インターミッション レイプおばさん 佐伯 可奈子
藤田さんのアパートに遊びに行った。喘ぎ声が聞こえた。音を立てないように玄関で靴を脱ぎ、リビングのドアを少しだけ開けて、隙間から中を覗いてみた。
中学生くらいの男女が素っ裸でエッチしていた。女は泣き叫んでいた。男は泣きながら女の上に覆いかぶさって腰を動かしていた。藤田さんはドアに背を向けて座り、包丁を持っていた。
藤田さんが言った。
「紗月という女の子が居てね」
私は声が出そうになるのを必死に堪えた。
「小学生の頃からうちのコンビニの常連でね、凄く可愛い子だった。今は一体、どこで何してるんだろうかねぇ。もうコンビニにも、遊びに来てくれないし」
藤田さんはけらけらと笑った。
「なぁ。五十五歳で処女って、どう思う?」
二人は何も答えなかった。藤田さんが続ける。
「私がどういう人生を送ってきたのか、分かるだろう?」
頭がイカれてんのか? 男は腰を動かしながら必死に何か考えている様子だったけど、結局口から漏れるのは喘ぎ声だけだった。藤田さんはまた笑った。
「人それぞれ自分の人生に対して思う所は色々あるだろうけどね、難しい言葉を使ったり、いちいち哲学的な解釈を自分に与える必要はない。答えは簡単よ。面白くない人生を送ってきたのさ」
男が腰の動きを止めると藤田さんは怒鳴った。「動け! 動いて種付けしろ!」
そしてまた淡々と語り始める。
「私はね、嫌なんだ。若い子達が次々に処女捨てて童貞捨てていくのが。だって惨めでしょ。五十五歳の人生のベテランがさ、ガキに負けてるみたいでさ。で、思うのよ。私の知らない所で皆がどんどん大人になって、人生の楽しみを知っていくくらいなら」
藤田さんが指で包丁を撫でる。
「私が知っている子同士で、私が見ている目の前で、恵まれない初体験をしてほしいなぁってね。それなら少しは、納得できる」
女の子がドアに視線を向け、首を振った。私は逃げた。
藤田さんは私がよく行くコンビニの店長だった。背は小さく髪は薄くて短く、客に対しての愛想は良いが、若い店員に対しての態度は高圧的でいつも怒っていた。
レジの打ち間違えをした店員をなじる、お釣りを返し間違えた店員にキレる、何かトラブルが起きた時、すぐ高校生の店員のせいにして口論になる。お菓子をごっそり盗まれた事が発覚してまた罵倒する。何かあった時藤田さんくらいに怒れる人じゃないと、店長は務まらないし店はバイトの遊び場になってしまうだろうとは思うけど、何故そんなに毎日イライラしていて、すぐキレるのか疑問だった。
藤田さんは私に良くしてくれていた。若い人が嫌いという事ではないらしい。いつもサンドイッチやおにぎりを買うと、「たまにはまともなご飯を食べなさい」と怒られた。
ある日の事。学校からの帰り道に雨が降った。急いで帰っていた。藤田さんとすれ違った。あらあらそんなに濡れて。私の家に来る? 本当は家に帰りたくなかった私は藤田さんのアパートに行った。
そう家に帰りたくない。それだけの理由で、良く知らない人の家に行ったのだ。お菓子なんてもらわなくても、それなりの理由さえあれば、人は他人に付いていく。お菓子に誘われて知らない人に付いていく子どもの方が、まだ平和的だ。
藤田さんの部屋は質素だった。
六畳のリビング。四畳の寝室。玄関の側に小さな台所、お風呂、トイレ。窓は建て付けが悪くてなかなか開かなかった。
藤田さんは窓を開けようとして悪戦苦闘していた。私が代わりに開けてあげた。藤田さんは笑いながら言った。
「これでドアも壊れたら、閉じ込められちゃうねぇ」
家具は最小限しかなかった。小さな液晶テレビが床に置いてあるけど、DVDプレイヤーどころかビデオデッキすらなかった。娯楽といえる物はほとんど無かった。せいぜい週刊誌が何冊かテーブルに置いてあるだけだ。
私は悲しくなった。藤田さんはパートが終わると、スーパーで一人分の食料を買い、この誰もいない質素なアパートに帰ってくる。そして小さな台所でご飯を作り、やっぱり小さなテーブルに皿を並べ、座り、テレビでも見ながらもそもそとご飯を食べる。その後は風呂に入り、テレビを見て、寝る。
寂しいだろうなって思った。それに五十代と思われる藤田さんが一人暮らしをしている事も哀愁漂っていた。処女らしいからもちろん未婚だろう。もしかしたら付き合った事すら無いのかもしれない。ていうか一緒に暮らしてくれる親戚は居ないのか?
