第6話 コード・6666
女は買い物が長い。ずっしりと重い複数の紙袋を両手に下げたレオナは喉から出た言葉を飲み込んだ。これを口に出すと今の時代は女性差別だと声高に糾弾されて最悪社会的に殺されてしまうからだ。それぞれの紙袋には店のロゴが印刷されていて、婦人服専門店、生地屋、靴屋など様々だ。ほぼ黒づくめで、カート・コバーン風な黒髪の男がそんなものを持ってショッピングモールの噴水前でつっ立っている姿は目立ちやすい。実際に道行く人の半分はこちらをチラチラと見ては通り過ぎていく。彼はそんな視線に耐えながら買い物の長い「待ち人」を待ってやらねばやらなかった。
「レオっちー!待たせちゃってごめーん!」
ようやく買い物を終えて店から出てきた待ち人にレオナは安堵のため息をつく。
「遅ぇんだよ。シャツ一枚買うのにどんだけかかってんだ」
「いやー、元々欲しかった奴とは別にいい感じのがあったんだけどね?予算的にどっちかしか買えないから悩んじゃってさー!」
「んなもんどっちだっていいだろ。別に今買わなきゃ死ぬわけじゃないし」
「あーっ、デリカシーの無い発言。イケメンポイント、マイナス一!女の子にとってファッション選びは一大事だって知らないの?」
「いつの間にそんな意味の分からないポイントを制定したんだよ」
この日、レオナは駅前のショッピングモールでマナミの買い物に荷物持ちとして付き合っていた。先日の貸し一つを返すためである。何でも部活に必要なものの買い出しと、個人的な買い物を兼ねているらしい。
だったら部の友達と来ればよかったんじゃないか、と指摘したがマナミは「だってみんな忙しくて来れないって言うんだもん!掛け持ちしてる部の用事とか、読み溜めてたラノベの続き読みたいとか、読モの仕事とか…必要な物リストアップするの大変だったんだよ?!」と不貞腐れていた。彼女が何部に入ってるのかは知らないが、レオナにとってはさして重要なことでも無いので知りたいとも思わない。
「まあでもさ、レオっちも役得じゃん?こんな美少女とデートできるなんてさ」
「別にデートって思ってないんだが。それよりお互いの知り合いに見られたら色々と噂されないかが心配だよ」
「もう、レオっち本当に枯れてるんだから!ま、その時は友達の兄貴の友達って言っとけばおけまるって事で!」
「逆に嘘くさく聞こえるぞ、それだと」
嘘はついていない。マナミは元々、レオナの馴染みのバンドのメンバーと知り合いだった。彼女の友達の兄がそこのボーカリストだからだ。打ち上げにも何度か顔を出しており、その天性のコミュ力を活かして酔っ払った初対面の大人たち相手に素面で打ち解ける姿をレオナは何度も目撃している。そして彼もまた、そんなマナミのペースに巻き込まれていつの間にか友人となって今に至る。ただ、今日のように知り合い程度の男を買い物に付き合わせたりとたまに距離感がバグりがちなのが心配だが。
一通りの買い物を終えた二人はショッピングモールのすぐ外にある広場で小腹を満たすことにした。レオナが移動販売車のクレープ屋のカウンターからクレープを二つ受け取ると、すぐ近くに設置されたパラソル付きのテーブルの下で席を取ってくれていたマナミに手渡す。
「ほれ、お前の分」
「おっ、サンキュー!」
レオナには女子高生が好むクレープの事なんてさっぱり分からないからマナミが要求した長ったらしい名前の商品(注文の際、けっこう噛んだ)と同じものを注文した。所謂お揃いという奴だ。
マナミは早速やたらサイケな色のクリームとフルーツを包んだ奇妙なクレープを一口だけかじると、たちまち恍惚に満ちた笑顔になった。
「いやー、一度食べてみたかったんだよね!この新発売『バイバイ!素晴らしきフレッシュ・カラフル・クリームの世界とストロベリー&ピーチ&アップル&バナナクレープ』!マジでトビそー!!」
なんつー頭のおかしい商品名だ。メニューを考案した奴を尋問したいくらいだ、と思いながらレオナも一口かじる。
結果、なんとも言えない難しい表情になった。
「…味は悪くねえけど…」
フルーツはさておき問題はこのやたら極彩色のクリームだ。着色料がどれほどなのか知るのが怖いぐらいだが、それ以前にとても甘い。甘すぎる程だ。一本食べればもう十分だ。たまにならいいかもしれないけど、毎日食ってたら確実にデブ一直線なのは間違いないだろう。
