第5話 職業選択の自由
雑貨屋でバイトしている事は周りに言わないようにしている。多分、いや確実に「似合わねえ」と嗤われるはずだからである。いや、雑貨屋ってだけならまだいいかもしれない。厳密には「ここみたいな雑貨屋」と言った方が正しいかもしれない。
レオナの慣れた手つきで丁寧に棚に並べられた商品はどれも周りの彼に対するイメージからは全くかけ離れたものだった。北欧の古文書に描いてありそうな不思議な模様のティーカップ、黄緑と白のストライプのマグカップ…。その上の段には可愛らしいクマのぬいぐるみがちょこんと座っている。
一通りの品出しを終えたレオナは軽く体を伸ばし、作業の終了を店長に報告しに事務所へ向かった。
事務所の机にはグレイヘアで眼鏡をかけたふくよかな初老の女性が座ってパソコンで作業をしていた。
「店長、陳列一通り終わりました」
「あら、早かったわね。ありがとう」
店長の上品で穏やかな笑顔はどこか七福神の誰か、あるいは昔見た児童向けアニメのなんとかおばさん(どちらもかなりうろ覚えなので名前が出てこない)に似ているとレオナは思った。
「じゃあ、とりあえず…そうね、お店の前掃除してくれる?」
「分かりました」
今は5時過ぎ。この辺りは近所の高校に通う学生の帰宅ラッシュで賑わう頃だ。この店の商品の購買層は彼らを含めた若者が半数を占めている。つまり今からが「かき入れ時」と言う訳だ。実を言えば、店先は言うほど汚れているわけではないので、掃除そのものはあまり重要ではない。本人はそう思っていないが、レオナのルックスはかなりいい方だ。そのため表に立っているだけでもある程度の集客が見込める、というのが店長の戦略らしい。客寄せパンダのような役回りだが、レオナ自身は「これも商売の手段のひとつ」「少しは強かじゃないとこういう店はやっていけないだろう」と納得していた。
レオナが事務所を出ようとすると店長は「あ、ちょっと待って」と呼び止めた。
「何すか」
「借りてたこれ、聴いたから返そうと思ってね、はい」
店長は机の引き出しから1枚のCDを取り出してレオナに渡した。
「良かったわぁ、これ。当時を思い出して懐かしくなっちゃった!」
「それなら良かったです。俺もこのアルバムは好きですし」
手渡されたCDはガールズバンド、ザ・ランナウェイズの日本公演のライブアルバム「Live In Japan」だった。
この英国の淑女を連想させる風貌の店長からは想像もつかないチョイスであろう。レオナ自身も彼女が大のロック好きと知って大いに驚いたのを覚えている。この店のバイトだって、彼がロッカーでギタリストと言う理由で半分即決したようなものである。もう半分はちょっとした力仕事の出来る男手が欲しかったという理由だ。
入り口前を箒で黙々と掃きながらレオナは道を行き交う人間を観察した。
練習帰りの野球部、汗臭そうなサラリーマン、噂好きで性格悪そうな専業主婦のババア、帰宅部、帰宅部、親子連れ、ハゲのおっさん、頭の悪そうなガキ。
清掃は嫌いじゃなかった。頭や体を使う作業から解放されて、こうやって人間観察をしながら思索に耽ることができるから。
と言っても、いつもそうできるとは限らないのだが。
「あれ、レオっち?レオっちじゃん!!」
自分を呼ぶ声の方を見ると、遠くで金髪の女子高生が黒髪ショートで眼鏡の友達を伴って手を振っていた。彼女こそがこの穏やかな時間を乱す原因の一つ。レオナはため息をつきつつも無視して掃除に集中しようとした。
「おーい、聞いてんの?レオっちー?」
聞くな、聞こえない、耳日曜。
「レーオーっちー!!!!」
金髪の少女の叫び声が耳元で鼓膜を裂くように響いた。おお神よ、一瞬で耳が月曜になってしまうとは無慈悲な。
「うるせえなマナミ。耳はミュージシャンの命なんだぞ」
