22話 魔術師の残業



「この辺りは今日が初めての探索なんだ」



 先を歩くユリウスさんの言葉に、思ったより任務が進んでないんだなぁと首を傾げたら、



「昨日までアラームケロンがみっちりいたからな」



 と続いた言葉に、思わず眉間にシワが寄った。

 みっちりはちょっと……いや、かなり嫌だ。想像したくない。



「調査するのは構わないが、あまり遠くへは行かないように。ここから奥にはまだみっちりいるからな」

「絶対行きませんっ」



 激しめにぶんぶん首を横に振れば、ユリウスさんからは「そうか」と短い返事。

 カエル系魔物が苦手じゃないとはいえ、さすがにみっちりしているのは見たくない。


(今日は本気で大人しくしよう……)


 みっちりなケロンとエンカウントしないために、今日はユリウスさんから離れないと心に決める。


 ――本当は今日、朝食をごちそうになった後、魔術師団私たちは王都へ戻る予定だった。

 魔道具で多少緩和されているとはいえ、鳴き声は普通にうるさいし、アラームケロンの素材はいらないし。

 でも……。



『副団長が“さらっと見て来い”って言ってました』



 というリルの爆弾発言により、仕事が延長。帰還時刻が午後へと変更になってしまった。

 さらに、アラームケロンの大合唱に我慢の限界を迎えたプンが、管理棟より先に進むことを拒否。

 その結果……。


(私一人で追加仕事をするっていうね……。いつものツケが回ってきたかな、これ……)


 もう、チクショー以外の何ものでもなかった。

 日頃の行いって大事かもしれない。



「討伐したアラームケロンに変なところってありましたか? たとえば、積極的に攻撃してきたとか、凶暴だったとか」

「いや、至って普通だったな」

「つまり、何の変哲もないアラームケロンがただひたすらに多いと」

「あぁ」



 そうであれば、人為的なものではなさそうだ。

 魔道具や魔法で強制的に増やされていたとしたら、少なからず生態に変化がある。通常のアラームケロンと変わらないのであれば、魔術師団の出番はもうないかもしれない。


(さらっとでいいって言ってたし、もう帰ろうかな)


 あまり長くいるとユリウスさんの仕事の邪魔にもなるし。みっちりカエルも見たくないし。



「ユリウスさん。私、そろそろ…………」



 戻ります――と言おうとして、言葉が出なかった。

 ふと視界を走らせたその先に、気になるものを見つけてしまったから。



「……ユリウスさん。あれってなんですか?」

「ん?」



 気になるものに向けて指をさす。

 すると、それにつられるように視線を向けたユリウスさんが、小さく「あぁ」と呟いた。



「湖だ。……まぁ、昨日まではアラームケロンで埋め尽くされていて見る影もなかったが」

「え……怖い……」



 話を聞いただけで悪寒が。

 もし私が現場に居合わせていたら、絶叫するか、全力で逃げるかのどちらかで、きっと何の役にも立たなかっただろう。下手したら失神だってありえる。

 今更だけど、騎士ってすごい。



「……あぁ、なるほど」

「どうしました?」

「そういうのも怖いの内に入るのか」

「え? そういうのもって?」

「実は昨日ここへ来た時、俺を含めた数名以外の顔色が一気に悪くなってな」

「…………」

「中には討伐にも加われない者もいて謎だったんだが、つまりはそういうことなんだろう?」

「え、あ、そう、ですね、そうだと思いますけど………………ユリウスさん」

「ん?」

「その光景を見て、なんとも思わなかったんですか?」

「多いな、とは思ったが」



 ただそれだけだ、と言い切ったユリウスさん。


(苦手なものとか……あるのかな?)


 なんて、自然と疑問は浮かんだが、それはまた今度にしよう。

 早く仕事を終わらせて、午後には王都へ帰るんだ私は。

 それに、実はさっきの話の中で少し引っ掛かるものがあった。

 それは『湖を埋め尽くすようにいた』というアラームケロンだ。



「あの湖ってもう調べましたか?」

「いや、調べてはないが……。何かあるのか?」

「その、ちょっと気になることがあって。――さっき、湖を埋め尽くすようにアラームケロンがいたって言ってましたけど、おかしいんですよね。アラームケロンって見た目大きなカエルですけど、水嫌いのはずなので」



