7.月日

「あなたたちは本当にいつもいつも、こう修復が大変なことばかり依頼しに来ますね。天才通り越してもはや捜査の天災ですよ。」

エプロンとマスク、手袋、安全メガネを装着した純鋭と屡鬼阿は、笑顔で威圧的な清晴に頭が上がらなかった。

「そちらは、優秀な人材が増えて、着々と事件を捜査で来ているかもしれませんが、こちらは技術者がいないんです。助手も雇っていただけませんので、私一人でほとんどの被害者をエンバミングしているんです。私の言っている意味わかりますか?」

『はい…。』

(俺…カニバリズムのギタリストが他人の肉片を持ってパズルをしているなんて狂気すぎるだろ…)

ショボンとする純鋭の横で清晴は淡々と揃った部位から肉片を紡ぎ合わせ防腐処置と修復を行っていた。

「やはり、1人よりも二人、二人よりも三人ですね。何も指示しなくても防腐剤等の薬品を手渡しできることに驚いています。屡鬼阿さん。」

黙々と処置に必要な薬品を渡す屡鬼阿の姿に清晴は違和感を感じた。

「この技法はあまりやる人はいないんじゃない?腐敗時のリスクとか…高度な技術が必要で。」

「ドイツで学びました。たまたま知り合った日本人の医師に見学と教授してもらいまして。『腐らなければ問題ない。』と口癖のように言ってましたね。とても変な方でした。」

清晴の話を聞き、屡鬼阿は眉間に皺を寄せた。

「一先ず大変な作業は終わりました。お二人ともありがとうございました。(もうこんな作業させないでください)だいぶ早く作業が終わりましたのでここまでで結構です。(ま、誰のせいで作業が増えたと思っていますかね)また大変な作業があった際はヘルプとしてお願いするかもしれません。その時はよろしくお願いします。(次同じようなことがあったときは容赦しませんよ)」

清晴は二人に向かって微笑みかけた。

「お、おれ、今清晴の裏の言葉が聞こえた気がする…」

「気のせいですね。さ、休憩休憩。」

清晴と純鋭の会話を横目に作業室を出て、自販機のある休憩室のソファーに座った。




牢獄のような不衛生な環境。

毎日新薬の犠牲と称し実験にされる人々

失敗や悪化の兆候が見られたときは不慮の事故として扱われるか燃やされる

あの廃墟の隔離病院で屡鬼阿が汲み取った情報が頭から離れず屡鬼阿は嫌悪した。


“飲みやすいスムージー!!お試し30日分!”


ふと見たスマホの広告で表社会が平和に流れており、屡鬼阿は異世界にいるように感じた。

『…次のトピックスです。現代の社会問題である高齢者の孤独死。都内でも今年に入りすでに…』

休憩をしていた3人の耳に自然とその内容が聞こえた。

純鋭は呆れたようにため息をついた。

「屡鬼阿ぁ。お前が振り分けた資料覚えているか?…その中の一つが表で懲りずに動いていた。超高齢社会で警察が動かざるを得ないのが、高齢者の行方不明。それが認知症での一人歩きなのか、事故なのか様々な要因があるが、最近は変死体の方が目立ってきているという報告が多々ある。俺が今日、丸々一日音楽の方の仕事を休んでいるのは…」

純鋭が喋っているにもかかわらず、着信音が鳴り響いた。

「はい。はい。…でしょうね。わかりました。行きます。」

純鋭はさらに深いため息をついた。

「こういうことだ。俺らが出動する可能性が高いからだよ。」

純鋭はさらに清晴の顔をみて機嫌を伺った。

「まったく、今日は一緒に行きますよ。」

清晴もやれやれといった表情でため息をついた。






純鋭の運転する車に乗り込み3人は「ハァ」とため息をついた。

「今から向かう現場は3件。1,2件目は類似していて、料理をしたまま失踪。両者とも身寄りのない80代男性の独居高齢者であり、都営の団地に住む隣同士であった。両者の玄関のカギはあいていた。定期巡回で訪問している民生委員が窓があいていること、チャイムを鳴らすも出ず玄関があいていることに疑問を持ち、担当の包括支援センターに連絡。包括支援センター職員が本人に電話連絡しても出ず、同行訪問し居室を確認。この職員はあらかじめ本人に鍵が開いているときは上がっていいと言われていたみたいですね。部屋の中、トイレ、浴室に本人は居らず、“帰宅したら包括へ連絡ください”と置手紙を残したそうですね。2件目も同様で、その報告を区役所に相談していますね。翌日も音沙汰がないため区役所から警察へ捜索願を出した。その翌日(本日)別の70代独居の女性宅で近所の人より本人宅の排気口から調理している臭いがする。認知症の心配もあるため確認してほしいと、包括支援センターに連絡した。本人宅は鍵が閉まっており、リビングや各窓から本人を確認できず。ただ本人の携帯電話がリビングのちゃぶ台の上で光っていたため、中で倒れている可能性が高いと判断した、職員は上司、区役所に報告し救急要請。浴室の風呂釜は『湯沸し』になっていたとのこと。湯船のふたを開けると混濁した赤黒いお湯が煮立っていたため救急隊から警察も要請した…とのことです。

