第3話 紫煙の空
LINAの通知をタップすると、桜子からのメッセージが表記されていた。
『大丈夫?』から始まって『おーい!』『起きてる?』と言った短い言葉と複数のスタンプが送られてきていた。
これがまた、笑ってる顔、怒ってる顔、泣いてる顔を不規則に繰り出してきており、しまいには昨日食べたのであろうラーメンの画像を何の脈絡もなく貼っており、正直情緒不安定を疑った。
それが30分前から矢継ぎ早に行われてるのだから「暇なのかよ」と思わず声に出して突っ込んでしまった。
かと言って、既読をスルーするのも後が怖いので最低限の返信だけでもした方がいいかと思い、MR.BIGの「Daddy,Brother,Lover,Little boy」のギターソロの7割程度のスピードで『お疲れ』、『起きてるよ』とだけ返信した。
返信を終えてスマホを横に置くと、レオナは大きくため息をついて寝返りをうった。
もうひと眠りだけしようかな、と目を閉じると再びスマホが振動した。
すぐさま手に取ると先ほどの返信に桜子がすぐ反応していた。やっぱり暇なんだな、とレオナは軽く呆れた。
『あ!やっぱり起きてた。やっほー』
『昨日から全く連絡付かなかったから心配してたんだけど』
『ああ、帰ってから飲んで寝落ちしてた』
『トイッター見たよ。また辞めちゃったの?』
アプリをトイッター(レオナ自身はアカウントだけは持っているものの自分から呟いたりはしない)に切り替えてバンドの公式アカウントへと飛ぶ。
軽くスクロールするとレオナの脱退を告げる旨の簡素で無機質なお知らせ、そして各メンバーによるつぶやきもRTされていた。勿論「音楽性の違い」と言うワードも忘れていない。グレートだぜ、旧友。
『レオナと俺達は違う道を歩んで行きますが、どちらも変わらず応援してくだされば幸いです』
『短い時間でも共に過ごせたのは最高の思い出です』
『俺達は俺達なりに頑張って上を目指していきます』
取って付けたような感傷の枕詞にレオナは思わず噴き出した。あいつらにこんな腹芸が出来たのかと思うと可笑しくて笑ってしまう。
リプ欄には『残念です』という月並みなもの、『それでも私は応援してます!』という頭の悪そうな取り巻きの女(アキオのお手つき済み含む。打ち上げで見覚えアリ)や『一体何があったんですか?ちゃんと説明してください』と訝しむ顔馴染みの客(評論家気取りっぽいのが鼻につくブロガー)のアカウントが散見している。
あまりにも喜劇じみたものを見たせいでもはや何の感傷も湧いて来ず、レオナはLINAに戻って返信した。
『ああ、ちょっと色々あって』
『色々って何!』
『色々は色々』
『むー、今度ちゃんと話してよ?それはそうとさ。ちょっとお願いがあるんだ』
『なに?』
『今月の24日って空いてる?』
レオナはベッドから体を伸ばしてギタースタンドの下敷きになっているシフト表を拾い上げて、当日を確認した。
『一応空いてる』
『おお!助かった。実は私ね?その日にやってるイベントに出ることになってさ。ほら、JS学園前駅のライブバー、覚えてる?1回連れてったと思うけど』
『ああ、あそこね』
『都合の合うギタリストが今見つからなくてさぁ…よかったらお願いしたいんだけどいい?』
レオナは顔をしかめた。昨日の今日であんな事になって、バンド活動破綻記録がまた更新された今となってはしばらく人前に出たいとは思わない。
でも桜子的には多少強引でも自分なりに気を遣っているつもりなのだろうか。それを思うとストレートに嫌ですとも言えない。もしかしたら本当に困ってるだけなのかもしれないし。レオナはやんわりとでも断りつつフォローするための言葉を探した。
『いいのか?俺なんかで』
『他に適任者はいると思うけど。ほらいるじゃん、マーブルレインの住み込みの』
『ユウスケの事?』
ユウスケは桜子がよく出演しているライブハウス、マーブルレインに住み込みで働いているスタッフ兼ギタリストだ。時折会場のイベントや、ギタリストの欠員したバンドのサポートでステージに立つこともある。
『うーん、それも考えたんだけどね…今あいつ店を離れられないんだよね』
