第2話 あの鐘を鳴らすのは…
身体にのしかかる鈍く重い倦怠感を感じたままレオナは目を開いた。
彼は布団をはだけたままベッドの上に体を横たえている。起きなければと脳が体に命令を下したが、深刻な疲れと怠け心が全神経への情報伝達を阻害して動けない。
首の位置はそのまま、2つの眼球の動きだけで今の状況を確認しようとした。キョロキョロと器用に目線で時間の分かるものを探す。時計でもスマホでも何でもいい。数秒後にはテーブルから落ちて床の上にごろりと寝転がった小さな手のひらサイズのデジタル置時計(確か何かの記念品でもらった安物だったと思う)を眼前に捉えた。
時刻は現在10時28分。多くのまっとうな人間はとっくに仕事や学業に励んでいる時間だ。
観念し、意を決して体を起こしてみると、突如頭蓋骨を破壊して脳をつんざくような頭痛が彼を襲った。側頭部を押さえてレオナは唸る。
「ああ、やべえ…飲み過ぎだなこりゃ」
ベッドの下に散乱するビールやらチューハイやらの空き缶を見てレオナは記憶の糸を辿った。
「ああそうか…」
しばらく考え込んだレオナは全てを思い出した。
「俺、またバンドをクビになったんだった…」
スタジオ「ブルーバード」は駅から歩いて5分程度の場所にあった。
安いのが取り柄で、ぶっちゃけ設備はたいして良くない。
小汚いチンピラみたいな店員の態度は最悪だし、Gスタのギターアンプは結構な頻度で不調になる。ロビーの机の裏にガムがくっついてたりもするし、トイレもこの世の地獄を体現したかのような汚さだ。
あと店が全体的に臭い。
どうやったら12年も営業を維持できるのか不思議なほどである。
だが売れない貧乏バンドが贅沢を言えるわけもなく、ここで我慢するしかなかった。
だがレオナ自身、何度も利用している内に最近ではそれにも慣れてきたし、むしろこの劣悪な環境が自分を鍛えてくれる気もした。
そんな思いで、今この瞬間も彼はギターをかき鳴らしている。
腕を振り下ろす度に轟音が響く。やっぱりこのリフはパワーコードよりコードストロークの方が合っている。
鳴らす。
鳴らす。鳴らす。
鳴らす。鳴らす。鳴らす。
もっとピッキングに力を込めろ。アンプがゲロを吐くほどの音を出せ。
レオナは俯き、歯を食いしばりながら何度も弦にピックを叩きつけた。そうだ、いいぞいいぞ。ギターは完璧だ。このまま来週のレコーディングまで弾き続けてもいいくらいだ。
ボルテージがドンドン高まり、絶頂に達しようとしている時だった。
ライが弾くベースの歯切れが急に悪くなった。ベースアンプからは不快なノイズが金切声のように漏れ出してきた。レオナはおいおい、と内心毒づきながらライを睨んだが、本人はそれに気付かず自分に酔っているかのような余裕しゃくしゃくの顔で弾き続けている。
すると今度はドラムのノブが前のめりになってバンド全体のグルーブががたがたになっていく。
ありもしないテクニックでもひけらかしたいと言わんばかりにオカズを入れようとしているが、これなら何もしない方がマシだ。
アキオの歌も高音が全然出ていないし、歌詞を忘れたのかちょいちょいフェイクを入れて誤魔化している。
髪型やマイクの持ち方を気にするくらいならまず歌詞を覚えろ。音程を正確に把握する意欲ぐらい見せろ。練習の時ぐらいアドリブに逃げるな。
何だこのザマは。こんなのバンドじゃない。ずっとこの頭に血が昇り切って体を突き破ってしまいそうな苛立ちを我慢していたが、放っておいたらつられてこっちの演奏まで破綻してしまいそうだ。
我慢に我慢を重ね、精神が決壊しそうになった瞬間、レオナは手を上げて演奏を中止させた。
皆がうんざりしたような顔でレオナを睨んだ。
「なんだよレオナ、いいところだったのによ」
アキオはどうも、独壇場を邪魔されたのがお気に召さないらしかった。とりあえずそんな文句はまともに歌えるようになってからしろ、とレオナは思った。
