15話 魔術師の帰宅
「ですから、連絡が取れるまでお待ちくださいと申したでしょう」
「………はい。すみません……」
屍が如くベッドに横たわる私を前に、執事長はそれはそれは爽やかに微笑む。
自業自得とはいえ、疲労で動けない私を前にその笑顔ということは………お怒りなのだろう。そう思うと、雰囲気もどこか刺々しく感じる。
「これに懲りましたら、次回から突発的な外出はお止めになることをお勧め致します」
「もう二度と致しません」
「……………」
「え? なぜ無言?」
「貴方様なら、二度も三度も同じことを繰り返しそうな予感が致します」
“にっこり”という文字が見えそうな笑みと、まるで信用されていない言葉に顔が引き攣る。
「もしかして私………問題児的な感じなの?」
「……………」
「その輝かんばかりの笑顔が、答えですね……」
否定も肯定もなく、返されたのは素敵すぎる笑顔だけ。けれど、その笑顔は紛れもなく“肯定”を示していて。
本当、今さら後悔しても遅いけど、もっと丁寧な説明をしてから外出すればよかったと心底思う。
(屋敷の皆も、心なしかゲッソリしてたし……)
というのも、私が王都を出発した後に一度帰ってきたユリウスさんが、近年稀に見る機嫌の悪さだったらしいのだ。いつもの無表情に更に磨きがかかって、ただそこにいるだけで体が震えたんだとか(主に恐怖心で)。
だから、私がユリウスさんと一緒に帰ってきた時には、思わず泣きそうになるほど安堵したらしい。別々に帰ることにしなくて本当によかった。
ちなみに、今目の前にいるこの執事長は、
『あの程度であれば、まだまだ可愛いものですよ』
と口にして、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべていた。この人もなかなかに怖い人だ。
………とまぁ、そんなこんなで。
今回、フォーゲル家に起きた、ちょっとした騒動の原因。それが自分のせいであることに関して、もちろん異論はない。
むしろ、私なりに本気で反省しているつもりである。そう、反省はしている………のだけど。
「帰りの雑な扱いが解せない」
「ですから、馬車をお出しすると申したでしょう」
若干呆れ気味な執事長の言葉に、視線をそらして口ごもる。
――私は今、ベッドから起き上がることができずにいる。それは、全身ひどい筋肉痛に襲われているからだ。くしゃみなんてしようものなら、悶絶ものである。
(あぁ……あれはもう二度と体験したくないわ……)
遠い目をしながら思い出すのは、このひどい筋肉痛の原因となった、帰宅時の記憶――。
最初、私とユリウスさんの帰宅は別々を予定していた。その理由というのも、私がもう少しリーン村を見て回りたかったから。要は観光である。
私としては、ユリウスさんと一緒に観光したい気持ちもあったのだけど……。
『さすがにこれ以上はな……。正式な仕事でもなければ、休暇でもない。それに――副団長がストレスで“凶暴化”していると困る』
と、口にしたユリウスさんの顔が妙に真剣だったため、私はそれ以上何か言うのはやめた。聞き慣れない
更に、
『非常に魅惑的なんだがな……』
と、寂しげに私の頬を優しく撫でるユリウスさんから、逃げたいという気持ちもあったからだ。
――で、問題はここから。
別々に帰るということで、過保護なユリウスさんは屋敷の馬車をリーン村にまわすと言った。つまり、帰りはそれに乗って帰ってこい、ということである。
けれど、アホな私は、
『大丈夫です。行きに乗ってきた魔獣車で帰ります』
と、断ってしまった。
あの地獄のお説教が身に付いていないからこその発言だった。
『………エルレイン?』
怖い。思い出すだけでも怖い。目が笑っていない笑顔は本当に怖い。
その笑顔を見てハッとして、自分の失言に気が付いた時には正直もう遅かったけど――私はそこから頑張った。それはそれは頑張った。
頭を超絶フル回転させて、言い訳を懸命に並べて、どれだけ反省しているかをアピールして、そして……。
『やっぱり一緒に帰りますッ!!』
これなら怒られずに済むのではないか、という答えに辿り着いた。さすが私だな、とさえ思っていた。
けれど――。