『おやっさん、ぎっくり腰になっちゃってしばらくはつきっきりで面倒見てあげないといけないんだってさ』
『マジでか』
あのおやっさんこと店長は不死身と評判だが確かにもういい歳だし、ぎっくり腰となっちゃ一大事だろう。
『って訳だからさ。考えといてくれない?』
『それにいつまでもそうやって腐ってるのは、レオナには似合わないと思う』
『レオナの素敵なギター、もっと聞いていたいな』
『そんじゃ、連絡待ってるね!』
レオナは『考えておく』とだけ返信して、スマホを置いた。
「はぁ…」
どうしたものかな、思わずため息が出た。
一人で立ち止まって考える時間が必要かなと拗らせたOLみたいな事を考えて矢先にこのオファーだ。神様とやらは俺にそんな時間も与えてはくれないのかと。
だが、レオナの心が少しだけ動いたのは事実だった。もう一度LINAのトーク欄を見返した。
『レオナの素敵なギター、もっと聞いていたいな』
同じようなセリフは過去のバンドでライブを見に来ていた取り巻きの頭の弱い女たち(半分はメンヘラ)からしょっちゅう聞かされていたが、桜子のような知名度も実力もあるミュージシャンが言うと説得力が違う。
桜子とは最初のバンドが解散してからの付き合いだった。ソロで弾き語りとして何かのイベントで一緒になったのが最初で、打ち上げで真っ先に話しかけてくれた時のことはよく覚えている。当時は心が荒んでいたを通り越して虚無のような状態だったので余計に印象的だった。
それ以来飲みに連れて行ってもらったり、イベントに呼んでもらったり、レコーディングに呼んでもらったりと何かと世話になっており、今やちょっとした姉貴分というやつだ。
あれからもう2年近くになる。
そして今、そんな彼女にほだされてしまう自分も単純だなと思わなくもない。
空気の入れ替えでもしようかと、ベッド横の窓を開けた。
涼しい風が入り込んでくる。湿度などは些細な問題だった。
レオナは風が吹いてくる向こうの青空を見上げた。空ってこんなに澄み渡っていたんだな、と驚いた。
「…たまには、吸ったって構わねえか」
枕元に放置されていた、煙草が10本ほど入ったくしゃくしゃのシガレットケースを手に取って一本取り出して火をつける。
「不味いな」
長い間放置していたので結構しけっていたが我慢するしかない。部屋の中のもの、特にギターやCDラックに煙や臭いが付かないように窓の外に向かって息を吐き出すと、煙は不規則に形を変えながら街の景色の中へと溶けていった。
個人にクソ最低な事があってクソ最低な気分になろうとも変わらず無機質に動き続ける街を見ながらレオナは考えていた。
彼の生きがいにしてアイデンティティであるロックンロール、それに出会ってから今日までの多くの事を。
小学生の時、ロックを教えてくれた外国人の友達。
名盤と呼ばれるCDを何枚も相続させてくれた兄(お堅い仕事で高給取り)。
連絡も入れず、ずっと帰っていない政治的に正しすぎな両親のいる実家。
そして…。
そこまで行ってレオナは考えるのをやめた。
今、あの記憶を辿ることはしたくないのだ。彼自身の心にかなりの負担とダメージを及ぼすからである。
やっぱりやめだ、焼け石に水である。そう思ってレオナは中途半端に残った煙草を携帯灰皿にねじ込んでもみ消した。
あの頃に比べて自分は今、人生のどの辺りにいるんだろう。高い所にいるんだろうか、低い所にいるんだろうか。いずれにせよ基準より低い事には違いない。
低空飛行が続いて、軌道修正しようとしても空回りしてまた気が萎えて下へ下へと落ちて行く…それが最近の悪循環だった。
だが、いつまでもそれでいいのだろうか?
それで自分の気が収まるのだろうか?そうは思えない。
恐らく、こうやって誰かに誘ってもらって、引き上げてもらえる機会を逃したらもう歯止めが聞かなくなって落ちる所まで落ちて行ってしまうかもしれない。
そうなる前に…。
決断するよりも早く、レオナの腕は再びスマホへと伸びていた。
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