第43話 東京の風が吹く
「えぇ~帰らないでぇ~一緒に初夜を過ごそうよぉ~」
「言い方! それに俺は明日も学校があるんだよ。次の新幹線逃したら明日も休むことになっちまう」
「いいじゃん。サボって私と楽しいコト……しよ?」
「茜も仕事あるだろうが」
「セクシーなお姉さんっぽく言ってもダメかぁ」
「ダメだ」
俺にしがみついて離そうとしない茜。
そろそろこの家から出発しなければいけないのだが……茜の意志は固そうだ。
「今日だけは特別に、私に何でもしていいからさぁ」
「魅力的な提案だけど、残念ながら今は気が乗りません」
「こんな極上な女を目の前にして⁈」
「お前何言ってんだよ」
茜はほんとにそっちの話に舵を取りがちだ。
男として結構反応に困るからほんとにやめて欲しい。
俺は茜に抱き着かれていることを特に気にせず、座って靴を履き始める。
「うわぁ~行っちゃイヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「またすぐ会えるだろ?」
「でも、でもぉ……」
目に大粒の涙をたくさん浮かべて泣きべそをかく茜。
茜は本当に甘えん坊だ。
昔もこんなことがあった気がする。
こいつはやっぱり、変わったようで変わっていないんだな。
急にそのことに気がついて、心が染み渡るように温かくなっていった。
「電話、かけてやるよ」
「へっ?」
「今まで茜からかけてくること多かったけど、今度は俺がかけてやるよ」
「……ほんとに?」
茜が後ろからひょいっと顔を出し、期待の眼差しを向けてくる。
俺はそんな茜の姿に少し笑いつつ、「ほんとだよ」と返した。
「寝る前に電話とかしていいの?」
「いいよ」
「私が寝るまで、電話してくれる?」
「お前が寝たら電話切っとくよ」
「モーニングコールしてもいい?」
「目覚まし時計にちょうど嫌気がさしてた」
「ふふっ。歩夢っておかしい」
「お前こそ」
二人して笑った。
微笑ましい雰囲気。
ここが玄関ということもあって、まるで俺たちは新婚夫婦みたいだった。
「なんか私たち、新婚夫婦っぽいね」
「今俺もちょうど思ってた」
また笑みがこぼれる。
そうだ。新婚夫婦の玄関前には、笑顔が溢れるものなのだ。
俺はいずれ来たる未来に思いを馳せる。
こんな未来が、俺たちを待っていますように。
密かにそう願って、俺は靴ひもをちょうちょ結びで縛った。
立ち上がって、茜の方を向く。
「じゃあ、俺はそろそろ行くわ」
「うん。寂しいけど……でも、きっとそういう時間が愛を育てるよね」
「そうだな」
ずっと近くにいては、本当に大切なのものだと気がつくことができない。
それは、当たり前のものを失って初めてその大切さに気がつくのと同じで、離れて寂しいと感じることで、その人に対する自分の愛の大きさがようやく分かる。
だからきっとこうやってお互い寂しいと感じる時間も、大切なのだ。
俺たちはそのことに気づいているから、だから頑張れる。
「電話、たくさんするからね」
「あぁ」
「……んっ!」
もう一度抱き着いてくる茜。
俺を抱く手はさっきよりも強くて、茜の気持ちの大きさがよくわかった。
俺も茜の背中に手を回して、抱きしめる。
しばらくたって、茜は俺からゆっくりと離れた。
そして目を瞑った。
「ん?」
「行ってきますのチューは?」
「……あぁ」
そういえば今俺たちは、新婚夫婦なんだった。
俺は茜に歩み寄って、軽く唇を当てる。
一瞬だったが、それでも茜は満足したような笑みを浮かべた。
「行ってらっしゃい、未来の旦那様♡」
そんな茜の言葉に笑みを浮かべつつ、「行ってきます」と返してドアを開けた。
茜が一人で戦うこの地を吹く風が、俺の頬を撫でる。
「頑張ろうぜ、お互い」
俺はそう呟いて、歩き始めた。
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