第4話 カルチャー・グルーヴ
JS学園前駅のあるこの地区は、駅の名にも冠された同名の学園を中心とした所謂「学園都市」である。周囲には高級住宅が立ち並び、小洒落たショッピングモール、文化施設が多く存在することで知られていた。
一応休日と言う事もあって今日は人通りが多いが、制服姿の学生でごった返す平日に比べたらマシな方だ、とレオナは思っている。
その会場は駅の西口を少し歩いた通りのビルの地下にあった。
階段前には小さな立て看板が設置されており、「10th anniversary! music parade festival」という大きなタイトルと、出演者の名前と写真がプリントされたフライヤーが貼りつけられている。
その中の一つに明るい笑顔をたたえたハットをかぶった茶髪のショートカットの女性の写真があった。その右下には赤い文字で「黒木桜子and white spades」と書いてあった。
そしてその一人として今日やって来ているレオナはすぐ横、楽屋兼機材置き場のスペースが用意されている二階に続く螺旋階段の横で座って煙草をふかしていた。
出番まであと二組と言う所で早めに会場を抜けて転換前の機材の調子、及び今日のセトリの最終確認、プレッシャーの解消のための小休憩と言ったところだった。
今日はちょっとした冒険のつもりでいつもと違う銘柄を買ってみたが、これはあまり好みではなかった。ただでさえ最近は煙草も値上がりして、買う時は今まで以上の審美眼と勘を求められる。いやな時代になったものだとレオナはため息をついた。
「なーにため息なんかついてんの!本番前だってのに」
背中をドンと叩かれてレオナはむせかえった。口から落ちた煙草をキャッチできた自分に内心拍手を送りたい。
振り返ると、一段上から桜子が笑顔で見下ろしていた。
「痛いじゃないっすか桜子さん!一応火ィついてんのに。…なんか、落ち着かないんですよ」
「えー?百戦錬磨のレオナが?君でもそういう事があるもんなんだね」
「茶化すなよ…こういうライブバーって現場はあんまりやったことないんだ。殆どは純粋なハコだったし…今日の共演者も全然違うジャンルの奴らだし。リハーサルの時も視線が気になってしょうがなかった。あれは動物園のチンパンジーを見る目だよ」
レオナはポケットからフライヤーを取り出して、出演者の名前を目で追っていった。
南の離島生まれの弾き語りシンガー、多国籍で構成された民族音楽バンド、ネット界隈で密かな人気のジャズユニットetc…ハードロック、へヴィメタル、時々パンクで通ってきた自分とはあまり馴染みがないメンツばっかりだ。
この国のサブカルチャーの中心地の一つでもあるこの街の空気的にはそう珍しくない取り合わせかもしれないが。
「いいじゃんいいじゃん、たまには違う畑に飛び込んでみるのも息抜きになるし、勉強になると思うよ!」
桜子の屈託のない笑顔で、レオナは頭をかいた。一言なにか言いたかったが、桜子が誘ってくれなかったら今でも家で一人で腐ってたままかもしれないし、文句を言うのは不躾というものだろう。
そもそも、最終的に出ようと選択したのは他ならぬ自分自身なのだから。
「それはそうとさ、出番まで時間あるし早めにステージに行ってみない?」
「…行ってどうしろと?」
「学ぶのよ。今ちょうど私が楽しみにしてたユニットが出番のはずだから。ほら着いてきた着いてきた!」
そう言うと彼女はレオナの腕を引っ張りあげて、地下の会場へと引っ張りこんで言ってしまった。
会場の中はライブバーと言うよりヨーロッパの田舎のホテルのロビーと言う印象だなとレオナは思った。
天上からはシャンデリアがつり下げられ、バースデーケーキに添えられる蝋燭のような温かい光が店内を包んでいる。
カウンター以外にテーブルや椅子は無い。皆立っているか、落ち着いた色のカーペットが敷き詰められた床に座り込んでいるか、壁際のソファーでくつろいでいるか。
