惨劇への決断

 あれから、どれだけの時間が経った?自分の身に何が起きている?


 わからない。


 あの暴行事件の後、俺は研究員に強制的に目隠しをさせられて部屋から連れ出された。


 そして、どこかの部屋に入れられて鉄の椅子とは違う柔らかい感触の何かに座らされ、頭に何かの装置を着けられた。


 両手と両足には動かないように手錠てじょう足枷あしかせを着けられた音が聞こえる。


 そして、左腕にチクッと何かが刺さる痛みを感じた。


 この状況は、監禁されていると言うことではないだろうか。


 視覚は封じられ、周りの状況を判断するための情報源は耳から聞こえる音だけ。しかし、今は無音で何も聞こえない。


 今の俺には、何もできない。


 どうすれば良いのかとか、最善策は何なのかと考えても意味がない。


 これはもう、独力でどうにかできる問題ではないのだから。


 なら、考えることを止めるのか。いや、あらゆることを、可能性を考えろ。


 あの研究員たちが、このまま俺を監禁したままで放置するはずがない。


 俺を何かに利用するために、この拘束を解く可能性だってある。その時に一体何ができるかを、複数通り考えろ。


 今の状況では、考えることや予想を立てることしかできないのではない。その2つのことができれば、あきらめることはない。


 現実を受け入れ、その上で考えることができれば、それは真の絶望ではないと父も言っていた。


 そこだけは、素直に聞くことができた。


 ……っと思ってはみたものの、考えるだけでは何もできないと言うことに最近気づいた。


 現実は子供の期待に甘くなく、ドアが開く音がするのは2回だけであり、それも何をしているのかはわからない。


 仮説を立てるとするならば、俺が何も食べていないのにずっと空腹を感じていないところから、栄養剤を投与とうよされていたのだろう。


 その2回以外は、誰も俺の居る部屋に入ってこない。それはもちろん、彩さんも。


 どうして、彩さんはこの部屋に来ないのだろう。俺に会いに来てくれないのだろう。


 あの出来事が起きて以来、彩さんに会っていない。俺が約束を守れなかったからだろうか。それとも、俺を見捨てたのか……。


「彩さん……」


 彩さんに会いたい。


 だけど、会えない。


 そのジレンマのせいかどうかはわからないが、さっきから両目がうずく。


 そして、今まで無音だったのに、どこからか話し声が聞こえてくる。


「あれから2週間経ったけど、あの066番以外には成功例がないんだろ?この先の研究、どうすれば良いんだろうねぇ」


「成功例が1つしかないとなると、実践的ではないだろ。あの他にも、あと少しで成功だと思われる子どもは居たが結果には結び付いていない」


「残酷なことだが、上層部からは結果が出ていない研究に資金を出すのを少しずつ渋っているらしい。イイヤツ様はもうこの研究を切り捨てるつもりかもしれないな。その場合、被験者は全員殺処分か……」


「だけど、そうならないように如月さんが上に訴えかけてるんだろ?あの人も他人の子供のためによくやるよなぁ」


「如月かぁ……あいつの行動は最近読めない所がある。前までは研究に乗り気で無かったし反対していたが、今では研究を推進して発展させようとしている。何がしたいのか……」


 彩さんが研究を進めようとしている?


 それに、この研究を止められたら殺処分って……!?


 彩さんはイイヤツのことを止めようとしている。だから、俺に会いに来なかったのか?


 彼女は彼女で、何かをやり遂げようとして戦っている。


 なら、俺にできることって一体……。


 カツンッカツンッカツン。


 話し声に集中していて気づかなかったが、誰かがこの部屋に近づいて来ている足音が聞こえてきた。


 そして、その足音はこの部屋の前で止まる。


 もしかして、彩さんがついに俺に会いに来てくれたのか…?


 重い扉が開く音が聞こえてきた。


 そして、その声は耳に届いた。


 あのやる気はないけど安心させてくれる女研究員の声――ではなかった。


『お初にお目にかかる……わけではないね。広間で僕のことは見たことがあるはずだしね。君のことはずっとカメラ越しに監察かんさつさせてもらっていたよ。被験体066番、最上高太くん』