耳を押さえながらノエルはマナミを睨んだ。水色の半そでブラウスに緑のネクタイ、ベージュのスカートを身に纏った彼女はこの近くの高校の生徒だ。結構お上品な学校とレオナは小耳に挟んでいるがマナミのいで立ちはそんな校風とは裏腹な、所謂ギャル系だ。
「この店の常連たるマナミ様を無視するほうがマジ有り得ないんですけど!」
「こっちは勤務中だからな。それとそのレオっちて呼び方はやめろと言ってんだろ」
「えーいいじゃん!何か可愛いしマジでいい感じじゃん。ウチは仲いいと認めた奴にしかあだ名付けないもん。つまりアンタはウチに認められてるって事!嬉しいっしょ?」
「名前ってのは個人にとって最も大切な意味合いを持つんだ。本名にしても芸名にしてもだ。名は体を表すって学校で習ったろ?それを変にいじられるのは好きじゃないし、良くないぞ」
「じゃあ、本名教えてよ。そっちで呼ぶから」
「断る」
マナミは頬をお膨らませ、不満げな顔になった。
「ぶー、レオっちってホントに説教臭いよねー。オジサンみたいで融通きかないし」
「結局そのままかよ…もういいけど。て言うかお前と大して歳離れてないだろう」
レオナと言うのは本名ではなく、彼がステージに上がるようになってから使っている芸名である。そして彼のエプロンの名札にも「レオナ」と書いてある。これは店長の計らいで、希望者はニックネームを名乗ることが出来る。客に親しみやすさを与えるためとの事。
「あっそうだ思い出した!ちょうどいいし文句言いたいことがあるんだけど!」
マナミは自分の後ろに隠れていた眼鏡の少女に「ほら、おいで」と前に出した。
少女は目も泳いで足も少し震えていて内気な性格だというのがすぐ分かる。ちょうど映画「ロッキー」のヒロイン、エイドリアンを今時の女子高生に直したようなイメージだ。
「この子ウチのリア友でさ、アンタファンなんだよね。で、こないだレオっちがバンド脱退したのがマジショックだったらしくてー、今すごい落ち込んじゃってんの!アユミ泣かすとかマジおこなんですけど!」
マジかよ、とレオナは思った。初対面の人間、それも無垢な女の子の涙の責任を取れだなんて人生で初めてだった。
するとアユミはか細い声で、震えるように話し始めた。
「ど、どうして…辞めちゃったんですか…?私、レオナさんのギターであのバンドを好きになって…私の支えで、これからもっと応援しようと思ってたのに…私これからどうすれば…」
今にも泣きそうなアユミを見てレオナは勘弁してくれよ、と心で嘆きながら天を仰いだ。成人したフリーターのミュージシャンと、涙目な女子高生。これじゃあ周りに公序良俗的によろしくない関係と勘違いされかねない。
自分をまっとうな人間とは思わないが、最低限の道徳は守っているつもりなのに。
レオナはため息をついて、アユミの目をしっかり見て話し始めた。
「あのな、アユミちゃん。気持ちは分かるし俺にも君みたいな経験がある。でもバンドってのはそんなに単純じゃないんだ。優れたその音楽家は多くが個性と我の強い奴らだ。バンドとなればそんな奴らがぶつかり合っていい音楽を作る。でも単なる仲良しグループじゃないんだからお互いに傷付いて、別の道を行くなんてよくある話なんだよ。あのバンドともそうだった」
レオナは少しだけ嘘をついた。奴らは口とプライドだけデカくてそれに見合った実力も個性もない上に、ファンにまで手を出すロクデナシどもだったが、真実を伝えて純真な少女を傷付けるのも忍びない。
アユミはうつむいたままだったが、レオナは話し続けた。
「確かに俺はバンドを抜けた。でも今こうして生きて君と話している。音楽を辞めたわけでもないし、まだまだ辞めるつもりもねえさ。望む人がいる限り、俺は少しでもいい音楽を作り続ける」
アユミは顔を上げると「本当ですか…?」と少し笑った。
レオナもそれに対して「勿論だ、約束する」と返した。
「ちょっとー?ウチのアユミを口説かないでほしいんですけど!」