出演者、その知り合い、スタッフといった人でいっぱいでみな思い思いの場所で過ごしている。夕刻と言う事もあってすでに出来上がっている者も少なくない。
レオナは桜子に手渡されたビール(彼女の奢り)のカップを持って柱にもたれながらステージの方を眺めた。ステージと言っても厳密には、店の奥の機材、楽器類が置かれた広いスペースではあるが。
そこにいたのは3人組だった。向かって中央にはサックスを持ち、ツーブロックで髭を蓄えた黒ぶちメガネの男が深く落ち着いた音色を奏で、奥には恰幅のいいドラマーが鎮座していた。左側には舞台俳優を彷彿とさせるオールバックの白髪混じりなキーボーティストが楽曲に寄り添うように鍵盤を叩く。
演奏しているのはチャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」。
だが、レオナの目を引いたのはステージの右側にいる人物だった。
若いベーシストだ。パナマ帽子を目深に被った金髪の男で、赤いリッケンバッカーを指で弾いている。
白いワイシャツの上から黒いインナースーツ、黒いズボンとどこかマフィアを連想させる出で立ちだった。
レオナは彼から目が離せなかった。何故かは自分でもよく分かっていなかった。恐らく単純に、他のメンバーが全員四十がらみと思われるベテランに見えたからそのベーシストの若さが目立ったのかもしれない。少なくともこの時はそうだった。
そうこうしている内に曲が終わると、周囲から万雷の拍手が巻き起こり、サックス奏者は大儀そうに手を振って「ありがとう」と何度か繰り返した。
桜子もビールを掲げながら「イエーイ!」と叫んでいる。
「えー、ありがとうございます。チャーリー・パーカーの曲からお送りしました。それじゃあここで、今日我々のために駆け付けてくれた若いゲストを紹介したいと思います。ベーシスト、『ルカ』!」
サックス奏者に紹介されると同時にルカと呼ばれた青年は立ち上がり、帽子を脱いで紳士のようにお辞儀をし、それをさらなる拍手が歓迎した。
ルカはレオナと同世代か、少し年上といった美青年でその瞳は地中海のように青い。
外国人だろうか、とレオナは思った。
「彼と初めて会う人も多いでしょう。だが彼を口で語るより聞いてもらった方が早い!じゃあルカ、一つよろしく!」
ルカは前に出ると、4弦15フレットをブーン、と鳴らしてスライドした。
一瞬の静寂の後、突如としてペキペキと小気味よいスラップを繰り出し、胸を打ち付けるような音、音、音、そしてファンキーなビートの嵐だった。しばらくして突然パンキッシュにブリブリと歪んだ音でグルーヴィな8ビートを繰り出したかと思えば、今度はフュージョン的な滑らかなフレーズを繰り出しそれはもはやリズムを刻むと言うよりはベースでメロディを奏でていると言ってもいい。
そしてそんな衝撃と至福の時間を締めくくったのは怒涛のタッピングだった。
目にもとまらぬスピードで音が流れ、指がフレット上を飛び交うその姿に、誰もが釘付けになっていた。
ソロタイムを終えてルカが左手を掲げると、店内にはまたしても拍手と口笛の音が飛び交った。
だがレオナはそんな中一歩も動けずに立ち尽くしていた。手に持ったビールの泡が消え、ぬるくなっている事にも気付くことないままに。
腹の中に、先ほどのビートの衝撃の余韻が未だにジンジンと残っている。
かつて女性ベーシスト、スージー・クアトロはインタビューで「何故ベースを選んだのか?」と言う質問に「ベースの音が子宮に響くからよ」と答えたという。
レオナはまごうことなき男性で子宮など持ち合わせてはいなかったが、今ならその気持ちがほんの少し分かる、そんな気がした。
ところ変わって打ち上げ会場の焼き鳥専門の居酒屋。
