復讐劇への転入生

 どうか、夢であってほしい。


 時は5月の中旬。


 春の温かさから夏の暑さに変わろうとしている時期。


 俺は車の通っていない横断歩道に立って露骨に溜め息をつき、心の中でそう呟いた。


「おい、君!何を溜め息をついているのだね」


「いいえ、別に」


 背中には登山用のリュックサックを背負い、分厚い地図本を片手に目的地に向かって徒歩で2時間くらい歩いてきたのだが、生まれ持っての不幸体質のせいか、俺は国内の平和の番人である警察官に呼び止められてしまったのだ。


 真昼間に制服を着ている高校生が登山用のリュックを持って、土地勘のない街中をうろうろしていたのだから仕方がないか。


 人相の悪そうな顔をしている警察官は、俺の顔をジロジロ見てはメモ帳とペンを取り出した。


「君、平日の学校をサボってどこに行こうとしていたの?」


 いきなり、サボり確定かよ。


 ここは素直に答えても、一々証拠を出せってうるさくなるパターンと見た。


 仕方がない、軽く笑い話をしてやり過ごそう。


「あんたの奥さんの所に行こうとしていた」


「……はぁ?」


「奥さんには、夫には秘密にしておいてって言われていたけど仕方がない。詮索したのはあんたなんだから、俺のことは恨むなよ?浮気をするかどうかを選択したのは、あんたの奥さんだ」


 この人相と性格が悪そうな警官に結婚できるだけの魅力はありそうにないが、冗談でそう言ってみた。


 警官は一瞬アホ面で口をだらしなく開けていたが、すぐに顔を真っ赤にして怒りの形相になった。


「このガキ、バカにしてるのか!?」


「お巡りさんをバカにするような度胸が俺にありそうに見える?何なら、今すぐに電話してみたら?『ハニー、俺の他にも男が居たのか?』って」


「ふざけるな!!」


 怒った顔で俺に手を挙げようとした瞬間、ポケットからスマホを取り出してすかさずフラッシュをたいて写真を撮る。


 警官の手が止まる。


「な、何をした!?」


「何って写真を撮っただけだけど?国民を守る立場にあるはずの警察官が、か弱い国民に暴力を振るおうとした決定的な瞬間をさ」


 満面の笑みで言ってやれば、警官はさらに顔を真っ赤にしてスマホを取り上げようとしたが、身体を半回転して避ける。


「あんた、冗談も通じないでよく警察官になれたね?もしかして、正義感が舞い上がっちゃった新米警官?」


「っ!!う、うるさい!!ガキの分際で、目上の者をバカにするな!!」


 この暑い中で頭が正常に働いていないのか、なおも俺に向かってくる警官。


 やれやれ、頭を冷静にさせてやるか。 


 柔道の構えをして向かってくる警官が、証拠隠滅のために俺に向かって暴力を振るってくる。


 型通りの動きなので、先を読んで避けるのは容易い。


 顔面に向かって伸ばしてくる拳を無表情で掴み、俺は目を閉じる。


 すると、警官は目を見開いて俺を見ては、身体が固まったかのように動かなくなってしまった。


「な、何だ、これは……!!お、おまえ……本官に何をした!?」


「さぁね、ただの手品か催眠術って思っておけば良いんじゃない?3分後には動けるようになってると思うから、俺のことは追わないでねぇ~」


 軽く舌を出して挑発するように言い、その場を去ろうとする。


 あ、でも、お巡りさんなら目的地の場所を知ってるかも。


「お巡りさん、ちょっと質問」


「な、何!?」


 怒りと驚きと呆れが混ざった変な顔をしながら、警官はこっちを見てくる。


 そんなのは気にせずに、俺は苦笑いしながら聞いた。


「私立才王学園って、どこにあるか知ってる?」



 ーーーーー



 心優しい警察官に道を教えてもらい、俺は何とか才王学園の校門の前に到着した。


 しかし、本当にここは学校か?


