第31話 何度唇を重ねれば

 ガチャリと音を立てて、扉が開かれる。

 それと同時に、今最も聞きたかった声が聞こえてきた。


「ただいま~」


 俺はその言葉を聞いた瞬間、ソファーから駆け出していた。

 あんなにも俺を包み込んで離すまいとしていたのに、抜け出してみれば一瞬だった。


 玄関に出た。

 するとそこには、予想通りの人物がスーツケースを持って立っていた。


「おっ歩夢。久しぶりだ――」


 茜の言葉を途中で遮って、俺は気づけば茜に抱き着いていた。

 自分でもなんでこんなことをしたのか驚きだけど、でも理由なんてどうでもよかった。


「おかえり、茜」


「あ、歩夢……ん」


 少し甘い声を漏らして、茜が俺の背中に手を回した。

 俺の胸に顔を埋めて、心地よさそうな表情をする。


「どうしたの? 急に抱き着いたりしちゃって。もしかして歩夢も甘えたくなっちゃった?」


「いや、茜がこうしてほしいかなってね?」


「私はいつだってむぎゅーってされてたいけど、今回は歩夢なんじゃないのぉ?」


「さぁ?」


 依然としてハグをしたまま会話をする。

 玄関前というのにぬくもりを感じていた。

 このまま眠ってしまいそうな、そんな感じ。


「歩夢……」


 茜が俺と少し距離を取って、目を閉じた。

 いくらこの手に弱い俺でも、これが何を表しているのかすぐに分かった。

 

 今俺たちを遮るものは何もない。

 だから俺は茜の肩を持って、唇を重ねた。


「ん、ん……」


 また茜が甘い声を漏らす。

 そんな声を聞いてしまえば当然やめられるわけがなく、俺はやめどきを失ってしまった。

 

 だがそんなことも気にならなくなるくらい、俺たちは唇を重ねたと思う。

 確かに感じる、茜の唇の感触。

 だけど、ファーストキスの味はレモンなんてよく言うけど、そんなの分かるわけがない。

 だって――


 

 味覚を忘れるほど、俺と茜は唇を重ねたのだから。



「……」


 ゆっくりと唇が離れていく。

 一瞬見えた茜の頬は真っ赤に染まっていて、さすがの茜でも恥ずかしいようだ。

 すぐにまた俺の胸に顔を埋めて、顔を隠す。

 だが、真っ赤に染まった耳は隠せてなくて、そんな姿が心底可愛いなと思った。


「……キス、しちゃったね」


「あ、あぁ……」


「えへへ。やっぱり、歩夢は狼さんだ」


「ち、ちが……いや、たまにそうかも」


「んふふ。受け入れます」


「ありがとうございます?」


「なんで疑問形?」


「疑問形がいいんだよ」


「理由になってないなぁ」


 茜が呆れたようにため息をついた後、転がるように笑い始めた。

 俺もそれにつられて笑みをこぼす。


 何が面白いかって、そんなの分かるわけないけど。

 でも心の底から笑えた。


「茜、大丈夫だったか?」


「うん、大丈夫。歩夢は?」


「大丈夫だ」


「そっか。じゃあ二人とも、大丈夫だ」


「そうだな」


 もう一度茜が笑った。

 今の茜は、今まで見てきた中で一番幸せそうな顔をしていた。

 その理由は明白だけど。


「ねぇ」


「ん?」


 下から見上げるように俺のことを見てくる茜。



「もっかいキス、しよ?」



 そう言ってもう一度キス待ち顔をする茜。

 その顔はずるい。そんな顔をされて耐えられるほど、俺の理性は強くないというのに。


 俺はもう一度、茜と唇を重ねた。

 今度は短く。でも、すぐにまた茜が背伸びをして俺にキスをしてきた。


「んふふ~私もキスしてやったり」


「……はぁ、全く。お前はキス魔か」


「その汚名を背負って歩夢とキスができるなら、それでいいや」


「ったく……」


 純粋無垢で、汚れを知らない無邪気な笑みを俺に向けてくる。

 こう何度も主導権を握られてしまっては、少し悔しさが沸き起こってきた。


 俺は仕返しに、不意を突いて茜にキスをした。


「ん⁈ ん……ん」


 不意を突かれてさすがに驚く茜だったが、すぐに気持ちよさそうな顔に変わった。

 してやったり、と思いながら、ゆっくり茜の唇から離れる。


 すると顔を真っ赤にさせた茜が、上目遣いでこう言うのだった。



「不意打ちはダメだよう……ばかぁ」



 やっぱり、最高に可愛い。

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