―78― 天使

「会長、今すぐ治癒ができる人を呼んできますので」


 ひとまず怪我を負った会長を放っておくわけにはいかない。

 シエナが部屋からいなくなったら、俺は真っ先に会長のところに駆けつけた。


「わたくしなら大丈夫です」


 そう言って会長はゆっくり立ち上がる。一応、まだ意識は残っていたようだが、ひどい怪我なのは見ればわかる。


「ですが、その怪我をほうっておくわけには――」

「今のあなたは無闇に動いてはいけないでしょ。怪我のことなら大丈夫です。恐らくこれはわたしくに下った罰なんでしょうから」

「罰……?」

「わたくしはあなたを貶めようとしましたので」

「はぁ、そうなんですか」


 自分にはそんな記憶はなかったが、会長がそう言うならそうなんだろう。


「それより、早く逃げてください。彼女とは決して戦ってはいけません」


 彼女というのはつまりシエナのことだろう。

 確かに、彼女が強いのは会長をこんな目にあわせたことから、なんとなく想像はつくが、しかし戦っていけないと主張する理由までは理解できない。

 まぁ、血の契約書が破棄されるなら、戦う必要性がなくなるわけだが。


「せめて理由を聞かせください」


 そう言うと、会長は言いよどむ表情をしてから、意を決した表情をたどって、こう口にした。


「全て学院長があなたを陥れるために仕組んでいるんです」

「学院長ですか」


 正直、予想通りではあるので驚きはしない。異端審問にて、俺を直接処分したのは学院長だったからな。


「それに、あのシエナは学院長が召喚した霊体なんです。恐らく、非常に強力な霊体かと」

「霊体ですか」


 それは予想外だった。

 学院長とシエナがつながっている可能性は異端審問にてシエナが証言したことから、予想できことだが、まさかシエナが人間ですらなかったとは。


「えっと、シエナが俺を殺そうとしているんですか?」

「えぇ、そうです。だから、逃げてください……」


 なるほど、会長の言い分はわかった。

 確かに、このまま出場しシエナに負けたら血の契約により俺は死ぬ危険性がある。


「会長、血の契約書は手元にあるんですか?」


 そう告げると、会長は首を横にふった。


「誰の手に……?」

「学院長が持っています」


 なるほど。

 もし、会長が血の契約書を持っていたら自ら破ることで破棄できる。

 だが、学院長の手にあるなら話は別だ。


「ですが……っ、血の契約書が不履行になった場合、わたくしがアベルくんを呪う権限を手に入れることには変わりません。それでわたくしがなにもしなければ、問題ないはずです」


 確かに、会長の言っていることは正しい。

 血の契約が履行されなかった場合、契約を果たさなかった者を呪うことができる。その呪いの加減は調整でき、。最悪は死ぬような呪いを与えることもできるが、逆にまったくなにもしないという選択肢もあるわけだ。


「でも、そのことを学院長が失念しているとは思えないんですよね」

「そ、それは……っ」


 会長は言葉につまる。

 どんな手段を講じるつもりかはわからないが、もし、俺がクラス対抗戦を負けた場合、学院長は血の契約書を用いて俺をなんとしてでも殺すだろう。


「だから、俺は出場しますよ」

「で、ですが……」


 不安そうにもらす。

 だから、それを払いのけるようにこう口にした。


「正直、誰が相手であろうと負ける気がしないんですよね」





 会長は偶然近くを通りかかった人に預けた。

 この学院には治癒が得意な魔術師は多数在籍している。それに、アゾット剣の加護もあるだろうから、命に別状はないだろう。


「逃げずに来たんだね」


 決勝の会場に行くと、すでにシエナが待っていた。

 Dクラスの二人が決勝に残るとは誰も想像していなかったらしく、観客は皆困惑をあらわにしている。


「逃げてもどうせ追ってくるんだろ」

「まぁ、それはその通りだね」

「それにしても驚きだな。いつも眠っている不思議ちゃんだと思っていたら、学院長に召喚された霊体だったとはな」

「あぁ、聞いたんだ。人間の形状を保つのは意外と疲れるから、いつも寝ているのは許してほしい、かな」


 なるほど。いつも寝ていたことにはそういった秘密があったのか。


「それにしても一つだけわからないな。俺を殺したければ堂々と殺しにくれば、よかっただろ。なんで、こんなにも回りくどいことしたんだ?」


 異端審問による処刑なんて随分と回りくどい殺し方だと思う。最初から殺しに来ればよかったと思う。


「できれば、力は使いたくなかった。加減を間違えると世界を壊してしまうから」

「はぁ」


 と、呟いたと同時――

 彼女はこう口にした。


「〈霊域解放――無辺の雲居インフィニット・シエロ〉」 


 瞬間、世界が塗り替えられた。

 マジか、と思う反面、目の前の相手なら、このぐらいできてもおかしくないと思ったりもする。

 それに一度、偽神アントローポスの〈霊域解放〉を見たしな。


 前方には、白い両翼を背中から生やしたシエナの姿が。

 その頭には金の輪っかが。


「ははっ、これは随分と大物が現れたな」


 シエナがなんらかの霊体であることは聞いたが、なんの霊体かまでは聞かされていなかった。

 その正体がまさか、天使だったとはな。


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