「そういやさー、最近はどうしてんの?バンド。新しくメンバー探してるって聞いたけど」
「まだ決まってねえよ。…取りあえず、ベースは当てがなくもない」
そう言ったレオナの脳裏に浮かんだのは、ルカの顔と彼のベースプレイだ。彼とバンドをやりたいという欲求はあれ以来日増しに大きくなっている。よそのバンドに取られる前にどうにかして早くコンタクトを取りたいものだ。
「今度はすぐ解散しちゃわないメンバー見つけなよ?アユミの悲しむ顔とか見たくないし」
「ああ、分かってるよ…」
そう呟いたレオナがふと向こう側の通りを見ると、あるものを目に捉えた。
「ん?」
それは一軒の店だった。
雑居ビルの一階に入ったテナントで、どことなく陰鬱な雰囲気のとても年季が入った洋風の店のようだ。
街路樹と往来する人々のせいでよく見えなかったが、入り口のすぐ横の大きな窓はショーウィンドウになっており、そこにはアコースティックギターが一本だけ飾られているのが見える。そう言えば、前に金に困って自分のアコギを一本売っぱらってしまったのを思い出した。
レオナは残っていたクレープを頬張るとよっこらせと立ち上がった。
「どうかした?」
「悪いマナミ、ちょっと見たいものが出来たからここで待っててくれるか?」
マナミを置いて足早に辿り着いた通りに、その店はあった。
見たところ、こじんまりとした雑貨屋のようだ。茶色と黒を基調としており、シックで小洒落ているが古めかしい外観はどこか昔の洋食屋か、西洋のおもちゃ屋を連想させる。確かにショーウィンドウには窓ガラス越しに古いアコギが一本飾られていた。
見たところ、とても古いギターである事は明らかだ。
弦は張られておらず、塗装は色褪せてるだけじゃなく所々剥げている上にボディのあちこちは傷だらけだ。相当弾き込まれたものに違いない。推定何十年もののヴィンテージにも関わらず状態はとても良さそうだ。
スタンドの下には値札がかけられている。
「Used/¥6666」
何て縁起の悪い数字だろう。
ギター越しに店内の様子は薄暗いせいでよく見えない。扉のガラスも埃と蜘蛛の巣に覆われた磨りガラスで、窓枠の中に赤と青と黄色の磨りガラスがパズルのように不規則にはめ込まれていた。
上を見上げると店名の入った看板が掲げられている。
『リサイクルショップ ・カーミラ』
レオナは眉根を寄せた。
「…これがリサイクルショップって見た目か?」
よくて雑貨屋か骨董品屋と言うべきだろう。あるいは、もっといかがわしい何か。
例えば、どこかの金持ちが法に触れる何かを役人から隠すために売り払うと言うもの。そんな映画があった気がする。何とか横丁の何とか&何とかって店だったか?戻ろうかと思ったレオナだが若い彼の興味と怖いもの見たさの好奇心がそんな理性を眠らせた。
一度ぐるっと見渡して、ギターも見て、ヤバいと思ったらすぐに退散しよう。そう心に決めて扉に近付き、木製のドアハンドルを押して開けた。
チリンチリン!と来客を告げる風鈴が鳴って、高鳴る心臓を押さえながら店内を見渡す。まるで異次元に迷い込んだかのような違和感をレオナにもたらした。黄ばんだ、陰気な灯りに包まれた昼間でも薄暗い店全体には怪しい空気が充満しているし、奇妙なお香の臭いもして段々と自分の中の現実と常識がぼやけてきそうだ。
店内は所狭しと様々な商品が陳列されている。店自体はそんなに広くはない。このような場所には不釣り合いな例えかもしれないが、このゴミゴミした感じは子供の頃によく行った近所の駄菓子屋を彷彿とさせる。
壁には古い時計がいくつも並び、どこの誰が描いたかも不明な名状しがたい絵画、そして古い鏡。柱にはどこの民族のものかも分からない歪な仮面がかけられていた。壁際の棚には古い皿や壺などの陶器、大人の腰ほどの高さのガラスケースには宝石と指輪。ふと横の棚をを見ると、髪が伸びきった、能面のような顔の日本人形と藍色の扇子。その横には藁人形。
何と言うか、世界中のホラー作品の小道具の展覧会のようだった。高校や大学のオカルト研究会だったら喉から手が出るほど欲しがりそうだ。
「これで、『ヴァージン・キラー』や『アペタイト・フォー・ディストラクション』の発禁版レコードとか、実際にソ連で売られてた『肋骨レコード』とかがあれば違ったのにな…」
などと呟きながら店内を物色していると、突然どこかから人の気配を感じた。
