6話 魔術師と村の洞窟



「へぇ。こうして見ると思ったより大きい村だわ」



 王都を出発してから2日後。

 昨日の夕方には目的地の【リーン村】に到着していた私は、とりあえず宿で1泊し、今日は朝早くから動き出していた。

 もちろん、今日も【男】な私である。


 宿屋の看板娘の話によると、このリーン村には季節ごとに催されるお祭りがあるのだという。

 村の周りには、季節ごとに色や形を変える植物がたくさんあるそうで、それを名物にお祭りを開催しているのだとか。

 当時の思惑よりもお祭りを見に来る観光客は多いようで、経済的に潤っていった村は今、小さい街といっても過言ではないほどの発展ぶりだ。


(村の宿屋なのに、各部屋にトイレとお風呂が付いてるって聞いた時には驚いた)


 観光地となっている場所や、大きな街の宿屋には、部屋にトイレやお風呂がついているのは当たり前。でも、過疎地や村なんかの宿屋は普通、共同が当たり前なのだ。

 それなのにこの村の宿屋の部屋には、トイレとお風呂がついていた。嬉しい誤算だった。


(共同だと、トイレは【男性用】に行かないといけないからね。あれは結構、精神的にくるものがある……)


 アイテム職人の友人に、それについて相談したことはあるのだけど……。



『そこはほれ………気合い? でなんとかしなよ』



 としか言ってもらえなかった。悲しいことに。

 友人曰く、「なんでもかんでもアイテムで解決するのは良くない」ということらしいけど……。


(男トイレのことを考えながら作るのが嫌だったんだろうな、たぶん……)


 と、私は勝手に思っている。



「………まぁ、とりあえず仕事を終わらせるかな。その方がゆっくり観光できるしね」



 そのためにはまず、村長のところに行って詳しい話を聞かなくてはいけない。


(うーん……。女に戻ってから行った方がいいかな、これ)


 今の自分の姿を見て、ふと考える。


 村長と話しをする際、自分が宮廷魔術師であることを証明するために、踏まなくてならない手順が2つ存在する。


 1つ目は、私も身に付けているこの【宮廷魔術師の目印】であるブローチ。これが本物であるかの確認だ。専用の魔道具にこのブローチをかざすと、持ち主の名前と年齢が表示される。


 そして2つ目は、身分証の提示。カード型のこれも、専用の魔道具を使って中身を確認される。名前、年齢、性別の他に、生年月日や現住所、職業や勤務先まで細かい記載がある。

 ちなみに、この身分証は成人になると強制的に発行されるものであり、居住地ではない村や街へ入る際には提示が必要。所持していなかった場合には、門前払いを食らうので要注意である(私は門前払い経験者)。



「まぁ、説明すればわかってもらえるとは思うけど……。でも、このローブのことを知られるのは困るんだよね」



 これは、アイテム職人である友人が親切心で作ってくれた物。一般販売はしておらず、この世で私しか持っていない唯一無二のアイテムだ。


 私は、この便利さから一度、「一般販売しないの?」と聞いたことがある。でも、友人はどれだけの大金を積まれても、私以外には絶対に売らないと言い切った。その理由というのが――



『だって、ちょっとでも破れたらただの布切れになるし。こんな不完全な物、売れるわけないじゃん?』



 アイテムとしては色々と中途半端だったから、らしい。完璧を追い求める友人曰く、性能が穴まみれとのこと。恥ずかしくて世に出せないレベルだと、本人はぼやいていた。


(私的には満足でも、本人が「誰にも教えるな」っていうんだからダメだよね)


 そうなるとやっぱり、村長には本来の姿で会うしかない。

 元の性別に戻すには、ローブを脱ぐか、深緑色を表にする必要がある。でも、それを宿でやってしまうと出掛ける際、受付にいる看板娘を誤魔化せない。


(やっぱり人気がないところで変えるしかないわ)


 少し手間だけど、これはもう仕方ないだろう。小さなことでも問題は起こさないに限る。


(人気がない場所って………結局あの洞窟の近くか)


 一度あそこまで行ってローブを入れ替えて、またここに戻ってくる。どう考えても無駄な移動だ。でも、話も聞かずに洞窟へ入って、取り返しのつかない事態になってしまったらと思うと――。


(………堅実にいこう、堅実に!)


 始末書だけは絶対に回避だ! と何度も自分に言い聞かせて、洞窟へと向かう。


 事前情報によると、リーン村の北側に位置するその洞窟は、徒歩で約30分ほどの距離にあるらしい。

 ほどなくして着いた、洞窟へ向かうための入り口には【ある一定のレベルを持つ者のみ通行可】と記された看板。更にその傍らには、レベル判定用魔道具が付いたゲート。


(無理矢理通ったら爆音レベルの警報が鳴って、電撃まで飛んでくるやつだ、これ……)


 一瞬、体が硬直したものの、気を取り直して魔道具に手をかざす。すると、『ピコーンッ』という間の抜けた音と共にゲートが開いた。どうやら指定されていたレベルは、きちんと上回っていたらしい。


 そして足を進めるのは、ゲートの向こう側。

 洞窟までの道は、2人並んでギリギリ歩けるほどの幅しかない土道。辺りには、瑞々しい葉をつけた木々がところ狭しと並んでいる。


(うーん。砂利道じゃなかっただけマシではあるけど……)


 人が歩く土道に、生え揃っている雑草が気になる。管理の方はいまいち行き届いていないのかもしれない。


(それにしても、往復1時間は遠いな……)


 代わり映えのしない退屈な道を歩きながら、ふと思う。

 自分で人気のない場所を選んだとはいえ、人はおろか動物の気配さえしないのはどういうことだろうか。特に嫌な気配を感じるわけでもなく、むしろ空気は澄んでいて綺麗なのに。

 どうして、こんなにも静かなのだろう。


(………ちょっと、怖くなってきた、かも?)


