5話 騎士団長の妻語り



 エルレインが王都出発して、しばらく経った頃。

 エルレインの夫であるユリウスは、部下達の訓練が一段落し、自分専用に宛がわれた団長室にて小休憩をとっていた。


 給仕係が淹れてくれたお茶を飲みながら考えるのは、最近できた妻のこと。

 自分が家に帰ると、どことなく嬉しそうに笑うエルレインが、ユリウスはもう……………可愛くて仕方がなかった。


 生まれてこのかた、戦うことだけにすべてを捧げ、女の顔さえ識別できなかったユリウスにとって、エルレインは特別な存在だ。

 もう、可愛くて可愛くてどうしようもない。


(結婚したばかりの部下がよくだらしない顔をしていたのは、こういうことなのだろうな)


 何も知らなかったあの頃は軽蔑するように見てしまったが、今ならその浮かれた気持ちがよくわかる。


 家に帰った時、顔を見て、ただ「おかえりなさい」と言われるだけで嬉しい。

 朝、家を出る時、「いってらっしゃい」と言われるだけでやる気が出る。

 エルレインが嫁いできてからというもの、ユリウスの精神状態は非常に安定していた。


 ただの騎士だった頃に比べ、騎士団長ともなれば、周りの目や上からの重圧は計り知れないものだ。

 ほんの些細なことでも部下が失敗しようものなら、こちらを良く思っていない者達がしゃしゃり出てくる。それを適当に受け流そうものなら、根も葉もない噂を立てられる。

 日々、そんなどうしようもないことの繰り返しだ。


 しかし、エルレインと結婚してからというもの、そういった面倒事がほぼ鳴りを潜めている。


(当たり前と言えば、当たり前か)


 ユリウスがそう思うのは、エルレインがこの国にとって重要な役回りを任されているから。


 エルレインは自分のことを「ただの魔法オタクだから」と軽く笑う。だが、それがこの国にとってひとつの平和をもたらしていることを、彼女はまったくもって理解しない。


 現在この国は、王都に限らず、町や村にしてみても、他国に比べて魔物の被害が異常に少ない。

 それは、エルレインが独自に作り上げた結界魔法が関係している。


 人々が暮らす場所を限定して張られたその結界は、エルレインの構築した術式に一寸の狂いもないおかげで、今の今まで一度も破られたことがない。

 しかも、エルレインの友人だというアイテム職人によって作られた、結界魔法を定着させる魔道具のおかげもあり、それぞれの町や村に宮廷魔術師を置く必要もないのだ。


 周りは彼女を『優秀』だと言うが、ユリウスはいつも『天才』の間違いだろうと思っている。


(まぁ、そのせいで王族に目をつけられて、ここに縛り付けられているわけだが、本人はそのことをどう思っているのだろうか)


 ユリウスとエルレインの結婚を企てたのは、王族だった。

 並外れた戦闘能力を有するユリウスと、一から魔法を構築する技術を持つエルレイン。

 他国には渡したくない2人。


(俺は結婚相手など誰でもよかったからいいものの、エルレインには悪いことをしたな……)


 彼女は言った。

 結婚願望はないと。

 自分の伴侶は魔法、ただそれだけだと。


 しかし、それだといつかどことも知れないところへ行ってしまうかもしれない。それこそ、その探求心の向かう先がこの国ではないどこかに。


 だから、ここに縛り付けた。

 彼女の養父母を人質に、この国の貴族と結婚させて。


(一応、形式的に俺以外にも数人、候補はいたが……。彼女の養父母――オルフォート伯爵夫妻からの指名もあったからな)


 エルレイン曰く、この世界で誰よりも優しいという、オルフォート伯爵夫妻。

 しかし、この貴族社会においてのオルフォート伯爵家は、【頑固】の一言に尽きる。

 そんな人達がユリウスを指名してしまえば、他の候補者達に話がいくわけもなく。



『エルレインをお願い致します』



 と、有無も言わさぬ笑顔を向けられてしまえば、拒否もできず。

 ユリウスは、エルレインとの結婚を決めたのである。


(まぁ、伯爵夫妻からのお願いがなくとも、手を上げるつもりではいたが……。面倒くさい駆け引きをせずに、結婚できたのはありがたいか)


 初めの数日こそ、緊張するように表情を強張らせ、使用人達にも遠慮していたエルレイン。だが、今では柔らかな表情を浮かべ、使用人達とも楽しげに話している姿を見かけることがある。


 できるだけ早く馴染んでもらいたいと思い、朝食と夕食には必ず顔を出し、エルレインが眠るまで家にいた甲斐があったというもの。

 途中でそのことに気付いたらしいエルレインから、無理はしないでほしいと言われたが、まったく問題はない。

 毎日少しでも、エルレインの傍にいたいがためにしていることである。

 最近は少し、自分の浮かれた部分が顔を出し、エルレインを硬直させることもあるが、仕方ない。エルレインに慣れてもらう他ない。


(次は同じベッドで一緒に寝られるように慣らしていくか)


 無表情の代名詞とも呼ばれるユリウスからは信じられないほどの優しい微笑みが浮かぶ。

 もし、エルレインがこの表情を見ていたら、顔を真っ赤にしてぶっ倒れていたに違いない――。



「団長。少々お時間よろしいでしょうか」



 コンコンッと扉を叩かれ、問いかけられた言葉に、ユリウスは「入れ」と声を返す。静かに開けられた扉から入ってきたのは副団長だった。



「何かあったか?」

「はい。お届け物です。先ほどの訓練中に受け取りまして」



 そう言って楽しげに微笑む副団長を不思議に思いながら、ユリウスは折り畳んである1枚の紙を受け取る。すると、それを手にした瞬間、かかっていた魔法が解け、折り畳まれた紙が勝手に開く。



「おぉ。すごいですね」

「………エルレインか?」

「そうです」

「なぜ、来た時に俺を呼ばない?」



 面白くなさそうな声音でそう尋ねれば、「エルレイン様が呼ばなくていいと言ったので」とあっさりした返答。



「そこは何がなんでも呼ぶところだろう」

「僕も忙しいんですよ。エルレイン様も、大した用件ではないと言っていましたし。早く内容を確認してはいかがですか?」



 いつもと変わらぬ胡散臭い笑顔でそう告げてくる副団長を一睨みし、ユリウスはエルレインの手紙に視線を落とす。そして――



「……………」



 固まった。



「団長? どうかしまし――」

「おい。本当に大した用件ではないと言ったのか?」

「は、はい……。あの、何か……?」



 突如、ただならぬ雰囲気を纏ったユリウスに、副団長は笑みを消し、後退する。

 ユリウスは、エルレインの手紙に目を落としたまま、動こうとしない。



「団長?」

「南棟に行ってくる」

「え、あの、一体何が……。団長――」



 バタンッ! と激しい音を立てて団長室を後にしたユリウスは、【魔術師団】のある南棟へと足を進める。


 ――そして、着々と。

 何も知らない魔術師団団長には、八つ当たりとしか言えない危機が迫っているのであった。




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