時刻は22時頃。出演者と数名の客で賑わう店内の一角、窓際の席でレオナは串から外して自分の小皿に乗せたモモ肉を橋でつつきながら今日のライブの記憶を反芻していた。
あのベーシスト、ルカの腕前に衝撃を受けてすぐに自分たちの出番が来た。
彼に刺激を受けたのかいつも以上に演奏にハリが出ており桜子や他のメンバーはもちろん、自分自身も納得が行くライブになったとは思う。
ただ、3曲目の間奏におけるギターソロはあまり受けが良くなかった。原曲はハモンドオルガンによるフレーズなのだが、今回はキーボーディストが居ないのでギターでその箇所をカバーしなければならなかったのである。
その時はアルコールも少し入っていたし、だいぶ勢いも乗っていたので良かれと思って思い切ってヴァン・ヘイレンばりの高速タッピングフレーズを入れてみたら、客席を見渡すとみんながポカンとした顔になっており、内心「しまった」と思った。
もっともその後は何とか力づくで盛り返したが、自分がかいた恥と言うものは周りが忘れても記憶に残るものらしく、未だに腹の中がぞわぞわする。
レオナはそれを打ち消そうと言わんばかりに苦虫を噛み潰した顔でスクリュードライバーを一気に飲み干した。
「あっ、いたいた。おーっす、飲んでるぅ?」
桜子がグラスを抱えてレオナの向かいの席へやって来た。もう相当飲んでるはずだが、その顔は未だにほろ酔いの状態をとどめていた。
彼女がかなりの酒豪でザルだという事は周知の事実だった。成人して間もないレオナ自身も今日までの短い期間で彼女に何度も付き合わされて鍛えられたものだ。本人はきっと意図してなどいないだろうが。
「まあ、ぼちぼちと」
「なぁにー?今日のヒーローが暗い顔しちゃってさぁ。もしかしてつまんなかったって言うのー?」
「そんなまさか…。ただもう一生、32分音符で6連符のタッピングは封印しようかと思ってただけ」
「えー?あれ結構よかったじゃん!…まぁ、スウィープ入れたのはちょっとやり過ぎかなー?と思わなくもないけど…」
レオナはため息をつくと、テーブル横のパッドを操作してスクリュードライバーのお代わりをパパッと注文した。
「おお、今日はいつにも増してピッチ速いのね」
「そうしなきゃいけない気分なんで…ん?」
離れた場所に座っている人物にレオナの意識は誘導された。煙草を片手に出演者達と談笑している金髪の若い男…ルカだった。
「どうしたの?…ああ、彼?気になってるんだ?」
桜子がニヤリと笑った。
「え?いや、そう言う訳じゃ…」
「あーあーあー、皆まで言わないの。ちょっと待っててね!」
彼女は立ち上がると、ルカのいる席まで行って彼に2、3言何かを言った。店内の喧騒のせいで内容は聞き取れなかった。
ルカは彼女に頷くとグラスとタバコを持ってこちらに向かってきた。桜子は親指を立ててニカっと歯を見せたがレオナとしては少々困った。まだ心の準備なんて出来ていないのだ。まるで、気になるけど話しかけられないクラスのアイドルとのいきなりデートを仲介されたような気分だ。相手が男とは言え、である。
ルカは桜子が座っていた席に座り、煙草を一度ふかして「俺をお探し?」と言った。
レオナはとりあえず何と言おうか言葉を必死で探した。
「えーと、その…今日初めてあんたを見たけど…その、凄かった。衝撃を受けたよ。真っ先にそれが言いたかったんだ」
ルカは「そいつは嬉しいね」と笑った。
「確かレオナ…と言ったかな?俺も君のギターは素晴らしいと思うぜ」
「本当か?」
「ああ、特に今日やってたライトハンドのフレーズはたまらなかった。今日の面子はロック系が殆どいなかったからな。痺れたよ」
レオナは救われたような気分になった。ルカが自分の罪を許してくれる聖人か何かに見えてきたくらいだった。
「へへ、今日一番の褒め言葉だな、ありがとよ。あんたみたいなジャズバンドの人間から褒められるってのはいいもんだ」