 声こそは優しさを感じさせようとしているが、その奥の闇を隠そうとして隠しきれてない、あの黒い仮面の主の声が聞こえてきた。


 間違いない。奴は……イイヤツは今、この部屋に居る。


 恐怖で身体が強ばる。呼吸するのが辛い。


 同じ空間に居ることを、身体が拒否している。


 靴音を立てながら俺に近づき、俺のすぐ前に立ったのだとわかる。


『今日は君が退屈していると思って、軽いゲームをしに来てあげたよ?』


「……はぁ……あっ……ぐっ……」


 声を出そうとしたが、喉が渇いて出せそうもない。すると、ペットボトルを開ける音が聞こえ、飲み口を口に当てられて水を飲まされる。


「はぁ……はぁ……ゲームって……どういうことですか?」


『何、子供の君でもわかるシンプルな内容のゲームだよ。けど、その前に目隠しを取ってあげるね~?』


 イイヤツが俺から目隠しを外せば、久しぶりに目を開けて視界がボヤける。だけど、目の前にイイヤツが居て、その左右に2つの映像画面がある。


 片方に映っているのは彩さん、もう一方は代わる代わる映像は変化するが、この研究施設に居る子供たち。


 左右の画面の上に手を置き、フフフッと笑う。


『さぁ、始めようじゃないか。楽しい楽しい、命のチョイスゲームをね?』


 イイヤツの意図が全く読めない。


 俺に目の前の2つの映像を見せて、何かのゲームをすると言い出した。


 あの黒い仮面の下で、イイヤツの顔も不気味な笑みをしているのが直感でわかる。


 何か、嫌な予感がする。


『君には敬意を表するよ。あの心が壊れるような苦しい体験を何度も受け、僕の予想とは反する形で効果を現した。言わば、君は奇跡に恵まれていると言うことかな?』


 イイヤツが勝手に意味がわからないことを話し始めた。


 俺が奇跡に恵まれてるだって? あり得ないだろ。それなら俺はこんなところに居るはずがない。


 この施設に来てから、良いことが起きた感覚は希薄だ。


『君はこの研究で唯一、力を引き出すことが出来た。それは君と我々にとっての希望となる。……しかぁし、君は優秀であるのに対して、君の周りの人間はよろしくないねぇ。君を利用するか陥れることしか考えていない』


「……え?」


 俺が聞き返してしまうと、イイヤツは指を鳴らす。すると、右画面の彩さんの映像が変わる。


 映っているのは、彩さんとイイヤツが白く四角い部屋で話し合っているところだ。


『如月くん、君は今回の研究の成功者である被験体066番、名前は確か……最上高太だったかな?彼の担当をしていたようだけど、あの瞳の色の濃さからして、普通なら変化に気づかないはずがないよねぇ。もしかして、僕らに隠していたのかな?それとも、君のことを過大評価しすぎていたのか……』


 映像の中の彩さんは何も答えずに目を閉じる。そして、深い溜め息をついた。


『あれは私の不注意でした。自分で言うのもなんですけど、私は言われたこと以外はしない主義ですので。実験後の監視は私ではなく他の管轄かんかつだったはず。私は066番だけの担当ではありませんから』


『それは重々承知しているさ。だけどね?君を複数人の担当にしたのは、一瞬で変化を見抜くことができる洞察力という才能を信じてのことだった。それを裏切られ、私たちの中で君の評価が落ちつつある……どうするつもりだい?』


 画面越しでも、当時のイイヤツの威圧感が伝わってくる。俺の中の空気が重い。


 しかし、その威圧にも彩さんは冷静で動じない。


『結果を残せなければ、それは無能と同じ。それを忘れたことはありません。もう1度言いますが、066番の変化に気づけなかったのは私の落ち度です。言い訳はしません。ですから、今度は結果を残せるように注意をおこたらないようにしたい。私を彼のの担当にさせていただきたいのですが、検討けんとうしていただけませんか?』


 やる気のない目から真剣な眼差しに変わる。


 すると、イイヤツは自身のあごに人差し指を当てる。

 

『それは別に良いのだけど、君も必死だねぇ。そんなに組織での今の椅子にすがりつきたいの~?』


『何とでも言ってください。私は結果を残さなければならないんです……私の望む結果を。そのためなら私は何でもするし、何だろうと利用する。例え、子供でも』


『クフフッ、君のそういう向上心の高いところ、僕は大好きだよ。君にとって、あの少年は何なんだい?ただの道具?』


『……それは』


 プツンっ。


 いきなり映像は切れ、画面は今の彩さんの様子に戻る。

 

「彩さんが……ボクを利用しようとしていた……?」


 信じられない。信じたくない。


 だけど、この映像が俺に与えた衝撃は現実逃避を許さなかった。


 イイヤツは不気味にクフフッと笑い、仮面の口の部分を押さえる。


『そう、君があ~んなに楽しそうに話していた、心を許していた如月彩は、君のことを利用しようとしていたんだ!!あぁ……もっと僕にその顔を見せてくれぇ……!!』


 俺の顔に仮面の顔を近づけ、両頬にイイヤツの手が触れる。


『ぁああ、美しい。人から希望が消える瞬間って、どうしてこうも美しいのだろうねぇ……。でも、まだ足りない!!君はまだゲームの参加者足り得る条件を満たしていない!!だからぁ……もっと望みを壊してくれぇ』


