第六話 オタモイ海岸 松井 太一

 今は使われていない旧町内会館の扉を開けた。床はひどかった。嘔吐物、小便。そして裸でぶっ倒れている遠山紗月。長い黒髪はべとべとで、口から血を吐いていた。

 紗月は目を瞑っていた。俺は声をかけた。

「紗月」

 やっと目を開いた紗月は驚き、そして笑った。

「たー君」

「たー君はやめろ」

「なんでここに居るの」

「帰ってきた」

 紗月とは幼稚園と小学校が同じだった。俺は中学生になる前に青森に引っ越した。そして高校三年生の春、札幌へ戻ってきた。紗月と会えるのが楽しみだった。俺は特別バカという訳ではないが、偏差値四十の香連高校の転入試験を受けたのも紗月に会うためだった。

 紗月は学校に来ていないみたいだった。可奈子に色々と話を聞いたが、簡単に言うとビッチでいじめっ子でどうしようもないクズに成り下がってしまったらしい。噂によると放火とか、そういうマジな犯罪にも手を染めているらしい。

 ここ数日はどこに居るのか誰も知らなかった。紗月の両親に話を聞いても「どうでもいい。知らない」と言うだけだった。お姉さんも今どこで何をしているのか、分からなかった。紗月と仲の良い奴らに片っ端から色々な情報を聞いた。やがて旧町内会館に入り浸っているという噂を聞いて、ここに来た。

「紗月」

「なぁに」

「何してるんだ」

 紗月はのろのろと立ち上がり、床に置かれている鞄から1万円札を六枚取り出した。

「たー君」

「なんだ」

「遊びに行こう」

「その金、どうした」

「知らないおじさんにもらった」

「援交でもしてんのか」

「うん。最近あのおじさんSMに目覚めたの」

「紗月」

「なに」

「色んな噂聞いた。お前はビッチで、いじめっ子で、犯罪者なのか」

「うん」

「紗月。戻れ」

「どこに」

「普通に、戻れ」

 紗月はふらふらと俺の目の前に立ち、一万円札を顔にくしゃっと押し付けてきた。

「たー君。私ね、中一の時、妊娠したの」

「はぁ?」

「藤田さんっていうおばさんの家でね、監禁されて、一緒に居た男の子と無理やりエッチさせられて、妊娠した」

「……」

「その話を親にしたらね、出てけって言われた。面倒な子供を養いたくないって。だから家を出て、今は叔母さんの家に住んでる。子供は中絶した」

「お前は産みたかったのか」

「産みたかったけど、産める訳ないじゃん」

「好きでもない奴の子どもが欲しかったのか」

「違う。人を殺したくなかった」

「お前は被害者だ」

「たー君。お金、いっぱい貯めた。私、結婚してまた子ども産みたい」

「病院に行こう」

「産婦人科? バカだなたー君。まだたー君の精子はもらってないよ」

「違う。精神病院だ」

 俺は散らばっていた真っ黒のワンピースを紗月に着せた。手を握り、引っ張りながら町内会館の外に出た。

「たー君。いま、幸せ。また会えた。めちゃくちゃ嬉しい」

「ん」

「たー君。好きだよ」

「ん」

「ビッチでいじめっ子で犯罪者の私に会いに来てくれた」

「俺は過去にすがるタイプだ」

 振り返ると、紗月は子どもみたいなアホ面で笑っていた。気の抜けた笑顔。こいつを狂わせた奴らを全員ぶっ殺してやりたかった。


 自分の家に紗月を連れて行った。体に傷が沢山あったからとりあえず絆創膏を貼ってやった。風呂にも入れてやった。熱いコーヒーでも飲ませてやろうと思い、台所でコーヒーを淹れて部屋に戻った。紗月は床に座っていたが、俺が部屋に入った瞬間体をビクンと痙攣させ、取り繕ったような笑みを浮かべた。

「どうした」

「いや、なんでもない」

 テーブルに熱いコーヒーを置いたが、紗月は手を付けず興味深げに俺の部屋を漁っていた。そして探索に飽きるとベッドに座り込んだ。紗月の隣に座る。懐かしい気持ちになった。