 全長約15メートルの黒い壁が校内を囲むように立っており、まるで内部と外部を隔絶しているかのようだ。


 黒い壁が存在感を出しているが、そのもう1つの理由としては周りに何の建物も存在しないことも関係しているだろう。


 広大な敷地を独占しては我が物顔でどっしりと構えている孤高の校舎だ。


 その校舎を囲んでいる巨大な黒い壁に圧迫され、ここから先に一歩踏み出すことに躊躇ちゅうちょする――――なんてことは無かった。


 これから先、この学園で何が起こるのかは予想もつかない。


 だけど、俺はただ2年前から定めている目的を遂行するためだけにこの学園に入るんだ。


 生半可な覚悟や精神力じゃねぇんだよ。


「……姉さん、行ってきます」


 一歩踏み出して校内に入ろうとした瞬間。


 急にセンサーが反応したかのように扉に付けてある赤いランプが点滅し、横に開いていた分厚い扉が閉まってしまった。


「・・・は?」


 カッコよく新しい一歩を踏み出そうとした途端、目の前に壁ができてしまいました。


 これって、どういうことだ?


 急いで学園側に連絡を取ると、俺の担任らしい先生は授業中とのことで、そこで待機していろと言われて切られた。


「I can't believe it……(ありえねぇ)」


 思わず英語で呟いて立ち尽くしていると、近くから「あれ……?」と気の抜けた女の声が聞こえてきた。


 横を見てみると、白色のパーカーを着ていてフードを被っており、口にマスクをしている女が居た。


 フードからはみ出している銀色の髪が、異様に目立つ。


 女は扉の前に立っては首を傾げる。


「……閉まってる」


「あ、ああ。そうなんだよな。俺、ここに来るの初めてなんだけど、どうすれば入れるんだ?」


「……」


 一応聞いてはみたものの、反応がない。


 もしかして、無視されてる?


 フード女は監視カメラの有る場所にスマホをかざす。


 すると、閉まっていた校門が開いた。


「マジかよ……」


 女はそのまま校内に入って行き、俺もそれを追って入ろうとする。


「そこから先に足を踏み入れたら、後戻りできなくなるよ?」


 前を向いたまま、女が不意にそんなことを言った。


 俺のことは認識していたのか。


「戻れなくなるって……どういう意味だ?」


「覚悟があるなら入れば良いし、覚悟がないなら帰れば良い。強い意志がないなら、この才王学園では生き残れない」


 忠告されているのか?何で赤の他人の俺に。


 強い意志ならある。だから、俺は今ここに居るんだ。


「入る方法、教えてくれるか?」


「……」


「覚悟ならある。だけど、また目の前で閉め出されるのはごめんだ。茨の道を進むにも入り方がわからなかったら、スタート地点にも立てねぇだろ」


 女は10秒ほど黙っていたが、前を向いたまま俺に向かってスマホを見せてくる。


「スマホに学校に登録した顔写真を出して、それを監視カメラに見せれば良い。そうすれば、入れる。……これから頑張りなよ、転入生」


 そう言って、女は両手をパーカーのポケットに入れて行ってしまった。


 特に過干渉するつもりは無かったのでそこで別れ、学園の地図を見ながら職員室に向かい、その時にタイミング良く担任と会う事が出来て、明日からの学園生活の予定を聞かされた。


 これが、才王学園の生徒になる前日の話。


 明日から、俺はこの学園の生徒になる。


 しかし、呑気に学園生活を謳歌するつもりは毛頭ない。


 俺は舞台に立っただけだ。


 これから起こそうとしている、復讐劇の舞台に。



 ーーーーー



 転入生。


 人はその言葉に期待を膨らませる。


 『どんなイケメンが来るのか』とか、『どんな美少女が来てくれるのだろう』とか思うのだ。


 しかし、その期待は当の本人からしてみればプレッシャー以外の何でもない。


 一応、最初は目立たないように印象は良くしておいた方が良い。


 黒髪で常に笑顔が作れる好青年。


 よし、多分だけどバッチリだ。


 これで教室に入れば、男女ともに悪い反応は無いだろう。


 あとは最初の挨拶を間違えなければ、何とかなる。


 ………そう、1分前までの俺は思っていた。


 朝だと言うのに薄暗い教室は静まりかえっており、黒板の前には俺と、サングラスをしてタバコを吸っている白衣を着た担任の男性教師、岸野きしの先生が立っている。


 転入というのは初めてだが、普通は見知らぬ者が自分達の領域に入ったら少しはざわつくものではないだろうか。


 けど、誰も喋ろうとしない。ずっと前を向いている。


 俺に対する反応は1つもない。


 うわぁ、空気重ーい。


「つ、椿円華つばき まどかです。よく名前で女子だと勘違いされますが、れっきとした男なので御心配なさらず。適度に遊んで適度に学校生活を送ろうと思っているので、よろしくおねがいしまーす」