藤田さんの手作り料理はあんまり美味しくなかった。魚とか煮物とか、なんか湿ったらしくて迫力に欠けるものばかりだし、味付けも薄い。食った気がしない。量も少なかった。
この前夜中にコンビニに行った時、若い二人のアルバイトが藤田さんの悪口を言っていた。すぐキレる。しょうもない事でいちいち店に電話してくる。なんでも人のせいにする。意味不明な事で騒ぎ、やっぱりキレる。更年期のヒステリークソババァ。そんな藤田さんは一人で寂しくアパートに暮らし、ジメジメした飯を食っている。
私が料理を食べ終えると、ずっとそわそわしていた藤田さんは突然古い電話機の受話器を取り、どこかに電話をかけた。ちなみに藤田さんは携帯電話を持っていない。
どうして携帯電話を持たないのかと聞いた時、藤田さんはシンプルな理由を教えてくれた。
「人間は食べないと死ぬから食費は必須だし、家賃も光熱費も払わなきゃいけない。それにこんな老いぼれいつ病気でぶっ倒れるか分からないし、あと何年働けるかも分からない。だからなるべく無駄を削って節約しなきゃいけないの。で、無駄な出費といったら携帯電話とか、ビデオとかでしょ?」
という事で、藤田さんは携帯電話を持っていない。でも電話の鬼だった。
「どこに電話かけてるの?」
「お店よ」
どうしたんだろう。家から直接店に電話かけるなんて。よく分からないけど只事ではない。
「あ、佐藤君? アンタ来週からシフト変わるんだけど覚えてる?」
さっき聞いとけ。
「あーあとほら、週刊誌ちゃんと抜いといてよ。この前マガジン入れようとしたらね、先週のマガジンまだ置いてあったわよ。ほんとしっかりしてよー。分かってる?」
その後適当に説教したり店内の様子を聞いて、藤田さんは電話を切った。
すげぇ。本当にしょうもない事で店に電話するんだ。
でも私は納得していた。
パートしかする事ないからお店の事が人一倍心配で、何より、そう、藤田さんは、寂しいんだ。
翌日。佐伯家の晩御飯は米、味噌汁、魚、唐揚げだった。どっちかというと朝ごはんみたいだった。
父親は去年から引き続き失職中。毎日ぼんやりパソコンの画面を眺めて一日を終えている。母親はパートに明け暮れている。まともな飯を作る余裕なんて無い。佐伯家は貯金と失業手当と母親のパート代でなんとかなっていた。でも高校に行くとなると学費はまだまだ必要になる。なんとかしないといけなかった。
晩飯を食った後、父親はいそいそと自分の部屋に引き下がった。追いかけて部屋のドアを開ける。いつものように床に寝転がり、ノートパソコンをいじっていた。パソコンの横にはコンビニ弁当が置いてあった。
……そんな金、どこから出てきた?
私は嫌な予感がして自分の部屋に駆け込んだ。そして唖然とした。
コンポが、無い。
お祖母ちゃんにコンポを買ってもらった時の事を思い出した。小学生の頃、私はお母さんにワガママを言っていた。コンポ欲しいコンポ欲しい。お母さんがそれをお祖母ちゃんに愚痴った。お祖母ちゃんが家にやってきた。可奈子、一緒にお出かけしよう。家電量販店に連れて行かれて、お祖母ちゃんが言った。
「どれがいい? お祖母ちゃん機械はよく分からなくてねぇ。好きなの選んでいいよ」
私は顔が真っ赤になった。ワガママを受け入れてもらった事が死ぬほど恥ずかしかった。自分がクソガキにしか思えなかった。高いお金を払わせる事になってしまってなんだか惨めだった。でもここまで来たら後には引けず、中国のメーカーが作った一番安いコンポを選んだ。
腸が煮えくり返った。父親の部屋に行き、叫んだ。
「お前コンポ売っただろ!? ぶっ殺されてーのか!?」
父親は振り返り、笑った。
「これ、一度食ってみたかったんだ。六百八十円の焼き肉弁当。母ちゃんのクソまずい飯なんか、食えねぇよ」
私は窓を開けた。ノートパソコンを奪い取った。窓から投げた。父親は怒り狂い、私の顔面を何度も殴った。負けじと顔面を引っ掻いたが、張り倒され腕を捕まれ、思い切り捻られた。骨が折れると思った瞬間、母親が助けに来てくれた。父親はリビングへ降りていった。お母さんは泣きながら言った。
「コンポ、お金溜まったら買ってあげるからね」
そういう問題じゃない。私は言った。
「あいつ殺してバラバラにして、臓器売って、うまい飯食おう」
もうあんな父親が居る家に居たくない。私はふらふらと家を出て、ふらふらと藤田さんのアパートに行った。誰かに家庭の愚痴を聞いてほしかった。友達ではない、大人に。
そして、最悪の場面に遭遇した。
自分が気に入った子ども達にエッチさせるおばちゃん。もしかしたら私も、包丁で脅されて知りもしない男子中学生とのエッチを強要されて処女を奪われていたかもしれない。いや、今はそんな事はどうでもいい。
紗月。
あいつが頭おかしくなったのは……。
藤田さんのせいだ。絶対、そうに決まっている。
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