「何かお探しですか?」
誰かに話しかけられた。レオナは思わずビクリと小さく体が震えた。
声のした方向を向くと、先ほどまで誰もいなかったレジカウンターにいつの間にか人が立っていた。
「えっと…もしかして店員さん?」
「ええ、正確には店主だけど」
その女は全身を黒ずんだ紫色のローブですっぽり覆っており、フードは目深で微笑をたたえた口元しか見えない。肌は死人のように白く、唇には毒気を感じるパープルリップが引かれている。ちょうどアニメや漫画でテンプレ的に描かれる占い師や魔女に似ている。
だが何よりも彼女からは、ある者はその場にいるだけで魅入られてしまいそうな美しさと妖しさ、ある者は接するだけで気圧されて恐怖してしまいそうなこの世の物ならざるオーラと認識されるであろう存在感があった。
「此処で出会ったのも何かの縁。ゆっくりご覧になっていって?貴方のような若いお客様も珍しいし…見学だけでも歓迎よ。私だけじゃなく、ここの商品達も」
歓迎しなくていいから。というかこいつらだって別に歓迎してないように思うのだが。あそこの仮面を見てみろ、『帰らないと呪い殺すぞ』って顔だぞあれは。あのムンクの叫びを歪めたような絵画だって殺意ムンムンだろ。
レオナは色々文句を浮かべたが口に出てこない。
「人と人の間には引力があるってどこかの吸血鬼や神父様も言ってたでしょ?」
人気漫画のネタを使ってフレンドリーアピールするな、とはあえて言わなかった。否、言えなかった。この女の声と言葉には、聞く者を逆らわせない圧力があるのだ。
女は容赦なくセールストークを続ける。
「実はここ、出張店舗なのよ。本来は別の場所で営業しているんだけど今はちょうど期間限定でこっちに臨時オープンしてるって訳」
「ふーん…因みに別の場所って?」
レオナの興味本位の質問に女はニヤリと笑った。
「…異世界の東京って言ったら、信じる?」
異世界と来たか。この手の店にしては新しい冗談だ。
「ああ信じるよ、異世界の東京ね。俺も先週行ったぜ。いい所だよ、何と言ってもあそこのラーメンのカメムシみたいな味が好きでね」
でたらめで適当に流しても女は「面白い坊やね」とクスクス笑うのみだった。面白いのはあんたの頭の中身だ。
「しかし本当に、色んなものがあるな…だいぶ偏ってるけど」
どこの国かも分からない国章が縫われたタペストリー。
血痕の付いたロザリオ。
右手と左足の欠けた土偶。
馬の絵が描かれたブリキの戦闘機。
カブトムシの刻印が入ったルービックキューブ。
つぎはぎだらけで禍々しいデザインのテディベア。
サビだらけで使えそうにないジャックナイフ。
とても古いおもちゃのペアリング。
精巧な彫刻が施された金色の燭台。
ひび割れたサングラス。
アンティークの星座早見盤。
毒々しい紫の真珠が散りばめられた蠍のようなデザインの首飾り。
真っ黒な水晶玉。
それらを見渡してレオナはうーん、と頬をかいた。
「胡散臭い品ばっかりだな…どう見ても詐欺っぽいのもあるし。ま、予想はしてたけど」
「うふふ、それがいいってお客様も多いの。そうそう、本も置いてあるわよ」
「本?」
カウンターの脇に『書籍コーナー』とある板が天井から吊られた棚が立っていた。
近付いてみるとどれも古く、分厚い本ばかりだ。一冊を手に取って開いてみると、見た事もない文字(ラテン語と思われる)がおどろおどろしい挿絵と共にびっしりと並んでいた。英語は少しだけ得意(洋楽の歌詞で覚えた言葉に限る)なレオナも即降参するレベルだ。そう思ってそっと本を閉じ、棚に戻した。
「すまねえ、ラテン語はサッパリなんだ。…参考までに質問したいんだが、この辺の本はどういったものなんだ?」
すると女は人差し指を頬に当てて少し考えるような仕草をした。
「うーん、そうね…上からラジエルの書、アルマデル、グラン・グリモワール、術士アブラメリンの聖なる魔術の書、ネクロノミコン…」
「やべえやつばっかじゃねえか!しかも最後の存在しちゃちゃいけない奴だろ!」
レオナは青ざめた。もうやっぱり帰ろう、気味が悪い。これ以上ここにいたらおかしな気に当てられて絶対精神に異常をきたしかねない。まったくなんでこんな店に入ってしまったのか…。
「えーっと確か、クレープ食ってたらショーウィンドウにギターを…」