「ねぇたー君。いつ戻ってきたの」

「最近」

「なんで手紙とか、くれなかったの。私いつも送ってたのに」

「歯がゆいからな」

「たー君。私ね、色んな人と付き合ったよ」

「ふーん」

「嫉妬した?」

「なんで?」

 紗月は頬を膨らませ、俺の肩を小突いた。

「これまで付き合ってきた奴らね、全員クソだった。一緒に居てもね、何も感じないの。あいつらじゃ、ダメだった」

「でもヤりまくってた」

「恋人からお金は取らないけどね」

「俺、高二の夏に童貞卒業したんだ」

「どんな子と?」

「その時付き合ってた彼女。可愛い子」

「ふぅん」

「苗字が遠山だったから、ずっと遠山って呼んでた」

「普通下の名前で呼ぶんじゃないの?」

「名前を間違えても、バレない」

「なーるほど」

 紗月は俺の上にちょこんと座った。頭を優しく撫でてやると、安心したように俺の胸に頭を預けた。

「たー君。お願いがあるの」

「なに」

「お姉ちゃんを殺してほしいの」

「お前、俺の事嫌いだろ」

「たー君にしか頼めない」

「再会して早々、物騒すぎる」

「もし殺してくれたら、私普通になれるかもしれない」

「沙織さんは今どこに居るの?」

「アパートで一人暮らししてる。しばらく東京に居たんだけどね、最近札幌に戻ってきたんだ」

「とりあえず話を聞きたい」

「分かった。じゃあ行こう」


 遠山沙織はボロいアパートに住んでいた。カギのかかっていないドアを開けると、悲惨な空間が視界に飛び込んできた。

 マグカップ、灰皿、ぬいぐるみ、目覚まし時計、ノート、ドライヤー、コンビニ弁当の容器、菓子パンの袋、食べかす、大量の服などなど。色々な物が散らばっている。女の部屋には見えないというより、人間の部屋に見えなかった。

 部屋の中央に置かれた小さなテーブルにはパソコンの液晶、キーボード、マウスが置いてある。ケツまで伸ばした長い黒髪をポニーテールでまとめた遠山沙織は熱心にペンタブを動かしていた。

「お姉ちゃん」

 沙織さんが振り返った。どれほど壊れているのかとビビっていたが、特におかしな様子はなかった。

「あら、その子誰?」

 喋り方も普通だった。昔と変わらず透き通った綺麗な声。

「たー君」

「たー君……マジで!? 久しぶりじゃん! 帰ってきたの?」

「はい。最近ですけど」

「うっそーカッコ良くなったじゃーん。あ、ちょっと待っててコーヒー淹れるから」

 沙織さんは台所でコーヒーを作ってくれた。まずいレギュラーコーヒーだった。紗月と沙織は楽しそうに話し始めた。少なくとも、紗月が沙織さんに殺意を持っているようには感じられなかった。

 俺はコーヒーを一口飲んでから、聞いてみた。

「沙織さんって絵好きでしたっけ?」

 パソコンの画面には描いてる途中の女の子のイラストが表示されていた。そこそこ上手い。

「ん。まぁね」

 紗月がぬいぐるみを膝に置きながら、言った。

「お姉ちゃんね、最近まで東京でラジオのDJやってたんだよ」

「凄いじゃないですか」

「ん。でもクビになった」

「どうして?」

「生放送で言っちゃいけない事言ったらね、クビになったの」

「なるほど」

 そして札幌に帰って来たという事か。じゃあなんで今、絵を描いている? DJの次はイラストレーターにでもなるつもりか。

「これ見て」

 紗月がパソコンのマウスを操作してホームページを表示した。そのページにはそこそこ上手いイラストが沢山掲載されていた。プロフィールのページには「イラストレーター目指してます」という文章が太字で書いてあった。