 だから、ユリウスさんからアラームケロンが湖を埋め尽くすようにいたと聞いた時。気持ち悪いと思いながら、それは本当にアラームケロンなのかとちょっと疑ってしまった。



「水嫌いなのか?」

「正確には泳げないから近寄らないってことみたいですけど……。知りませんでした?」

「気にしたこともなかったな」

「ま、まぁ、ユリウスさんくらいになれば、その辺の蟻と大差ないですもんね」

「そうだな」

「…………」



 まさか肯定されるとは思わなかった。

 確かに大人の力であれば、冒険者とか関係なく倒せる魔物ではある。あるけど……。


(蟻よりは強いと思うんだけどなぁ)


 自分から例に出しておいて何を今更という感じだが、ちょっと遠い目になった。こればっかりは仕方ない。



「しかしそう聞くと、この異常繁殖の原因が湖にありそうな気がするな」

「そうですね。最悪、原因とまでいかなくても手がかりはあると思います。――湖、見に行ってもいいですか?」

「…………」

「ダメです…………んえ?」



 ぽすん、と頭に乗った大きな手。

 なんで? と思いながらユリウスさんを見れば、その顔にはなぜか淡い笑み。

 しかもなんとなく、私を見つめる目も優しい気がするのだが。



「えっと、私はなんで撫でられてます?」

「成長したなと思って」

「成長? ……身長は随分前に止まりましたけど」

「体ではなく、心の成長。行動する前に、俺に確認してくれただろう?」



 よしよし、と優しく頭を撫でられて――呆然。


(私の扱い…………完全に子供じゃん)


 魔術師団の同僚のみならず、夫からの認識もこうなの?

 私、成人してからもう数年経つよ?

 見た目、立派な大人よ?



「えらいな」

「…………」



 グサァ!! と見えない何かが体に突き刺さった。

 それは、“羞恥心”や“恥辱”といった恥ずべき感情の刃。

 同僚に何を言われようと耳にすら入らなかったそれが、夫から言われることでまさかの自覚。……というより、怒られるのではなく褒められたのが効いた。クリティカルヒットした。


(これからは……ちゃんと大人になってやる……!)


 頭撫で撫でを甘んじて受け入れながら、私は決意を胸にした。





 恥辱の撫で撫でから解放された後。

 湖を見に行くことを再度尋ねてみると、今までで一番あっさり許可が出た。


(それじゃあ、さくっと終わらせよー)


 少しでも手がかりが見つかれば、早く帰れるかもしれないと思いながら、意気揚々と一歩を踏み出す。



「昨日討伐したばかりだから大丈夫だとは思うが、また群がっている可能性もあるから慎重にな」

「…………」



 先頭を歩こうとしていたところにそんな言葉を掛けられ、思わず足を止める。


(なるほど? そういう可能性もあるのか……)


 スススー、と後退して、ユリウスさんのうしろに回る。



「よろしくお願いします」

「……任された」



 ユリウスさんを盾にするのもどうかと思うが、こればっかりは仕方ない。

 だって、本気でみちみちカエル集団を見たくないのだ。

 それに、ユリウスさんから小さな笑い声が漏れていた気もするので問題ないだろう。……たぶん。


 先を行くユリウスさんの背中にぺったり引っ付きながら、みちみちカエルと遭遇しないことを祈る。



「歩くスピード速くないか?」

「ちょうどいいですよ」

「そうか」



 私がただ勝手に背中に張り付いているだけなのに、わざわざ確認してくれるユリウスさん。

 その優しさに罪悪感と感動を覚えながら、ふと頭をよぎったのは幼い頃の記憶。


 あの頃、まだ師匠と一緒に暮らしていた私は、よくそのあとに付いて回っていた。

 それこそこうやって、背中に張り付くようにして――。


(でも師匠はこれっぽっちも優しくなかったんだよね……。私まだ子供だったのに)


 むしろ、うしろにいることを忘れられていたんじゃないかと思う。



『勝手に動き回るんじゃねぇぞ』



 って言うくせに、私の歩幅も考えず一人で突き進むから、結果的に置いてきぼりにされるし。

 “速い”とか“待って”とか言っても、「はいはい」って返事だけして、やっぱり置いていくし。


(改めて思い出してみると、ろくでもないな、あの人……)


 自分、ほんとよく生きてたなって思う。


(それに比べて、ユリウスさんは――)


 そっと視線を上げて、顔を覗き見る。

 すると、その視線に気が付いたのか。足を止めてこちらを振り返り、



「少し速かったか?」



 と、気遣ってくれる。

 そんな優しいユリウスさんに「大丈夫です」と返して、また一緒に歩き出す。


(師匠の背中は、すぐ遠くなって不安しかなかったけど……)


 そっと、ユリウスさんの服の裾を両手で掴む。


(私を置いていかないユリウスさんの背中は、安心しかないや)


 それがなぜか堪らなく嬉しかった。




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