルイーダの眼が吊り上がっているのと、いつにない剣幕でキャラットは慄いていた。


「わざわざついてこなくても私はいいんですから。ほら荷物も少ないし、言われた工房だって近いから」

「そういうのは不要な遠慮っていうの。女の子一人で怪しい男の所に行かせるなんて見過ごせないんだから」

「イシュガルド様たちは身分は確かな人ですが」

「そういう意味じゃない。そもそも確かな身分の人が女の子の胸ぐらをつかむなんて非常識よ。そんな人たちの中に一人で行かせるなんて私が許さないから」


 腰に手を当てて指さすルイーダ。

 迷惑をかけないようにしたのに、逆に心配をかけてしまったな。ルイーダの優しさに心がいたたまれながらも、差し出されたその手に大人しく従った。


***


 街の西側にある区画に入ると、町の様相が変わってきた。商店や役所などの外観がきれいに整えられている中心街とは違い、あちらこちらの工房から職人と思わしき人々がひっきりなしに往来している。それは工場のように見えたが、様子が違う。違う建物にいた人が、品物をもって隣の工房に入ったと思ったらまた別の工房に顔を出す。まるでこの区画一帯が巨大な工房のようで、キャラットが生まれ育った鉱山の町を彷彿させた。

 そしてイシュガルドの住む建物はひときわ巨大なダークブラウンの煉瓦レンガ造りであった。一般的な錬金術師ならば建物一棟に何人のものの錬金術師が共同で住んでいるのだが、イシュガルドの場合はこの建物すべて彼のものだという。イシュガルドの紹介で来たと通してくれた人も共同ではなく彼の職員というのだから、彼の地位の高さが見えてくる。


 応接室に通されて早々、イシュガルドがこの前と同じくフードを被ったまま入ってきた。ただ前回と違い、髪の毛は跳ねてどこか急いできたように感じた。


「やあ、来てくれたんだね。お付きの人もご苦労様です」

「いえいえ、うちの商店の大事な看板娘兼鑑定士ですから。それに、そちらが相応の待遇をしているか拝見しに参っただけです」


 キャラットの代わりにルイーダが挨拶をした。やはり受付で上流階級のお客と格闘しているだけあって、にこりと柔らかい笑みの中に口からとげが飛び出している。それも朝の時よりも鋭く、警戒心がビシビシだ。なにせ看板娘などとたいそうな言葉を使って牽制しているのだから。


 だがイシュガルドも上流階級、にぶいわけではなく苦笑しながら「もちろんです」と軽く添えて。


「マクレガーさんは国の大事にかかわる人ですから、個人の部屋を用意させています。よろしければ見学してご不満でしたら、お住まいも変えますが」

「どうも感謝いたします。ですがまずは件の偽の賢者の石をお見せくださいますか」

「それはまた夜にしよう。私はもう寝る時間だから」


 ……? 私の聞き間違いだろうか、まだ太陽が夜から戻ってきたばかりの時間のはず。部屋の奥に置かれている黒塗りの振り子時計を見てもまだ朝方に違いなかった。


「私は夜型人間だからこの時間には寝るからね。五時ごろには起きるから」


 イシュガルドが席を立つとふぁっと軽くあくびをして部屋を出て行ってしまった。

 五時って、午後の五時!? 完全に昼夜逆転を起している。警戒していたルイーダもまさか会って早々寝るために退がるとは予想しておらず、口に手を当てて驚きを隠せていなかった。

 

「錬金術師って噂通り変人なのね」

「噂?」

「いつも錬金術師は苦手だって言っているのに、噂のことについて知らないの?」

「錬金術師が苦手なのは、宝石を確認もせずにとりあえずごっそり買い込むのが苦手なので」

「ああ、まあそれは私も苦手ね。買ってくれるのはいいけどあれはねぇ。で、噂のことなんだけど、錬金術師って職業的には優れた人ってされているのよ。でもそれは変人であることを隠すための方便だって。あの宝石買い漁りは序の口で、部屋を一部屋丸ごと爆発させたりとか、合成生物を作り出そうとして牢屋に入れられたりとか」


 ……いろいろな意味でろくでもなさそうだ。だから心配してついてきたわけだ。


 用意された部屋に上がると部屋が三つもあり、自分の下宿先の部屋よりも広くしかもベッドやキャビネットなどの家具が一式きちんとそろっていた。ルイーダに脅されて急に用意したわけものではないのだろう。

 荷物の中身を移し替えようとカバンを開くとと、ルイーダがカバンの中身を見て飽きれた表情をした。


「荷物これだけなの?」

「はい、長居するわけでもないので荷物は必要最低限に」

「いや下着と服しかないのは最小限すぎるでしょ。化粧品も少ないし」


 荷物を入れてみるとキャビネットの引き出し一つで収まるほどの量しかなく、空気しか入っていないのは寂しく見える。ポリポリとルイーダが頭を掻いて困惑している。


「とりあえずこのキャビネットを埋めぐらいにはものを入れとかないと。次来るとき私の化粧品とか古い服とかあげるから」

「またここに来るの。わざわざそんなことしなくても」

「いいから受け取りなさい、あなたには物欲がなさすぎるのよ。清貧が良しなんて僧侶で十分。女の子は欲張りで生きて行かないと。じゃあ、そろそろお店に戻らないといけないから今日は買えるけど、時々顔覗くから」

「うん。ありがとうルイーダ」


 ルイーダが去って行くのを窓から見送ると、ベッドの上に体を預けた。

 下宿のと違ってふかふかで、ちょっと寝にくいかな。調度品も全部いいものが揃っているし、どこか落ち着かない。なんだか最初にグルシュナーさんと一緒に下宿に足を踏み入れた時のことを思い出す。

 あの時も荷物が少ないことにグルシュナーが目を白黒させていた。


「荷物はこれだけか。服とか全然ないが」

「はい! あとはこっちできれいなのを買いますから」


 閉鎖的な鉱山の町に生まれ育ってきたキャラットが偶然町の宝石市で出会ったグルシュナーに、キャラットの『眼』に宝石が鑑定できる才能があると見出された。あの時は外の世界に出られるとうれしく思った。自分は鉱山の娘として終わることなく外の世界で羽ばたけると、無邪気に思い込んでいた。

 自分の力で何でもできると思ってた。

 自分で力を付けてきたもので戦えると。


「ああ、これはだめだな。古いし使い物にならないよ」

「マナーがなっていません」

「言葉遣い! 書き方! すべてダメだ!」


 急にふつふつと過去の言葉が蘇ってくると、胸の奥が縄で締め付けられるように苦しくなりだした。今のことを忘れようと布団を被った。


 朝早く起きた反動からかていつの間にか眠ってしまい、起きたころにはイシュガルドが起きる時間だった。

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