そうだ、思い出した。元々自分はここにギターを見に来たのだ。それなのに意味不明な骨董品にばっかり気を取られていたとは。自分をそうさせるだけの「魔力」は認めざるを得なかった。
「えっと、俺さ…本当はあそこに飾られてるギターをたまたま見つけてきたんだ」
レオナは外で見たあのアコギを指差して言った。だが、まるで花瓶を割った言い訳をする子供のような気まずさだ。
黒いローブの女は顎に指を当てる。
「アレが気になるの?」
レオナが頷くと女は小さくため息をつき、カウンターを出てショーウィンドウの役目を果たす出っ張った窓際に飾られたギターを手に取り、レオナに手渡した。
外で見た通り、とても古く傷だらけで所々剥げた色褪せている塗装。製造からかなりの年月が経っているはず…だが、よく見るとペグ、フレット、ブリッジと言った金属パーツだけは状態が新しい。恐らく、過去の持ち主がフレットを打ち替えたり、ペグを交換したりと手を加えたのだろう。だから6666円と安いのだろうか?パーツも当時のもので同じ状態だったらもっと値は張っていたかもしれない。
「それ、ついこないだ入荷したばかりなのよね」
女はレオナと違ってギターにそれ程興味はなさそうだった。
「売った人は『こいつは悪魔のギターだ』と言っていたわ。査定してみたけど古物としても金銭的価値はほぼ皆無のボロギターね、ブランドも分からないし。でも『いくらでもいいから買い取ってくれ』の一点張り」
レオナは再びギターの方に向き直り、しばらく見つめた。
「…悪魔のギター、か…」
「随分と興味がおありのようね?」
「興味があるっつーか…今ちょうどアコギが必要で、これがお眼鏡にかなったってだけだよ。悪魔云々は…まあ、話のタネ程度には面白そうだし」
レオナ自身は神も仏も、ましてや悪魔も大して信じてはいない。だが祟りや縁起、運命めいた何かは信じるというこの国の国民としてはごく普通の感性、宗教観の持ち主だ。だからこのギターにあるであろう逸話も眉唾程度に捉えている。クロスロード伝説のようなロックが絡むエピソードは好きだが。
「そう……で、もしかしてそれ、買うのかしら?今ならハードケース付きで6666円よ。一応ジャンク品だから品質と貴方の身の安全に保証は出来ないけどね」
女は意地悪く、クスクスと笑った。
会計を済ませ、ハードケースを片手に店を出ようとドアに手をかけた瞬間、自分の真後ろに立つ女に気付いてレオナはまたしても驚きで「うおっ!」と飛びのいた。
「お買い上げいただいたお客様はお見送りしなくちゃね?」
「だとしても急に後ろに立つなよ…心臓に悪い」
「うふふ、よく言われるわ」
だったら直せよ。
店の外に出ると、レオナは大きく深呼吸をした。胸に新鮮で清浄な空気が取り込まれ、台風一過の朝、熟睡して目が覚めるような爽やかさだった。自分はあの陰鬱で奇怪な店の中で奇妙な夢か幻覚を見続けていたのではないか…とも思う程だった。
元いた広場の方を見ると、マナミがテーブルで大きく手を振っている。
「では、どうか貴方がそのギターにとって最高の持ち主となる事を祈っていますわ。本日は『悪魔のギター』のお買い上げ、ありがとうございました」
女は深々と頭を下げた。レオナは困惑しながらも、マナミが待っている広場に通じる横断歩道へ、逃げるように走り去っていった。渡る直前、振り返ると女はそこに変わらず立ったままこちらをじっと見つめていた。
まるで、レオナを監視するかのように。
自宅のベッドに寝転がりながらLINAを見ると、桜子から連絡が来ていた。
『今日は対バンだったよ!』
そんな短いメッセージの後にトイッターのリンクが貼られている。
開いてみると彼女のアカウントで、ライブの報告がつぶやかれていた。
『マーブルレインにておやっさん快復記念!「HEALTH CAREツーマンライブ」が無事終了しました!対バン相手の「夜のシジマ」さん、凄い演奏技術で感激!私も圧倒されちゃいました!!最後はSEX PISTOLSの「God save the queen」で大盛り上がり!!!おやっさん、もう歳なんだから腰は大事にね!』
ほんのり毒を含むつぶやきに画像が添付されていた。
ステージで高らかに歌う桜子。
夜のシジマのメンバーとの写真。ギターボーカルはオレンジ色のベリーショート髪の明るい雰囲気の女性、ベースはサングラスでパーマの男、ドラマーは朗らかな雰囲気の若い男だった。
ビール片手にぎこちなく笑うアロハシャツで赤ら顔のおやっさん。
