罪への序曲

 イイヤツの映像の後、子供たちの目に危ない生気が出てきた。


 食事をチラつかせ、実験に協力的にさせることで結果の変化を確認するつもりだろうか。


 まさに、目の前にえさをぶら下げられた馬のように集中し、実験の苦痛に耐えることだろう。


 呼び出しの時間になり、061番から研究員に連れていかれる。


 その間に俺と鳳凰院は腕の拘束を服を脱ぐことで解き、隣同士で床に座る。


「他の奴ら、イイヤツの手の平の上で踊らされているな。まぁ、俺もあえて乗せられてやるつもりだけどよ」


「……正気?」


「そうしねぇと飯も食えねぇしな。それに、単純に興味があるんだ。あの苦痛を越えた先に、本当に人間を越える『力』が手に入るのかどうか」


 そう言った時の鳳凰院の目は、強く力を渇望かつぼうしているように見えた。


「俺は力が欲しいんだ。力があれば、俺は自由を手にすることができる。普通じゃ手に入らないものも、もぎ取れる。力さえ、あれば……!!」


 鳳凰院の場合は、食料よりも危険なえさに釣られている。


 純粋過ぎる力への欲求。それも確実に間違った力への。


 これは止めるべきなのか?いや、俺が止めようとも研究員は強引にでもまたあの注射をするに決まっている。


 それなら、俺が止めても意味はないことなのではないだろうか。


 鳳凰院の危険な欲求について考えていると、ドア付近で腕を軽く組んで立っている彩さんが俺を見ていることに気づいた。


「ボクの担当の人が迎えに来たから、行ってくるよ」


「ああ、無理はするなよ、高太」


「うん……鳳凰院くんもね」


 彩さんと共に部屋を出た後、昨日2人で話した部屋に通される。


 昨日のことから、担当研究員はカウンセリングのためにこの1時間のトークタイムを用意したんだろう。ストレスや不安のけ口は必要だ。


 俺と彩さんは対面するように椅子に座れば、彼女は頬杖をつきながら俺の目を見た。


「瞳の色は黒に戻っているようね。……良かったわ、あのままだったら確実に他の研究員にバレてた」


 彩さんは安堵の息をつくが、僕には昨日から何のことを言っているのかがわからなかった。なにせ、部屋には鏡が無かったので自分の顔を見ていないのだ。


「あの……彩さん、ボクの目はどうなってるんですか?何が変化しているんですか?」


 彩さんは目を左右に動かし、言うべきかどうかを悩んでいるように見える。そして、部屋のすみにある監視カメラに注意しながら小声で話した。


「あなたは今、あの赤い薬の作用が出かけているわ。その証拠に昨日、あなたの瞳の色が黒から薄い赤色に染まっていた。前の小動物を使った実験でも、瞳の色が変わっていたからわかる。それは片鱗へんりん。その色が鮮やかな赤色……紅に染まってしまったら、あなたの精神は壊れてしまうかもしれない」