「お前ら何度言えばわかるんだよ…ライはとりあえずまともにリズムを取れるようになれ。ノブ、そんなフレーズだったらない方がマシだ。そしてアキオ、お前のそれはマイケル・キスクの真似か?やめとけ、絶望的に似合ってないから」
とりあえず言いたい事を言い終える(かなりオブラートに包んだつもり)と、アキオがつかつかと歩み寄って来て「テメェ調子こいてんじゃねえぞ!」とレオナの肩を突き飛ばした。
「なんなんだよてめえは!いっつもいっつも上から目線でよ。俺らより年下のくせにバンマス気取りやがって」
「実際、曲作ってるのは俺だろ?」
「だからって人を顎で使うような真似していいと思ってんのか?バンドってのはお前ひとりの物じゃねえんだぞ」
するとライが後ろからケラケラと笑いながらこっちを見ている。こうしてみると、しわくちゃのサルみたいな顔だ。
「それにお前、人様に文句言う程、ギター上手くもねえもんな」
ノブはスティックで肩を叩きながらしかめっ面をしている。
「大体、お前を拾ってやったのは誰だよ。俺だぞ?俺がいなかったら前のバンドでクビになったままのくせに」
レオナはじろりとノブを睨んだ。
「俺がいなきゃお前らだって未だにレコーディングにこぎつけられなかった癖に…そもそもお前らからは全くやる気を感じられねえ。練習はろくにしてこないし、平気で遅刻するし、最近だって打ち上げに来てた女ナンパしてばっかじゃねえか」
その瞬間、レオナの横を何かがかすめ、ドアに激突した。
ノブが爆発しそうな程に真っ赤な顔でドラムスティックを投げつけてきたのだ。
「ノブ、スティックは大事にしろよ。商売道具なんだから」
「出てけよ」
ノブはレオナを睨んで呟いた。
「あ?」
「出てけっつってんだよ!お前とやるのはもううんざりだ」
「…レコーディングはどうすんだよ」
「お前の代わりなんざいくらでもいるからな。とっくに目星を付けてあるし」
それにライとアキオも便乗していく。
「そうだよ、おめえはもうクビだ、ロック・スター様」
「帰れよ、クソガキ」
もはやバンドマンじゃなくて、チンピラみたいだ。喉元まで出かかった言葉を飲み込んでため息をつく。
「分かったよ、じゃあな」
レオナはてきぱきと機材を片付けると、自分の分のスタジオ代だけ椅子に置いてからギターケースを背負ってスタジオを出た。
3人の目など、気にも留めずに。
やっと思い出した。
あれから自分はまっすぐアパートに帰りつき、やり場のない気持ちを押しつぶすかのように買い置きしておいた酒を浴びるように飲み、そのまま寝落ちしていたのだ。
「クソだせぇな、俺って」
レオナはベッドに仰向けになったまま、頭をかいた。寝汗で体がべとべとして気持ち悪い。かと言って、シャワーに行く気力もなかった。
「ロック・スター様、か」
ライの捨て台詞が脳裏に響く。ちゃちな罵声である事には違いないが、今の自分の無様さを考えると、少し堪える。
一回罵声上げられたくらいで帰るのは気が短すぎるにも程があったと思う。せめてもう少し柔らかく説得するとか、音で黙らせるとか、何なら気が済むまで殴り合うとか、いくらでもやり様はあっただろうに。
「何で俺、バンドやりたかったんだっけな…」
これまで経験したバンドは4つ。どれも解散、クビ、自然消滅。円満で終わったバンドなんて一つもなかった。こんなジンクスが続くと感覚がマヒしてしまう。
「ホントにだせえよ」
再びレオナはシーツを被った。
今日はバイトも休みだし、ずっと引きこもってようか。ギターの練習も曲作りも無し。漫画でも読むか、アニメでも借りて見るか…。
その時ブルル、ブルルとスマホが振動した。
通知欄を見てみると、LINAには「桜子」という名前があった。
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