 自己紹介を聞いても、特に表情を変えないクラスメイト達。俺以外の者は全員、人形ではないかと思えてくる。


 空気が重たいのは別に良いんだが、息が苦しくなりそうだ。


 ……そう思うってことは、別によくはないのか。


 岸野が後ろの方の窓側の空席を指さすと「行け」と言うので、黙って向かって席に着く。


 教壇きょうだんに両手をつけば、タバコを教壇に擦りつけて火を消し、話を始めた。


「椿はこの中で最も実力を持った男だ。おまえらと違って、転入試験として出した中間試験の問題は全問正解だった。このクラスには、誰も居なかったよな?満点。まさに、掃き溜めにつるのような状況ってわけだ。仲良くできるなら、仲良くしといてそんはない」


 岸野先生は「今日の1限は自習」と言い、教室を出て行った。


 すると、薄暗かった雰囲気は嘘みたいに、ガヤガヤとクラスのみんなが喋り始めた。


 明日は何処に行く?とか、どこか遊びに行こうと言う話が聞こえてくる。そんな中、俺に近づこうとする者は存在しなかった。


 このクラスは縄張り意識が強いようで、部外者、しかもご親切に岸野先生が俺を疎外そがいさせるような言動をしてくれたおかげで、早速ぼっちになりかけている。


 辺りを何気なく見回してみると、1人の目付きが悪い女子と目が合ってしまったが、睨まれてすぐに目を逸らされてしまった。


 若干心が傷ついた。


 カーテンを開けて外を見てみると、普通の人なら見た瞬間に目を疑うような光景が広がっていた。


 青空は機械の天井に覆われていて見えず、そのエリア全体に行き届いている光は太陽からではなく、天井に一定距離で並べられた無数の照明。そして、その下には小さな街が存在する。


 ここは地上ではなく地下。ちなみに説明が遅れたが、このクラスはFクラスと呼ばれている。


 上から階級制にS、A、B、C、D、E、Fと分かれており、Fは最下層に位置しており、転入生はそこからのスタートだ。


 地上で新鮮な酸素を吸うことすら許されないらしく、地下に小さな校舎と最低限の生活ができるような街を政府に秘密で学園が作ったそうだ。


「あの……椿くん。ちょっと良いかな?」


 1時間目が始まって30分経ち、やっと話しかけてきてくれる者が現れたので、別に見ていても面白くない閉鎖空間の景色を見るのをやめ、声が聞こえた方に顔を向けた。


 目の前には、白髪のセミロングでカチューシャをしているニコニコした笑顔をした女子が立っていた。


 この笑顔がわざとらしく見えるのは、俺の性格が歪んでいるからだろうか。


 嫌いなタイプだが、一応コミュニケーションは取っておこう。


「えーっと…」


住良木麗音すめらぎ れいねです。よろしくね?」


 前のめりになって顔を覗き込んでくるようにして自己紹介してくるが、どぎまぎしないで冷静でいる。


 普通の男子なら、ここで動揺するんだろうな。


 お約束が通用しなくて申し訳ない。


「よろしく。それで、何か用?答えられる質問は3つまで。それと、俺は同じことを3回聞かれることも言うのも嫌いだから、できれば聞き返すことはなしで頼む」


「わかった。じゃあ、質問は1つだけ。今日の放課後、空いている?」


「特に予定はない。この地下空間に慣れるためにブラブラ散歩でもしようと思ってた」


「じゃあ、丁度良いね!私が街を案内してあげるよ。良いよね?」


 こういう女子からの誘いを断ったらダメなような気がするので、俺は頷いた。


「別に良いけど、そう言うのってクラス委員が優等生ぶりをアピールするためにすることじゃないか?」


 辺りを見渡してそれらしい人を捜してみると、俺の話を聞いていたのか、周りは全員、住良木に視線が集中する。


 そして、住良木は胸元につけているシルバーのバッジを不満げな表情をしながら見せてきた。


「残念なことに、そのクラス委員は私ですよ?」


「お~っと、これは失礼」


 早速、口で失敗してしまったようだ。

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