マナミが横から口を挟んだ。
「口説いてねえよ」
「ウーソ!今のは『あんなバンドの事は忘れて俺だけ見てろ』って感じだった!おまわりさんにチクッてもいいんだよ?」
「人聞きの悪い事言うな。それにそう言うのはもう間に合ってる」
「え?まさか彼女できたの!?」
「だ、誰なんですかぁ!?気になります!」
瞬間、マナミとアユミの目が輝いた。アユミに至っては先程までの落ち込みようが嘘のようだ。ミーハーな女子高生らしいと言えばらしいが。
レオナは一息入れてから答えた。
「音楽。音楽が今の俺の恋人」
一瞬の静寂。
「くっさ…」
マナミがバッサリと言った。覚えてろコノヤロウ。
「んじゃ、次ライブする時は連絡入れてね!」
店内での買い物を終えた二人は、足早に立ち去っていった。
帰り際にマナミには、アユミをあのバンドから上手い事遠ざけるように耳打ちしておいた。奴らが彼女に手を出さないとも限らないと少し心配になったからである。マナミは一つ貸しだ、と冗談めかしつつも快く了解してくれた。
レオナが一息入れると、後ろから後頭部を何かで叩かれたのを感じた。
「いてっ」
振り返ると、バイト仲間の草田マリがいた。
三つ編みで同い年の彼女はファイルを持ってこちらを睨んでいた。
「レオナくん、女子高生をたぶらかすなんて最低です」
「違うって。バンドを抜けた件で問い詰められただけだよ」
「結局泣かしてるのには変わらないじゃないですか。別に他人の事情に首をツッコむ気はありませんけど、変な噂が立ってお店の評判が落ちたら許しませんよ」
レオナはもう突っ込むのも疲れた。別にこっちだってそんなつもりは毛頭ない。
雑貨屋「スターリィ・アイズ」はレオナが今まで勤めたバイトの中で最も理想の環境と言える。店名はモトリー・クルーの曲名から取ったらしい。
元々は店長の今は亡き夫が子供達の独立を機に第二の人生の拠点として始めた店で、今では地元の人達にも親しまれてケーブルテレビの取材も受けた事がある。
レオナがここで働き始めたのは店先の求人を見たのがきっかけだった。時給もシフトも中々悪くなく、パチンコ屋(うるさい&上司が臭いしウザい)を辞めて無職の彼には助け舟だった。
何より有り難いのは人間関係だ。店長は優しい上にロック好き、彼女の友人の副店長(今日は休み)は少し厳しいが思いやりがある。
そしてバイト仲間のマリは同い年と言う事もあってそこそこ話は合うし、彼女自身も自宅で動画サイトに「歌ってみた」系の動画を投稿したりしているらしい。レオナの音楽活動の事も知っていた。
女ばかりの環境に男一人、と言うのはストレスがたまると聞いてはいたがここに限ってはそうでも無かった。むしろとても落ち着く。今まで目にしたろくでもない連中の事を考えればここは本当に理想的だ。
彼女らの厚意を穢す事は天地がひっくり返ってもしないだろう。
「一応立ち聞きさせてもらいましたけど、これからどうするんです?新しいバンドを組む目途も立ってなさそうですけど」
「あては…無くもない…かな」
そう言ったレオナの脳裏に浮かんだのは、先日会ったルカの顔だった。あの日以来彼には会っていないし、そもそもどこにいるのかも知らない。何より、そんなに都合よく事が運ぶわけがないと思っていた。今までの人生、最低な事が多すぎたため好機、幸運と言うものを簡単に信じられなくなっていたからだ。
「まあ何にせよ、あのアユミちゃんって子にあんなくさい台詞吐いたからには、責任は取るべきだと思いますよ」
「なんか言い方が引っかかるんだが」
「気のせいです。まあ、運命のバンドメンバーなんて恋愛と同じで自分から動いて何とかしないと現れないんですから、行動あるのみですね」
「運命、か」
レオナはたまたま目に入った商品のお守りを見て呟いた。
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