第2話

「あなたは神を信じますか?」

「いえ、あんまり…」

 いきなりオレの家に来た彼女と、たぶん彼女の母親っぽい女性との会話。彼女も一瞬でオレだと気づいて。つまり、オレの家だと思わずに来て、オレが出てきたので彼女は焦って恥ずかしそうに母親の影に隠れた。

「私たちは神の教えを説いているのです。これを見てください」

 と母親はパンフレットをくれた。

「世界には戦争や飢餓があふれています。あなたは、これをどう思いますか?」

 闘争は生命の本能だし、農業と産業革命のおかげで人類の人口はかつてないほど増えた。多少の飢餓が生じるのは紛争地域での不可避な事象だろう、と普段のオレなら答えるけれど、それでは追い返すことになる。

「とても残念というか…まことに遺憾だと思いますよ」

 オレは官房長官か?! と自分にツッコミつつ真面目な顔で答えた。

「世界が混乱する理由も聖書には書いてあるのです。知ってみたいと思いませんか?」

「聖書ですか……いずれ読んでみたいと思ってました」

「あら♪ では、ぜひ読んでください!」

 そう言った母親は聖書と近所にある王国支部の案内をくれた。

 

 

 次の日曜日、オレは朝から王国支部に来てみた。学校で彼女とすれ違うときも、いつも通りに挨拶していたけれど、やや彼女は引いた感じだった。

「おはようございます! 初めての方ですか?」

 王国支部は住宅街の中にあって、戸建て6件分くらいの土地に駐車場と一階建ての公民館っぽい建物があってオレが入っていいものか迷っていると、入口にいた男性が声をかけてくれた。

「はい…どうも…」

「誰かのご紹介で?」

「えっと…帆場さんにパンフレットをもらって」

「そうですか。ようこそ♪ どうぞ、中に入ってください」

 やたらフレンドリーに案内してくれるし、中には彼女と母親も来ていた。全体で50人くらいだろうか。すぐに母親がオレに寄ってきて、笑顔で握手を求めてきたので応じた。彼女とも握手をした。彼女の肌に触れるのは一年ぶりだ。

 そして、きっと彼女目当てで来たと知られるとガードされそうだと察して、あくまで聖書に興味があるフリをして過ごした。

 

 

 三ヶ月後、日曜の早朝に出かけるオレに母さんが声をかけてきた。

「あんたが行ってる宗教、大丈夫なの?」

「サリンは撒かないはずだ」

「……。お目当ての女の子とは、どうなの?」

「外堀攻略中。いってきます」

「いってらっしゃい。地下鉄には気をつけてね」

 話のわかる母さんで助かる。今週も聖書の話を聴いて、祈って、歓談する。面白い人たちだ。いや、キリスト教全体が面白い。というか、始まりとなったアブラハムからユダヤ教、イスラム教と別れて、さらにカトリック、プロテスタントと別れ、さらにさらにカルトと呼ばれるような宗派にどんどん、どんどん別れていく。科学が一つの法則を発見する逆で、みんながみんな勝手に真理を唱えて広める、まさに世界の言語がバベルから乱れたように真理もバラバラだ。

 だが一つ変わらない真理はある。

 オレは彼女が好きだ。

「おはようございます。三上兄弟」

 彼女が挨拶してくれる。

「ああ、おはよう。笑美子姉妹」

 オレは彼女を下の名で呼ぶ。でないと、母親のことも帆場姉妹と呼ぶので混同するからだ。

「お母さんが三上兄弟に今日から研究に同伴してみませんか、と言っているの」

「研究に?」

 それは専門用語で、日常語に訳すと宗教勧誘だ。

「考えておいてください」

「了解」

 礼拝が終わった後、三人で街を巡った。戸別訪問してパンフレットを配る。そして、いつかは来るだろうと思った日が初日に来た。チャイムを鳴らした家から出てきたのは村井洋介。

「うおっ?! 三上?! お前、マジで宗教やってんの?!」

「ああ、神の真理に気づいた」

「どうせ、その女、目当てだろ?」

 来ると思った質問に数秒前から覚悟はしていた。

「いや、こうしているのは神への奉仕。けれど、オレは笑美子姉妹のことが好きだ。去年、ハンカチで傷を巻いてくれたときから。すべて神の導きだろう。有り難いことだ」

「「「…………」」」

 三人が沈黙する。重い沈黙の中、オレは洋介にパンフレットを渡す。

「洋介兄弟、君も聖書を読んでみてくれ」

「………気持ち悪いこと言うな! 死ね!」

「何度でも蘇るさ。信仰があるからな」

「マジで死ね、ボケ!」

 洋介が扉を閉ざした。

「「「………」」」

 笑美子も母親もオレも黙る。オレは気を取り直して言ってみる。

「次の家、行きましょうか」

「え…ええ。…」

 母親が迷いがちに言ってくる。

「三上兄弟、今の人とお友達だったのですか?」

「はい、まあ」

「そう………ひどいことを言われても気にしないでください。神はすべてを見ておられますから」

「はい、そうします」

「………………。…あと…」

 やはり迷いながら、それでも訊いてくる。

「あと、…笑美子のこと、本気で言ったの? 冗談なの?」

「嘘は罪です。ボクは笑美子姉妹が好きです。本気で」

「「………」」

 笑美子が赤くなる。母親が代弁してくる。

「もうご存じだと思いますが、私たちは結婚を前提としない交際をしません」

 きっぱりと言われたので、はっきりと答える。

「結婚を前提として交際したいです、笑美子姉妹」

「っ…」

 ますます彼女が赤くなった。たぶん、オレも赤面しているだろう。また母親が言ってくる。

「三上兄弟は、まだ洗礼を受けていません。未受洗の方とのお付き合いはできません」

「そうですか、わかりました」

「………三上兄弟は洗礼を受ける気持ちはありますか?」

「ありますが、それまでに聖書を読み込み、理解を深めてから、と決めたので。笑美子姉妹への気持ちも今は封印し、洗礼後あらためて申し込みます」

「あなたは立派な人です。きっと、神も見ておられますわ」

 神が見てたらインカ帝国は滅びなかったろうに。とはいえ、理想的な答えができて、よかったぜ。

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