「お姉ちゃんはね、夢を追いかけているタイプの人間なの」

 紗月が分かりやすい説明をしてくれたので、なんとなく沙織さんの事情は飲み込めた。夢を追いかけてる人間は、色々と厄介なのだ。

「沙織さん、何歳でしたっけ」

「二十ニ。今年で二十三になる」

 俺は黙り込んだ。夢を追いかける年齢としては、ちょっとキツイ。

 紗月が深い溜息をついた。

「疲れたんだって」

「え?」

「だから、お姉ちゃん。なんか色々疲れたんだってさ。だから死にたいんだよね?」

 沙織さんは頷いた。

「うん。死にたい」

「そうですか」

「でもね」

 沙織さんは頭をぼりぼりと掻いた。

「死ぬの、面倒くさいんだよね」

 クズを代表するクズが、そこには居た。上から下まで完膚なきまでにクズだった。


 沙織さんは夢を追いかけるタイプの人間。でもなんか色々疲れた。だから死にたい。でも死ぬの面倒だし、自殺するには労力を必要とするし、それに怖い。でも死にたい。だから手っ取り早く私を殺してほしい。

 三行で説明できる。これでは納得できない。

「沙織さん」

「うん?」

「頑張ってください」

 紗月が俺の肩を小突いた。

「お姉ちゃんは死にたいんだよ。手伝ってあげようよ」

「お前が一人でやれよ」

「嫌だよ。だって人殺すの怖いもん」

「俺も怒る時は怒る」

「お姉ちゃんを助けたくないの?」

「映画一本分のプロットが沙織さんにあって、その話を俺が聞いて同情して涙を流せば、手伝う気になるかもしれない」

 紗月がカバンから通帳を取り出した。

「見て」

 言われた通り通帳を見て、俺は固まった。その残高なんとビックリ五百万円。

「お前」

「予想以上だった?」

「何人とヤったんだ?」

「援交は最強のビジネスだよ」

「援交で五百万円も稼げるかよ」

「中一の頃からやってるんだよ? それくらい貯まるって」

「おかしい」

「不可能な事じゃない。でもね、たー君」

 紗月はニヤリと笑った。

「私このままじゃ、いつか病気になる」

「お前は俺の事が好きなんだよな」

「うん」

「好きな人を脅す奴がどこにいる? つまり、お前は俺の事を好きじゃないって事さ」

「違うよたー君。私はたー君が大好きだよ。でもたー君しか頼める人いないんだもん」

「そうかな?」

「そうだよ。だってたー君、優しいもん」

 どう考えてもおかしい。こいつは本気で俺の事が好きなのか?

 でも、そうか。しょうがないのか。

 紗月は、頭がおかしくなっているんだから。


 俺は沙織さんを殺す事にした。沙織さんの事は嫌いじゃないけど、別に好きでもない。だけど紗月の事は好きだった。いやそれは少し違う。昔の紗月が好きだった。俺は札幌に戻って、また昔みたいに紗月と幸せな時間を送りたかったし、それが出来ると何の根拠もなく思っていた。例え紗月に彼氏が居たとしても、俺の元に戻ってきてくれると確信していた。結局いま紗月に彼氏はいなかったけど、それでも俺の確信通り、紗月は俺との再会を喜び、好きだと言ってくれた。

 でも現実は厄介だった。今の紗月は紗月じゃない。昔の紗月に戻ってほしい。

 昔の紗月を取り戻す事が出来るのなら人殺しくらい平気だった。前居た学校ではずっといじめられていた。人生が楽しくなかった。恋人が出来たというのは嘘で、ただ見栄を張っただけだった。俺も経験済みという事にしないと紗月と釣り合わないし、嫉妬してほしかった。なるべく過去と今のバランスが崩れないようにしたかった。それくらいに俺は恥ずべき時間を過ごしてきたのだ。

 でも今俺の目の前には紗月がいる。昔仲良くしていた友達とも早速メルアドを交換した。香連高校はひどい学校だけど、それも一年の我慢だ。

 新しい人生は順調だった。後は正常な紗月さえ取り戻せば俺の人生は久しぶりに平和で、穏やかで、楽しいものになる。

 やるべき事は一つ。殺人ではなく自殺だと判断されるやり方で沙織さんを殺すこと。警察に捕まったら、人生を取り戻すどころか終了してしまう。


 方法は簡単に思いついた。俺と紗月と沙織さんは久しぶりの再会にテンションが上がり、勢いに乗って休日にドライブへ行く。沙織さんが背景イラストの練習のために良い景色を撮りたいというので、大自然を眺められるような場所を目的地に選ぶ。