 次に左側の画面が変化すると、そこに映っていたのは鳳凰院と俺に絡んできた少年、062番。その会話の映像。


『それ、本当に言ってるんですか?鳳凰院くん。いくら何でもやりすぎじゃ……』


『あぁ?おまえ、いつから俺に何かを言えるようになったんだ?おまえはただ、俺の言うことを聞いていれば良いんだよ。……いいから、高太に絡んで問題を起こせ。そうすれば、あいつはこの部屋から消えるんだからな』


 062番の目は監視カメラ越しでも震えているのが見える。そして、恐怖を覚えているのを感じる。


 しかし、そんなことよりも鳳凰院のことを凝視してしまう。


 これが、本当にあの鳳凰院なのか?


 友達とまでは思っていない。だけど、俺が話していても不快に思わない数少ない相手の1人だった。そんな彼が……。


『どうして、そこまであの男にこだわるんですか?鳳凰院くん、あいつと仲良さげに……』


『あれは振りだよ、振り。俺は元から、あの最上高太って奴が気に入らなかった。変な感じだが、俺と似ている何かを感じた。だからこそ、あいつは俺の手には収まらない。必ず、俺の邪魔になる』


『で、でも!1回は引き込もうとしてたじゃないですか?ほら、ここに来てから次の日に、俺と他の2人を使ってグループを作ろうとした時に』


『あぁ、あれか。あれは1度話してみて、どういう奴かを探りたかったからなぁ。おまえたちに餌(えさ)を使って利用して俺とあいつの手を縛らせたのは、俺も同じ状況と言うことで疑いの目を避けるため。全部が俺のプラン通りだとも知らずに、あいつは完全に俺に信頼を置いていたなぁ。笑いをこらえるのに必死だったぜ』


 声を殺して笑っている鳳凰院を見て、俺は目を見開いてしまう。あの2日目のことは、鳳凰院の仕業だった。


 そして、映像は続く。


『とりあえず、完全に俺の邪魔になる前に高太を潰すしかねぇ。大人たちの声を盗み聞きする限り、この部屋で1番いい結果を残しているのはあいつだからな。あいつには……力は渡さない。圧倒的な力を手に入れるのは俺だ……!!』


 俺は、鳳凰院のことを何も知らなかった。知ろうとしなかった。


 思えば、あの力への渇望をあらわにした時に気づくべきだったのかもしれない。


 俺と鳳凰院は、相入れない存在なのだと。


 ならば、あの062番の感情は怒りでは無かったのかもしれない。鳳凰院への恐怖で、感情が荒々しかったのか。


 映像は終わり、イイヤツは両方の画面の上に再度手を置く。


『いい具合に絶望しているねぇ。いぃ……いぃよぉ、その目!その顔!!ぞっくぞくするぅ!!』


 うっとりしたような声を出すイイヤツにおぞましさを感じたが、今の俺にはどうでもよかった。


 俺はこの施設で信じるべき人間は居なかった。なら、俺はどうすれば良かったんだ……。


 イイヤツは放心状態の俺に2つの画面を近づける。


『さぁ、そんな深い絶望に落ちている君にゲームの説明をしよう。今ねぇ、この施設の外に恐~い男の人たちを待たせているんだ。その人たちは、僕の言うことは何でも聞いてくれるの。そして、僕は今1つだけ君の言うことを聞いてあげる。さぁ、誰を殺してほしい?正直に、自分の心に従い……口にしてみなさい?』


 誰か……を……殺す?


 俺を陥れようとしたあの男を?俺を利用しようとしたあの女を?


 ダメだ、足りない……。


 あの2人を殺しても、ここに居る人たちは俺をまた絶望に陥れるかもしれない。


 なら、どうする……?


 もう、絶望したくないんだ。


 誰も彼もが俺を否定するなら、俺を道具にするのなら……。


 答えを決める前に、口が動いた。


「…………全員……殺せ。無能な奴も、俺を道具にしようとした奴も、俺を苦しめた奴も、俺を陥れようとした奴も……全員……!!」


 それを聞いた瞬間、イイヤツは高らかに両手を広げる。


『さぁ、際は投げられた!!これで、誰も止める者は居ない。上に立つ強者が、小賢こざかしい弱者を消す決断をくだされた!!楽しい楽しい殺戮さつりくゲームの始まりだ!!』


 これが、黒い仮面に心を支配された愚者の決断。


 地獄の始まり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る