…これは…もう…」

助手席で送られてきた資料メールを読み上げる清晴は顔を引き攣らせた。

「…で、俺らはなんで1.2件目の家に向かうんだよ?」

「警視庁から見た貰いたいものがあるようですよ。それに3件目については、まだ手を付けられないようですね。」

純鋭は眉間に皺を寄せてパトランプだらけの車が停まる敷地内に車を停めた。

団地の階段を登っている途中で数名のスーツ姿の男性がものすごいスピードで口元をおさえ、駆け降りたと思うと、階段を降り切ったところで嘔吐している様子だった。

「集団食中毒?」

「違うだろ。お前も海で吐いてたじゃねーか。ってことはあれくらい悲惨だってことか」

純鋭は狭い玄関にたむろしている警視庁のユニホームを着た人ごみを避け台所へと進んだ。

「やれやれ最近の若いやつは。」

キッチンの真ん中で呆れながら立っている初老の男がいた。

「…ん?なんだお前ら?ここは野次馬が来るところじゃねぇんだ。」

男は、純鋭・屡鬼阿。清晴の顔を交互に見た。

「…あぁ。お前さんらは里京のとこの部下か。」

そう言い放つと冷蔵庫から皿を取り出し、3人に見せた。

「お前らこれなんだと思う?」

男が取り出した皿にはゆでたパスタにホワイトソースがかかっていた。

「カルボナー…!?」

純鋭がこたえようとした瞬間何かに気付いた。

「…これは人の脳…」

清晴は眉間を寄せて答えた。

「やっぱりお前らにもそう見えるか…。俺の気のせいではないんだな。…自己紹介遅れてすまねぇな。警視庁捜査係一課警部の二瓶道宏だ。」

屡鬼阿は二瓶の顔から再び脳みそカルボナーラへ目線を落とした。

「やっぱり、裏は鍛えられ方が違うのか…隣も案内してやるよ。」

二瓶は3人を手招いて、隣の家にズカズカと土足で入った。

「こっちはさっきまで調理中だったんだ。」

二瓶は湯気が出ている鍋のふたを開けた。

部屋いっぱいにシチューの香りが漂う。

清晴が鍋の中にレードルを入れて違和感と重量感がある物体を掬った。

「うそだろ…。」

純鋭は一瞬目を見開き形の崩れていない人間の脳を凝視した。

臭いとは裏腹に、見た目で一同胃から酸っぱいものが込み上げてくる不快な感覚になった。

「一昔前にこんな映画がありましたね…。しばらくはクリーム系の食べ物を食べれそうにないですね。」

清晴は鍋に脳を戻し、ふたを閉めた。

そんな中、屡鬼阿だけはきょろきょろと部屋の中を見回したり、落ちつきなく部屋を行ったり来たりしていた。

「どうした?屡鬼阿」

純鋭が屡鬼阿を呼び止める。

「人を殺して脳を取り出すなら、解体の作業をしたのはどこ?脳以外の部位はどこに行ったの?血液すら見当たらない…」

その言葉に純鋭と清晴は顔を見合わせた。

「勘がいいな嬢ちゃん。最期の報告の被害者の自宅に行ってみな。まだ鑑識がいるだろう。現場見れると思うぞ。」



三人は再度車に戻り、三件目の住宅へと向かった。

純鋭が運転する車の中で屡鬼阿はどこからか湧いてくる焦燥感に嫌悪していた。

「今日は何とか、ぶっ倒れなかったな。寧ろ平然としてるな。」

純鋭の言葉に自分がどんどん通常から離れていく気がした。

「…この数か月でいろいろありすぎて…少し頭がついていかなくて…」

その言葉に純鋭は地雷を踏んでしまったことに気付き、気まずくなった。

「そうですね。いろんなことが起こりすぎて大変ですよね。こんなに数か月で何十体もの惨殺な遺体を修復したのは過去にありません。自分一人では心も折れていたかもしれませんが、純鋭さんも屡鬼阿さんも手伝ってくれたので、私はまだがんばれそうですよ?それに私も検死や解剖では人の脳を直接見ることはありますが、調理されたものは今まで見たことはありませんから。」

清晴は純鋭の表情を読みとりながら、屡鬼阿に伝えた。

「清晴さん…。ありがとうございます…。」

「…ところで清晴、脳みそってどうやったって取り出すんだ?屡鬼阿がさっき指摘したように取り出すときに出血しないなんて無理だろ?」

「通常は、脳の手術の時は医療用の鋸(のこ)や木槌を使い、穴をあけ部分的に手術をするんです。生きている人の脳を全て取り出すことなんてことはしませんからね。遺体になってからは頭蓋骨を一周穴をあけて天辺から取り出すことはあると思いますが…。動物の解剖では一旦頭部をお湯で煮だしたり、アルコールなどの薬品に浸けて取り出すこと塩素系の薬品を使用することもありますがその場合は脳への損傷も大きいのですから、あんな綺麗にくり抜けません。どのみち脳と頭蓋骨の間には膜が何層もありますし、体に損傷なく体液をも出さず作業するのは無理です。」