 そして俺達は良い景色を探し、写真を沢山撮り、最後に崖からの景色を撮ろうとする。そこで沙織さんは前に出すぎて落下して、死亡する。

 シンプルだが良いプロットだと思った。変に小細工した方がバレやすい。沙織さんはニコンの一眼レフカメラを買った。パソコンに背景のラフイラストを沢山残した。

 計画の実行はゴールデンウィークにした。あと三週間ほど時間はある。沙織さんはもう死ぬんだから好きに生きればいいのに、ひたすら家にこもって絵を描いていた。死ぬ寸前まで夢を追いたいと言っていた。どうしてそんなに夢を追うのか質問しても、「好きだから」と言われるだけだった。

 お姉さんが死ぬ事は悲しくないのかと紗月に質問した事もあるが、「お姉ちゃんの意志を尊重する」としか言われなかった。やっぱり紗月はおかしかった。

 紗月と再会してから三日後に寝た。童貞だとバレたが紗月は優しく頭を撫でてくれた。俺は紗月と結婚したいと思った。昔よくおままごとをして遊んだ。今度は本物のおままごとをするんだ。そう決めた。


 ゴールデンウィークが訪れた。沙織さんは軽自動車をレンタルしてきた。目的地は小樽にあるオタモイ海岸。浜辺は岩場になっていて、切り立った崖が圧倒的な存在感を醸し出している恐怖の海岸だ。

 オタモイ海岸を選んだ理由は特にない。ネットで適当に「北海道 崖」などのワードで検索したらオタモイ海岸のページがヒットして、画像を見た限り崖はとても険しく、自殺しやすそうだったからこの海岸にしただけだ。

 俺と紗月は後部座席に座った。朝早く出発して、みんなの好きな音楽を大音量で流しながら小樽を目指した。途中でステーキ屋に寄った。沙織さんが全部奢ってくれた。

 ステーキで腹を満たしてまた出発した。今度は音楽を流さずに、三人で色々な事を愚痴りあった。愚痴に飽きたらバカ話をして盛り上がった。紗月は楽しそうに笑っていた。紗月がまだ笑顔になれるうちに助けなきゃいけないと思った。

「ねぇお姉ちゃん。死んだら生まれ変わりたい?」

 紗月が唐突にそう聞いた。沙織さんは即答した。

「生まれ変わりたくないほど人生が嫌だから死ぬのよ。もう生きるのはこりごり」

「そっか。そうだよね」

「うん。だってつまらないし、面倒だもん」

「何がどうなったら、人生は面白くなるのかな?」

 沙織さんは窓を開けて、口に咥えていたタバコを外に投げた。

「知らないよ。そんなの」

 赤信号で車を止め、沙織さんは付け加えた。

「いろいろ努力はしてみたけど、やっぱりダメ。アンタ達も、すぐに分かるよ」


 オタモイ海岸に到着した。見上げるだけで小便漏らしそうな強烈な崖が辺り一面に広がっている。あの崖の上から落ちたら一発だ。しかし困った事が起きた。

 崖に登れない。

 海岸はかなり危険な岩場となっているしここ数年は崖崩れが頻発しているらしく、要するに死人が出るほど危険な場所という事で、崖に登る道が通行止めになっているのだ。死ぬために来たというのに、皮肉なもんだ。

 沙織さんは深刻な表情で言った。

「やっぱり自殺って、面倒くさいわね」

 さて。どうしようか。溺死させるのが手っ取り早そうだが、沙織さんを海に押し倒し、体を押さえつけて殺したりしたら必ず他殺の証拠が残ってしまうだろう。いやどんな証拠が残るのか具体的には全く分からないけど、日本の警察は優秀なのだ。それにこんな所で溺死なんて、不自然すぎる。

 俺が唸っているのを尻目に、紗月が言った。

「ここに来る途中のくねくねした道から崖に登れそうな所あったよ。ガードレール超えて、そこから崖まで行けばいいんだよ」

「本当? じゃあ戻りましょう」

 車に乗り込み、山道のようなくねくねした道を進み、途中で車を止めた。確かにこの場所から崖の方へ行けそうだった。しかし崖まで行くにはとてつもなく険しい山登りじみた事をしなくてはならない。