 実際にここへ来たのは今日が初めてだけど、この先にある洞窟の奥に何がいるのかは知っている。そしてそれに封印をかけたのは私ではなく、別の魔術師でとても優秀な人だったとも聞いている。だから、封印が破られているはずがない……………ないのだけど。


(ここで着替えてすぐに村へ戻ろう。やっぱりちょっと変な気がする……)


 勘、だろうか。

 これ以上、近づかない方がいいと思うのは――。


 ここからではまだ見えない、洞窟があるだろう道の先を見つめながら、ローブを裏返して羽織る。そして戻る本来の姿。

 いつも自分になって、すぐさま踵を返した――瞬間。



「………誰か、こっちに来てる……?」



 村の方から洞窟に向かっている気配が1つ。

 しかも、とてつもないスピードで向かってきている。



「え。ちょっと。このスピード……………何かに乗ってきてるの!?」



 決して、人の走るスピードではない。

 馬か。魔獣か。そういったものに乗っているようなスピードだ。



「か、隠れた方がいい!? え、でも、どこにッ!?」



 周囲に木々が立ち並んでいるとはいえ、普段、人が入るような場所ではないのだろう。地面は足跡ひとつなく綺麗なものだ。これだと隠れてもすぐに気付かれてしまう可能性が高く、意味がない。


(こ、こんなの想定してないって……!!)


 村の中から向かう洞窟に、こんな事態はまるで想定していなかった。

 ――油断だ。自由気ままな1人旅に浮かれて、完全に油断していた。



「あァ!? もうすぐ傍まで来てるッ!」



 とんでもないスピードだ。

 15分かかる距離を、たったの3分で。


(あ。あ。ああ。も、もう見え……………って、え―――)


 視線の先。

 目に映ったのは、見覚えのある黒い軍服。

 次に、シルバーグレーの鈍く光る髪に、落ち着きのある灰色の瞳。


 この、私がよく知る目の前の、この人は――



「ユリウス、様」



 王都にいるはずの、夫だった。


(え。え。え? 何? どういうこと……?)


 目の前の人物に、頭の中は疑問だらけ。

 どうしてここにいるのか。

 仕事はどうしたのか。

 あのスピードはなんだ。

 純粋な足の速さだったのか。

 息一つ切れてないとはどういうことだ。

 聞きたいことは山ほどあれど、まずどれを口にすべきか迷う。


(できれば、全部聞きたいけど……)


 そんなことを思っていると、たぶんアホ面を晒しているだろう私の元に、夫はゆっくりと近づいてくる。

 そして、真正面に来て止まったところで、私が顔を上に向けようとした瞬間。


 ぎゅっ、となぜか抱き締められて――。


(……………何。え? 何? あれ。ん? ……………んぎゃいッ!!?)


 口から出そうになった奇声を、グッと堪える。

 私は今、抱き締められている。

 私の夫に、抱き締められている。

 背中に回された、力強い腕。

 頬にあたる、かたい胸板。

 耳にかかる、微かな吐息。

 頭に感じる、柔らかな唇。

 それと――



「無事でよかった……」



 腰を抜かしかけるほどの、低音の美声。

 まるで私の無事を確認するかのように包み込まれる。


 ――つまり、これの意味するところは、置き手紙が失敗したということ。わかりやすく書いたそれが、裏目に出たということ。直接、話をしなければいけなかったということ……。



「エルレイン……」

「ッ!!?」



 でも、それとこれとは話が違う。

 私は今、全然無事ではない。

 少しでも気を抜けば、一瞬で気絶できる自信がある。

 ここ最近活発に起こる、動悸と息切れの再発。

 逃げ場のない、密着した体。


(く、口から……、口、から……、し、心臓、で、でちゃう……ッ!!)


 心臓があるのは左胸のあたりなのに、なんだか肺の少し上あたりで感じるのは私の気のせいか。

 バックンバックン、音が鳴って、顔が熱い。今なら顔面で目玉焼きを焼けそうな気さえする。


(は、早く、離して、もらわないと、わ、私、し、死んじゃうッ)


 どうにか体を離してもらえたらと思うけど、離してくれるだろうか、これ。

 離してもらえる気がしないのは、私だけだろうか、これ。



「ゆ、ユリウス様………あの、少し、は、離れて、もらえ、ません、か……?」

「……………」

「ユリウス様……?」

「名前を、呼んでくれるのか」

「……………はッ!」



 しまった。

 無意識に呼んでしまっていた。

 いつもは「旦那様」と呼んでいたのに。



「あ、あの、こ、これは……!」

「呼んでくれ。いくらでも。あと、様は必要ない」

「い、いや、でも、ユリウスさ「エルレイン」

「うッ」



 反則では、ないだろうか。

 いつも無表情だったくせに、こんな時だけ、そんな風に笑うのは。

 優しく、笑うのは。



「………ユリウス、さん……で許して、ください……!」

「ん。わかった」



 耳元で、小さく笑った声がした。

 優しく抱き締められて。

 ゆっくり頭を撫でられて。

 動悸と息切れは治まらなくて。

 早く離してほしいはずなのに。


(ユリウスさんの香りが………すごく安心するのは、どうしてなんだろう?)


 柑橘系の爽やかな、でもほんのり甘い香り。

 今にも崩れそうな腰を支えるようにすがり付いて――でも、こっそりと。

 いい香りのする胸元に、顔を埋めてしまった。




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