 それは脅しでも、恐怖を与えるためのセリフではないことは伝わってくる。


 この人は冗談を言わない。だからこそ、事実から来る恐怖に俺は身を震わせた。


「どうすれば、そうならないようにできますか?」


「あの薬の効果は感情の起伏に影響される。常に平常心であることがとても重要ね。私が見ていた限り、あなたの場合はそれだけで十分だし、それができると思う」


「……頑張ります」


 俺が少し顔をうつむかせると、彩さんは溜め息をつき、声の大きさを元に戻して見透みすかしたように言った。


「高太、今悩んでいることがあるんじゃないの?」


「え?いや、それは……」


 確かに、今話している間も鳳凰院のことを頭の片隅で考えていた。


 大人は子供のことを、何でも見透かしてしまうのだろうか。


「話してみなさい?お姉さんが相談にのってあげる」


 彩さんは薄く微笑み、俺に話すように促してくる。


 俺は仕方なく、鳳凰院の力への渇望をどうすれば良いのかを相談した。


 すると、彩さんから予想もしなかった答えが返ってきた。


「あなたが無理に彼を力から離すことをしなくても良いし、それで彼が力に溺(おぼ)れてしまったとしても、それは彼の失敗であってあなたが何かを感じる必要はないわ」


「でも、力に飲まれてしまったら、その後は破滅しかないってボクが読んだ本の中に書いてあった。だから……」


 俺の言葉を聞き、彩さんは目を細める。


 何か間違ったことを言っただろうか。


「1つ、あなたの言葉を訂正するわ。力に溺れることはあっても、力に飲み込まれることはないわ。力と言うものはそこに存在するだけよ。それを使う人間によって、力の意味は違ってくる。力に善悪という概念を当てはめるのは間違いということよ」


「すべては、それを使う人間次第ってことですよね」


「それは誰もが知るべきシンプルな事実。それでも、この世界にはその事実を受け入れない人間があふれている。使われる側には罪はないのに、使う側は責任を押し付ける。体が大人になっても……子供ばっかりよ、この世界は」


 その時、どこか呆れたように言う彩さんの顔は、失望しているように見えた。


 話している間に1時間が経過し、俺はまた実験室でモルモットにされた。 


 そして、次の時間、俺たち060番代の部屋に10人分の食事が提供された。


 大人たちにとって良い結果を残したと言うことだろう。


 しかし、それが良いことなのか悪いことなのかを問われれば、俺たちは絶対に善人ではない者たちの研究に協力しているわけであるから、答えは後者。


 それでも、このまま飢え死にするよりは良い。


 俺たちは……いや、少なくとも俺は、これから先の1年後か10年後、それとも明日すぐに起こるかもしれない脅威きょういに目をつむり、自分の中の変化がいつ起こるかもわからない恐怖に耐えながら、この先の数日も研究施設の中で過ごした。


 その間に、俺は起こるかもしれない変化を考慮して慎重に行動すべきだった。


 当時の俺の不注意のせいで、あの惨劇の結末に一歩ずつ近づいてしまったんだ。



 ーーーーー



 食事の時間と実験の時間以外は部屋の中を自由に行動できることは言うまでも無いが、その間にすることは特に何もない。


 鳳凰院がたまに暇潰しに話しかけてくること以外は、俺の1日の中で心待ちにしているのは、彩さんと話せるあの1時間だけだった。


 この施設の中で信頼できるのは、大人と子供の中でも、彩さんだけだったから。


 そして、3日目くらいからだったか。俺は彼女から話す前に監視カメラで視認されない死角で採血さいけつされるようになった。


 理由は聞かされていないが、その時の彩さんからは何かを成し遂げようとする必死さを感じた。だから、俺は彼女の言うことに従っていた。


 そう、たったそれだけ。それだけを繰り返す日々だった。実験は変わらずに辛かったし、えさも同じメニューなので美味いとは思わなかった。彩さんとの話では、親に監視されている日々では学べなかったことや教訓を得た。