打ち上げで出演者みんなでジョッキを掲げる写真。
レオナはため息をつきながらスマホを閉じた。
夜のシジマの名前は聞いたことがある。どっかの同人サークルのドラマCDの音楽を担当したり、役者経験のあるメンバーが声優として参加したりで話題になり、メジャーデビューも近いと噂の技巧派フュージョンバンドだ。
「俺もなんとかしなくちゃな…」
そうつぶやいてスマホを脇に放り投げ、同時に体を起こした。
そして見つめたのは、壁にかけたギターケースだ。リサイクルショップ、カーミラで買った『悪魔のギター』。
店の空気に当てられたせいで感覚がマヒしていたのだろうか、ギターそのものが発する魅力のせいだろうか、思わず衝動買いしてしまった、魔導書や呪物っぽい物が溢れ返るあの手の店に不釣り合いなギター。
破格の値段とは言え、ミュージシャン志望のフリーターには少し大きな出費だ。
レオナは立ち上がるとそのケースを開き、件のギターを手に取って改めて観察する。「とりあえず、弦張るか…」
レオナは慣れた手つきで数十分かけて弦を新品のものに交換した。
ギターは音を鳴らす物だ。そして音は弦を張らなければ出ない。悪魔、呪い云々はさておき一度手にしたからにはちゃんと弾いてやるのが楽器への礼儀だろう。
交換したての弦を手で引っ張り、新品特有の音の狂いやすさを解消する。そして改めてチューニングし直したところでレオナはEコードをゆっくり、優しく鳴らした。
部屋の中に味わい深い音が響き渡る。うん、悪くない。寧ろとてもいい。
金のないレオナはヴィンテージ物の楽器など到底買えない。精々楽器屋で試奏するか、人に借りて弾かせてもらうのが関の山だ。だから年代による音の違いなどほぼ分からないに等しい。そんな彼でも「このギターは良い音を出す」と分かった。
よし、今度は軽く一曲弾いてみることにしよう。
自分の曲でもいいが、往年の名曲を弾いた方がギターの味を堪能できるだろう。
そう思って弾き始めたのはOasisの「wownderfall」だった。
ドンッ!!
隣の部屋の住人が壁を殴る音でレオナは我に返った。
気が付くと時計は既に午前2時過ぎを示していた。どうやらあれから1時間半もぶっ通しで弾き続けていたらしい。レオナはwonderfallに飽き足らず、MR.BIGの「To be with you」、Extremeの「More than words」、ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」と言ったアコギナンバーの数々を歌い続けていた。
正直ギターの音に酔いしれていたせいで、歌っていた時の記憶があんまりない。だから声のボリュームにも気付かずにいつの間にか大声になっていたのかもしれない。
だが、それだけこのギターの音色に魅力があるということだろう。
実際、とてもいい鳴りをしている。
レオナは「これは良い買い物をしたかもしれない」と思った。
とりあえず今日は眠るとしよう、タバコを1本だけ吸ってから。
灯りを落とし、窓を開けてタバコに火をつけながら街の方を眺めた。
いつも部屋で吸う時は不貞腐れたり、気分が落ちたりしているのが常だったからこんなにいい気分なのは新鮮だ。明日からまた頑張ろう。そう思い煙を宵闇に向かって吐き出し、短くなったタバコを携帯灰皿にねじ込もうとした時だった。
「ん…?」
アパートの塀の向こうの道路に誰かが立っているのが見える。全身の影と街灯に照らされている下半身だけは見えるが、顔はよく分からない。
「誰だ、あれ…?」
身長はとても小柄で、よく観察してみると赤いスカートらしきものが見える。子供だろうか?あるいは低身長の大人かもしれない。いや、そもそもなぜこんな夜中にあんな場所に1人で立っているのか?このアパートの住人の誰かと知り合いなのか?
いずれにせよ、スカートの赤さがとても不気味だ。
いや待てよ。あの色はもしかして…。
そう思った瞬間、街灯が突然チカチカと点滅した。
しばらく点滅し続けて2秒ほど消えた状態になった後、街灯は再び何事もなかったかのように灯った。
だが、その時既に人影はなくなっていた。
まるで、闇の中に消えてしまったかのように。
「今のは、一体…?」
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