『びッ……に"ゃアァァァーーー!!!』
全然そんなことはなかった。むしろ、一番最悪な答えだったように思う。
リーン村から王都までの帰り道。ユリウスさんは、馬車も魔獣車も使わなかった。であれば、一体どうしたのか。
ユリウスさんは――私を片手で抱き上げて、整備されていない森の中を突っ切ったのである。
『正式なルートを通るよりも“時短”になるんだ』
平然とした様子でそう言いながら、木から木へ飛び移るようにして走っていく。そのスピードは、空を飛ぶ最速魔獣にも劣らないほどのハイスピードで。
強風にさえさらされていなければ、私の目からは涙が流れていたことだろう。
そしてその道中、更なる追い打ちがあった。
それはなけなしの休憩中でのこと。
移動中、ひたすら緊張状態にあったせいか、体に力が入らずフラフラしていたところ。それを見かねたユリウスさんが、
『ここなら安定するか?』
と、私を足の上に乗せて後ろから支えるようにホールド。突然の至近距離に休憩が休憩ではなくなり、肉体と精神の緊張状態が緩和されることはなかった。たぶんこれが、“筋肉痛”の主な原因である。
そしてその後もユリウスさんは着実と移動距離を伸ばし、私が運ばれ疲れでぐったりし始めた頃。
『リーン村を出て12時間か。………そろそろ王都だな』
というユリウスさんの言葉に、私は目を丸くした。
なぜなら、リーン村から王都まで余裕をもった移動なら約2日。たとえ、休憩も取らずに魔獣車を走らせ続けたとしても、20時間はかかるのだ。
それなのに、ユリウスさんはその距離をまさかの12時間……。正式ルートではなく、時短ルートを走っていたとはいえ、信じ難いレベルである。ユリウスさんは本当に、私と同じ人種だろうか……。
――とまぁ、そんな感じで。
肉体、精神共に超えた限界が重度の筋肉痛となり、私はベッドの上で屍状態となっているのである。
「時短ってレベルじゃなかったんですけど」
「辺境伯家では普通ですよ」
「………やっぱり、私――」
「ゆっくりでいいので慣れてください」
「……………」
「何年かかっても構いませんので」
さっきと同じ笑顔なのに、有無を言わさぬ圧をひしひしと感じる。今後はたとえ冗談でも、結婚に対してマイナスなことを言うのは控えた方がいいかもしれない。
「………えっと、ユリウスさんは仕事?」
「はい。エルレイン様の寝顔を名残り惜しそうに眺められた後、渋々お出かけになられました」
「ブッ」
「ユリウス様にあのような一面があったとは驚きです」
思わず吹き出してしまった。まさかそんな細かく説明されるとは思わなかった。からかわれているようで恥ずかしいので、今後はやめていただきたい。
「ゆ、夕食どきには帰ってこれるのかな?」
「隙を見てお戻りになると思いますよ。いつもそうですから」
「そっか」
一緒に夕飯を食べれるのは嬉しいけど、果たしてあと数時間で私の体は動くようになるのだろうか。
「お体がまだ辛いようでしたらこちらに夕食を運ばせますので、ご安心ください」
「………エスパーなの?」
そう口にすれば、「お顔に書いてありました」と微笑む執事長。つまり、私はわかりやすい奴ということか。
「エルレイン様。そろそろ昼食の時間になりますが、どうなさいますか?」
「頑張って起き上がるから、食べやすい物をここに……」
「承知致しました。少々お待ちください」
軽く頭を下げて部屋を出ていく執事長の背中を、ベッドの上から見送る。
――ここが自分の家になることは一生ない、と思っていたのはいつの頃だったか。視線を上げれば、そこはもう見慣れた天井。体に触れるのは、私専用と言っても過言ではないほど馴染んだベッド。
そして、甲斐甲斐しくお世話されることに抵抗がなくなってきた自分。
「………ふふ。あっという間に慣らされちゃったな」
結婚をして、この家にやって来てまだ1ヶ月。
それでも、着実にここが自分の帰る家へとなりつつあることを自覚すると、自然と笑みが溢れる。
そして――。
「ただいま」
という言葉にも、何ひとつ違和感を感じなくなった今日この頃であった。
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