―59― 磁石
「大変興味深かった」
寮の一室で、俺はふとそんなことを口にした。もちろん読み終わったのは先日手に入れた『電気と磁気に関する論文』だ。
「ふーん、そうか……」
と退屈そうなアントローポスの声が聞こえる。
「にしても、原書シリーズに書かれている記述と益々乖離していくな」
「そりゃそうさ。原書シリーズは人々を科学から遠ざけるために作られたものだからな」
「そうなのか?」
アントローポスの言葉に俺は思わず反応する。
「あぁ、そうさ。創造神と賢者パラレルススが結託して、そうしたのさ」
確かに、そういうことなら今現在、科学が廃れ原書シリーズにおける理論が世界にまかり通っていることが納得できる。
「なんのために、創造神はそんなことをしたんだ?」
「さぁな? そこまでは知らん。それに興味もない」
アントローポスのそっけない態度に俺はむっとする。こいつは肝心なことはなにも知らないよな。
まぁ、いいかと思い、俺は新しい知識を魔術に応用することにする。
そのために、鉄製のナイフを手にする。
「〈
呪文を唱える。
これでナイフは磁石になったはずだ。
それを証明するべく、他のナイフを近づける。すると、カチッと音を鳴らしたながら、二つのナイフはくっついた。
よしっ、うまくいったな。
「なぁ、アントローポス。原初シリーズにおいて磁石がどう解釈されているか、知っているか?」
「星の力だろ?」
「あぁ、磁石には北極星の方向に向く性質があるからな」
その性質を利用して作られたのが方位磁針だ。今では、方位磁針は航海にて必須のものになっている。
なぜ、そのようなことが起きるのか?
原初シリーズにはこう書かれている。
北極星と鉄に潜む精霊が共感しているから、と。だから、物質同士が共感し合えばくっつくし、対して反感しあった物質は離れていく。
その性質を利用した魔術が、〈
以前、Aクラスのバブロと戦ったとき、彼はこの魔術を駆使していた。
「だが、『電気と磁気に関する論文』にはこう書かれている。磁石が北を向く性質は決して星と共感しているわけではないと」
その根拠は角度にある。
磁石が北を向くとき、磁石は地面に対して水平ではなく、北を指し示した指針がわずかに地面の方向に傾く。
そう考えたとき、磁石の方向は漠然に北を向いているわけではなく、地球の北にある地点を向いている。
その地点を論文では『北磁極』と名付けていた。
そして、地球は大きな磁石だと結論づけられている。
ちなみに、書かれていることが事実なのか、俺は水平方向のみではなく垂直方向にも傾く方位磁針を作成して、そのことを確かめた。
確かに、北側を向いた方向が下側に傾いていることを確認できた。
「磁石が北を向くのは地球が大きな磁石だからと書かれているが、その理由までは書かれてなかった。お前はそのことについて、なにか知らないか?」
「さぁ? 我が知るわけないだろ。そんなこと」
「……偽神のくせに、使えないな」
「きぃいいいい! それ以上、我を侮辱するな。殺すぞ!」
「じぁ、実際、なにか役に立ってみろよ」
正直、お前にはなにも期待していないけどな、と思いながら、そう口にする。
「そうだな、なら、アドバイスをしてやろう。イデア界という概念を魔術に取り入れろ」
「イデア界……? そもそもイデア界とはなんだ?」
「至高神が創った完璧な世界のことだ。我々偽神はそのイデア界を根城にしている。そして、人間の魂も同様にな」
「本来、人間の魂はお前らが作ったんだったか」
そう、人の魂は本来イデアに存在していたものらしい。
だが、この世界を創った創造神によって、物質界に魂が連れ去られてしまったということを以前アントローポスが語っていた。
「イデア界に存在するのは、なにも人間の魂に限らない。動物や植物の魂、自然界の精霊、悪魔の霊、それに魔力だって、本来イデア界にあったものだ」
「魔力もなのか……?」
「あぁ、そうだ。魔力は本来、この物質界には存在しなかったものだ」
アントローポスの解説に俺は素直に関心していた。
初めてアントローポスを使い魔にしてよかったと思えた瞬間かもしれない。
「それで、具体的にどうするんだ?」
「イデア界を正しく認知しろ」
「正しく認知……?」
「あぁ、そうだ。いいか、そもそも貴様ら人間は無意識のうちにイデア界を認知しているのだ」
「そんな覚えはないけどな」
「ある」
ピシャリとアントローポスは断言する。
「原初シリーズ、これがそもそもイデア界を理解するための媒体だ」
「は……?」
「この原初シリーズは全くデタラメが書かれているわけではない。イデア界における法則が書かれている」
「そうなのか……?」
「あぁ、例えば、四大元素というのはイデア界において、極一般的な法則なんだよ」
そう言われて、衝撃が走る。
イデア界がどういう場所なのか、俺には想像もつかないが、原初シリーズに書かれていることが、イデア界のことだというならば、理解できそうな気がしてきた。
「だから、原初シリーズというのは、イデア界の法則をこの世界でも再現しようという試みのようなものだな。当然、それには莫大な魔力を消費することになる」
「そういうことか……」
アントローポスの説明に俺は関心していた。
「さて、ここからが本題だ。我ならば、貴様にイデア界の深淵の一端を授けることができる」
「うぉおおおおおおおお!!」
思わず、俺は大声をあげていた。
アントローポスの力があれば、深淵を見れるとは、興味がわかないわけがなかった。
「な、なんだ、急に!?」
「今すぐ、深淵とやらを見せろ!」
「だからって、くっつくな! 足を舐めるな。その上、足をしゃぶり始めるな!」
「ばぶぐべべびぼぼごぜ」
「なにを言っているかわからん……」
そう言われたので、アントローポスの足をしゃぶるのをやめてから、もう一度同じことを言う。
「早く、俺に深淵を見せろ」
「だが、いいのか? 我の力を借りるということは、貴様は本格的にこちら側になるということだぞ。いわば、異端だと認定されることになる」
「別に、かまわん」
「そうか。なら、こっちに顔をもってこい」
言われた通り、俺は顔を近づける。
「ん――っ」
気がついたときには、キスをされていた。
しかも、ただのキスではない。ねちっこく、舌が絡まるキスだ。
「初めてキスをされたやつの顔をしておるの」
キスをやめたアントローポスがそう口にする。その唇からは涎が垂れていた。
「誰だって、いきなりキスをされたら驚くだろ」
「ふむ、まぁ、そういうことにしてやる」
なんか上からの物言いで腹が立つな。
だが、今はそんなことよりも、なにが変わった様子が――
瞬間、膨大な情報の数が頭の中を流れる。
「が、がは……っ」
あまりにも膨大すぎる情報に脳が処理しきれず焼き切れそうな痛みが発する。
「さて、普通ならイデア界の深淵を覗いたら、その情報量を処理できず死に至るが、さてさて貴様の場合はどうなるかのう?」
ニタニタと笑みを浮かべてそうなアントローポスの声色が聞こえてくる。
その瞬間、俺自身が嵌められたことに気がつくのだった。
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