その説明を聞いていた純鋭はいきなり、車を急停止させた。

「あー、わりぃ。俺はここまでだわ。」

3件目の現場の前には野次馬が殺到しており、純鋭は頭を抱えた。

「仕方ないですね。あなたの髪色なんかなりませんか?裏にいるのに目立つ色に染めているからですよ。」

「俺は目立つことが本来の仕事なんだよ。」

清晴は呆れながらシートベルトを外した。

「じゃぁ屡鬼阿さん。行きましょうかね。」

「あ、はい。」

清晴と屡鬼阿は車から降りると、純鋭は車を切り返してその場を離れた。





人だかりをかき分け現場の玄関に立つと換気口が回っていた。

「…これが普通の料理の時の臭いならいいんですけどね。内容を知っていながら生身でこの臭いを直接嗅ぐのはどうも辛いですね。」

屡鬼阿は清晴の言葉に余計想像してしまい、少し不快になった。

…とその時、屡鬼阿は誰かに見られているような視線を感じた。

その視線を確認するように、自分たちが通ってきた野次馬の群れを振り返ったが、その気配は消えてしまった。

「どうしました?」

「いや…なんか、視線を感じたんだけど…気のせいだったみたいです。」

「…そう…ですか。」

清晴と屡鬼阿はそのまま民家の中に入り、警察が鑑識している浴室に向かった。

家の中は、煮込まれている臭いが濃く漂っており、途中やはり気持ち悪くなっている職員がいるのを横目に、脱衣所と浴室を隔てる扉を開け現場を目の当たりにした。

「二瓶さんに言われて現場を発見時そのままの状態にしていたんですが…浴槽の中はとてもじゃないですが…」

現場を仕切る鑑識リーダーが、二人に事情を説明をし、浴槽の蓋を開けた。

「ずっと60度前後のお湯に浸かっていましたので…」

鑑識は赤黒く濁るお湯の中に網を入れ、下に沈殿した物体を引き上げた。

「これは…もう…こうなってはエンバミングは不可能ですよ…」

沈殿した物体はドロドロと溶けかかっているようだった。

「すいません。これ以上は…」

鑑識も耐えられなくなり、網を浴槽に再度戻し、口元を抑え、そのまま浴室から出て行った。

屡鬼阿は給湯器のスイッチをオフにした。

清晴はゴム手袋を鑑識から拝借し、浴槽の上澄みのお湯をかき出していった。

だんだんと見えてくる膨大な沈殿物。その中に人骨が積み重なっていた。

「骨の量から3人分ですね。頭蓋骨は頭が割れたものが二つ…一つは今のところ行方不明。」

清晴は洗い場のざらつきを確認した。

「先程の二件の脳はここで取り出されたようですね。」

屡鬼阿は排水溝の一角に光を反射する何かをみつめていた。

清晴は鑑識から再度ピンセットを借り、排水溝で光るものを引きずり出した。

「指…?にしては動物感が…」

屡鬼阿が呟くと、清晴は少し表情を曇らせ、蒼くなった。

「これはうちで調べましょう。…今回の報告書は私が書きます。屡鬼阿さん。そろそろ純鋭さんと合流しましょう。連絡してもらえませんか?」

清晴はいつも見せない険しい表情をし、屡鬼阿に指示を出した。





「今回の事件は完全な裏案件だな…」

二瓶は団地の庭の隅で、未だに嘔吐している若い職員を横目に呟いた。

「そうです。この案件はこちらが処理します。お引き取りいただいて構いませんよ。…それにそちらの若い職員にはショックが大きすぎたかもしれませんね。」

純鋭は清晴と屡鬼阿を待つ間、再度団地に足を運んでいた。

「よう、もう見てきたのか?」

「いえいえ、あちらは二人に任せて、僕はあるものを捜しに来たんですよ。」

「あるもの?…あぁもしかしたらこれか?」

二瓶は上着の内ポケットから厚めのカードを取り出した。

「ビンゴ!やっぱりありましたか。」

純鋭はそのカードを受け取ると、内容を見て「うへぇ」と声を漏らした。

「お前らはいつもこんな仏を見ているのか?」

二瓶は純鋭を憐れむように声をかけた。

「さぁ。二瓶さんは知らない方がいいと思いますよ。何事にも線引きは必要ですからね。」

純鋭は二瓶に少し困ったような表情で返答した。

「線引きか。ある奴は私念と言ったり裏は命知らずばかりだな。…そのカード、さっきのカルボナーラの家の冷蔵庫に入っていたんだ。カルボナーラにかけていたラップの上にわざわざ添えて。」

「そうですか。ありがとうございます。」

純鋭が二瓶に応えた時に屡鬼阿からの電話が鳴った。

純鋭は二瓶に一度会釈をし、車に戻って行った。

「…まったく、どいつもこいつも、深入りしやがって。」

純鋭の後姿を見ながら二瓶は隣で吐いている新人を見つめ煙草をくわえた。


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