「やっぱり死ぬのって面倒くさい」

 沙織さんはそう言って溜息をついたが、先陣を切ってガードレールを超えて行った。そんな行動力がまだ残ってるんなら、もう少し人生頑張ってみればいいのに。


 死ぬ思いをして崖の上に登った。冷たい風。綺麗な広い海。しばらく俺達はその景色に圧倒されて黙り込んでいた。もちろん人間は俺達しか居ないし、前を見ても横を見ても後ろを見ても、自然しか目に入らない。大自然の中で孤立するのは、なかなか恐ろしい事だった。

 沙織さんが首にぶら下げていたカメラを持った。そして、叫んだ。

「すっげー!」

 また、叫ぶ。

「良い景色!」

 紗月も叫んだ。

「お姉ちゃん凄いねこれ! 良い絵描けそう?」

「描けそう! たっくさん写真撮らないとね!」

 沙織さんは色んな角度からカメラのシャッターを押しまくった。夢中で写真を撮る沙織さんはめちゃくちゃ楽しそうだった。

「そうだ! 二人の写真撮ってあげるよ! ほら並んで並んで」

 俺と紗月は海を背にして並び、手を繋いだ。空いている方の手で∨サインを作る。

「はい撮るよー」

 沙織さんは何度もシャッターを押した。俺達は色々なポーズを決めた。紗月はずっとはしゃいでた。後ろから俺に抱きついたり、両手でピースしたり。

 写真を撮り終え、沙織さんが言った。

「沢山撮れたね。ねぇ、私があの道見つけてよかったでしょ。私が、ここに来る道、見つけたんだもんね」

 紗月が頷く。

「アンタたち話に夢中で、外の景色なんて見てなかったもんね」

 俺も頷いた。沙織さんは笑ったけど、なんか顔が歪んでた。

「よし。じゃあ私の事も撮ってよ」

 紗月がカメラを受け取った。沙織さんが海を背にして立つ。

「んー。このアングルじゃうまく映らないかな? もっと後ろに下がるね」

 沙織さんは崖の端まで移動した。足が震えていた。もうそれ以上は後ろに行けそうになかった。

 心臓が破裂しそうだった。

 俺は前進した。

 後ろにいる紗月がどんな顔をしているのか気になった。でも、振り返らなかった。

 沙織さんの目の前まで移動した。顔と顔がくっつきそう。

「たー君」

「たー君はやめてください」

「ありがとね」

「いえ」

「紗月」

「なに?」

「私が居なくなっても、寂しくない? 悲しくない?」

「寂しいし、悲しいよ。でも苦しんでるお姉ちゃんはもう見たくないし、お姉ちゃんの意志を尊重したいんだ」

「ありがとう」

「沙織さん」

「なぁに?」

「よくよく考えてみたら」

「うん」

「ここは思ってたほど良い景色じゃない。もっと良い景色は他の場所に沢山あると思う」

「そうだね」

「残念です」

「うん」

「じゃあ」

「うん」

「お休みなさい」

 俺は沙織さんを突き飛ばした。


 ゆっくりと振り返る。紗月は笑っていた。小さな声で、言った。

「私とお姉ちゃんね、中一の時からずっと、別々の家で暮らしてたんだ」

 背筋が寒くなった。紗月がまた口を開く。

「自分だけのうのうと実家で暮らして、夢見る乙女になって、自由に生きて、挙句の果てに死にたいだ? 笑わせんなよ。私が、ずっと、どんな人生過ごしてきたと思ってんだ。処女奪われてよ、子供孕んでよ、叔母さんに虐待されてよ。あんな奴姉だと思いたくないね」

「紗月」

「なぁに?」

「どうして、俺に頼んだ?」

 紗月はスカートのポケットからスマホを取り出した。画面には何故か俺のメールデータが表示されていた。呆然。何も言えなかった。

「こっそりたー君のメールデータ抜き取っておいたの。一番衝撃的な送信メール読んでやろうか?」

 あぁ。全てが、終わった。紗月が笑顔で、大きな声で、言った。

『今日紗月とセックスしてやったぜ! 札幌に戻ってきた甲斐があった! これで毎日ヤりまくり! 札幌最高!』

「……」

「お前は一生、殺人者としてのレッテル背負って、苦しみながら生きろ」

 まぁそんな、深刻な話ではない。単純でよくある話だ。

 エッチがしたかった。その一言で全てが説明される。

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