「ん?ああ、俺はメンバーじゃないんだ。あくまでもゲスト。今はその…フリーだ」
「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ?」
「いやそっちじゃなくて…数年前までイタリアに住んでて…それからあちこち放浪して、数か月前にこっちに帰国したばかりなんだ。だからこの国のシーンには明るくなくて、手探りしてる真っ最中さ」
聞くところによると、ルカはイタリアとのハーフらしい。本当は黒髪だが、この国に来てから染めたそうだ。
「ジャズは親父の影響だけど、本当は昔からイタリアンメタルが好きだったんだよ。例えば、RHAPSODY、LABYRINTHなんかがな。でもお袋は、イギリスやアメリカの音楽の方が好きだったな。前者ならアイアン・メイデンやJAPAN、後者ならレッチリやジャコ・パストリアスとか」
レオナはこの金髪碧眼の青年に大きな親近感を覚えていた。彼が挙げた音楽は全部大好きだったからである。
「と、ところでさ!今日やってたソロタイムの最後、アレはヤバかったと思う!なんか、ビリー・シーンみたいでさ」
「お?分かっちまったか?実は…ちょっとだけ意識してた」
ルカは少しだけ照れ臭そうに笑って新しい煙草を咥えた。
「やっぱり、俺の目に狂いはなかった!実は俺もあのソロに刺激を受けてあんなフレーズを…」
先ほどまでの憂鬱な気分はどこへやら、酒が進んだのもあってすっかりレオナは上機嫌になった。
それからレオナとルカは意気投合して長いこと話し合っていた。
音楽の事、楽器の事、お互いの趣味の事…。
周りの人間なんて気にも留めず、とにかくたくさん話し合った。こんなに人と話すのが楽しかったのはいつ以来だろうか?とレオナは思った。
そしてそんな時間はあっという間に過ぎてしまうもので、もう会計の時間になった。桜子を始めとした飲兵衛たちは3次会に異動することになっていた。レオナはルカともっとたくさん話したいと思い誘ってみた。
「悪い、明日は用事があるし今日は帰らないと」
名残惜しいが仕方ない。二人は必ずまた会おうと約束し、握手を交わした。
それからルカは手を振りながら、ベースの入ったケースを背負って他の終電組と同じように駅の方へ向かって走り去って言った。
皆で3次会に向かう途中、桜子が話しかけてきた。
「どうだった?彼と話して」
「うーん…何と言えばいいのか。とにかく、いい奴だったのは確かだな」
「じゃあさじゃあさ、彼とバンド組んでみようとか思った?」
レオナは一瞬呆気に取られた。
「え?…そういや考えてもいなかった…。いずれにせよ、まだ何も分からないっすね。あいつも俺もお互いをよく知らないし」
その答えに桜子は頭を抱えた。
「あっちゃー、あわよくばそういう方向に運ぶかと思って上手いこと引き合わせようとしてたんだけどなー…」
「そんな事考えてたのかよ…?」
「いいじゃない!せっかくお姉さんが可愛い弟分のために一肌脱いであげようと思って…」
「はあ、仲人おばさんのつもりかよ…」
次の瞬間、桜子が両拳をレオナのこめかみにグリグリと押し付けた。
「一体誰がおばさんですってぇ!?お姉さんでしょうがこのアホ!!」
「いだだだだだだだ!仲人おばさんって肩書で例えただけでしょうが!誰もおばさんなんて言ってないって!」
「問答無用!!」
こめかみの痛みがさらに増す頃、レオナはある事を思い出した。
「あ、あいつと連絡先交換するの忘れた…」
その夜は、星がいつにも増して怪しく輝いていた。
まるで、これから始まる何かを暗示するように…。
それが悲劇が喜劇か、この時点で予測し得る者は誰一人存在しなかった。
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