―82― 異端者

 数刻前、ある異端者が密かに動き始めた。

 その異端者は魔術師でもなく、ただの一般的な男性だった。商人を営んでおり、妻もおり子供も二人いる。

 人より稼いでいるわけではなかったが、さりとて貧乏でもなかった。

 ごく平均的な収入の持ち主だった。

 ただ、その男性には一つ他の者たちと違う点があった。

 それは異端者であるという事実。

 男性は時折、ここではないどこかにいる偽神と会話をしていた。

 そして、偽神のためにこの身を捧げようと考えていた。

 なぜ、偽神を崇拝していたのか? その理由は男性にもわからない。

 ただ、彼にとって偽神に従うことはなにより重要なことだった。


 この日、男は仕事に行くフリをして、いつもと違う場所に向かっていた。

 そこはなんの変哲もない広場だった。

 しかし、その広場には何十人もの人たちがすでに集まっていた。

 全員、異端者たちだった。

 異端者たちは全員が集まったことを確認すると、なんの前触れもなく自らの首を斬った。

 首を斬った異端者たちは自然の摂理に従って、その場で死に絶える。

 幾重にも重なった死体。

 その死体を囲むように魔法陣が構築されていく。

 そして、ついには死体を贄に巨大なドラゴンが顕現した。

 このドラゴンこそが、死体を媒介に現世へと出現した偽神ヌースの正体だった。


 ドラゴンは高い雄叫びをあげる。

 瞬間、ドラゴンを中心に半径5キロ以内に衝撃が走る。

 シエナの霊域が打ち消されたのも、その衝撃のせいだ。



 次の瞬間には、町にいた多くの住人が偽神ヌースによる襲撃に巻き込まれていく。

 このままだと、偽神ヌースによって、多くの人が死ぬな。

 その中には、妹のプロセルも含まれている。


 だから、今すぐにもヌースのところに駆け付けようと俺は決意した。

 だが、それを許さない者がいた。


「おい、なんのつもりだ?」


 俺を行かせるのを阻止するかのように、俺の腕をシエナが掴んでいた。

 そして、一言彼女はこう口にした。


「〈霊域解放――無辺の雲居インフィニット・シエロ〉」


 再び、俺はシエナの霊域に囚われることになった。


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