 そして、俺の目も日に日に実験の後に変色する期間が長くなってきていた。


 退屈ではないが面白味のない毎日がいつまで続くのかと思った中のことだった。


 あの日、それが起きてしまったことで、その毎日は1日で崩壊に向かってしまった。


 俺が罪を背負うことになる、あの日に……。


 実験の呼び出しの時間までの間、俺はいつものように定位置に座って目を閉じ、彩さんが来るまで体力を温存しようとしていた。


 その時、鳳凰院は俺から離れた所でルービックキューブをしていた。


 他の子供がおもちゃやもう何度読み直したかもわからない絵本を読んだいた中、1人の少年が不機嫌な顔をして俺の前に立った。


「066番……だっけ?おまえ、何かわからないけど大人たちの間でえこひいきされてるらしいけど、あまり調子に乗るなよ。見てる俺たちはイライラするからさぁ……」


「……えこひいき?ボクは別に調子に乗って無いですけど、そう見えたのならボクの落ち度ですね。ごめんなさい、062番くん」


 リストバンドの番号を見てすぐに謝るが、少年の表情は平静に戻らない。


 余計な衝突は避けたいんだけど、あっちはケンカする気満々だな。俺、ケンカなんて人生で1度もしたことないし、ずっと暴力とは無縁で生きていく予定だったんだけどな。


 何とか穏便おんびんに事を済ませようとするが、まだ少年は俺に絡んでくる。


「おまえだけ、あれを受けてないんじゃないのか?それとか、苦しまないようにされてるとか。だって、変だろ。俺たちのほとんどが痛かったり苦しかったのに、同じようにあれを受けているはずのおまえが普通に動けていたなんてさ」


「言いがかりもはなはだしいですね。ボクも実験は受けてますよ。それに、いつも気持ち悪い幻覚を見てますしね。それに耐えられるかどうかは、人の性質によって違ってきます。文句があるのなら、大人に言えば良いんじゃないですか?ボクをイライラのけ口にされるのは迷惑ですから」


 ありのままの心境を言えば、少年は俺の髪を強く掴んで壁にドンッと押し付ける。


「そう言うところもイライラするんだよ!!俺はおまえが嫌いだ!!消えろ……消えろ消えろ、消えてしまえ!!おまえなんか……おまえなんか!!」


 もう片方の手で首をめられてしまう。


 子供の小さくて発達していない筋肉からは考えられないほどの力で絞められていて、息が苦しい。


「ぐっ……!!がっ……あぁ!!」


 少年の目を見れば、その目全体が濁ったような赤色に染まっており、顔全体で怒りを現している。


 これは……あの赤い薬の効果が現れているのか!?確か彩さんが感情と症状が関わっていると言っていた。


 周りを見ると、他の子供たちは当然恐がっており、俺を助けようとはしない。鳳凰院を探すが、こんな時に見当たらない。


 このままだと、俺は首を絞められていて息が吸えずに死ぬ。


 多分だけど、この少年は俺のことは嫌いだったのは事実であっても、殺す気は無かったはずだ。それか、薬の効果で触発去れてしまったのか。


 どちらにしても、俺はこのまま死ぬ気は……ない!!


 生きる。


 そのために俺は少年の両手首を掴み、髪と首から手を離させる。


 その時、体の中から力が込み上げてくるのを感じた。


 それと同時に、奇妙な感覚に襲われた。


 ここから先、意識はあっても自分を抑えられない。


 1度目を閉じ、大きく開眼した。


 そして、少年の頭に強く頭突きをすれば、彼はよろめきそのまま後ろに下がっていく。


 そこで、俺ならばそこで手を止める。しかし、俺の体は意志に関係なく少年を押し倒して馬乗りになり、そのまま彼の頭を殴り、右拳と左拳を交互に使いながら殴り続ける。


「げふっ!がはっ、だぁ!……ぶふっ!」


 少年は殴られ続けて口から吐血とけつし、顔がれてきている。


 どうしてそうしているのかはわからない。


 けど、体が勝手に殴り続けている。


 止めたくても、止められない!!


「がふっ!はがっ!!……もう……やめっ……!!ぶぐっ!」


 殴られ続けて正気を取り戻したのか、少年が泣きながら止めるように言ってくる。しかし、体が言うことを聞いてくれない。


 このまま殴り続けて少年を殺してしまうのではないかと危惧していると、部屋のドアが強くバタンッと開き、大勢の大人が入ってきて、俺と少年を引き剥がして離した。


 すると、大人たちは少年と俺を見て目を見開く。特に、瞳を見て……。


 1人の研究員が、歓喜の声を発する。


「その紅の瞳は……だが、落ち着いている。衝動と力を制御しているのか……。成功だ……被験体066番!!」


 これが、結末への序曲だった。

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