第二章 君から消えゆく三千世界 🌙

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 何もない。何も持っていない。

 僕には何もいない。

 家族もいない。

 親戚もいない。

 友達もいない。

 恋人もいない。

 愛すべき人がいない。憎むべき敵さえいない。

 自分の名前さえない。自分の記憶さえない。

 僕にあるのは僕だけだ。

 あるいは自分さえいないのかもしれない。

 僕は歩く。休むことさえなく……。

 なぜ歩くのか、どこへ向かうのかも分からないままに歩き続ける。

 突然、膝が折れて僕は前のめりに倒れこんだ。

 ああ……もう歩く力もない。

 このまま、動けないまま、死んでいく。

 いなくなっていく……


「おい!!」


 声がする。


「しっかりしろ! 大丈夫か!?」


 僕の頭上から声がする。

 声?

 いったい……。


「誰?」


 そして、僕は意識も失った。


 目が覚めた。周りを見渡した。

 建物の中。布団の上。


「あ、目が覚めた」


 また、声が聞こえた。

 でも、さっきとは違う声。


「大丈夫? えっとね、ここは君が倒れてたところの近くの廃屋はいおくだよ。あ、この人が君を助けてくれた人」


 女の子。1人の女の子が僕にしゃべりかけていた。

 そして、隣には1人の男がいた。長身で刀を帯びた男。


「目が覚めたか。よかったな小僧。俺の名前は行雲こううん龍炎りゅうえん。龍炎さんって呼んでくれ。お前の名前は?」


 その男の声は確かにあのとき、聞こえてきた声だった。

 その男、龍炎さんの質問は僕にとっては一番難しい質問だった。


「助けてくれて、ありがと。えっと……その、名前はない」

「ナイ? 変わった名前だね」


 女の子が首をかしげながらそう言った。

 僕は複雑な気持ちになった。


「そうじゃなくて、名前を持っていないんだ」

「そうなんだ。じゃあ、わたしと一緒だね」


 女の子は笑ってそう言った。

 複雑だった僕の気持ちがさらに複雑になっていく。

 こんなにも明るく語る女の子、口に出すのさえためらう僕。

 いったいこの子と僕は何が違うんだろう?

 どうすれば、『自分の名前がない』という事実を、笑って言えるんだろう?


「おいおい、じゃあこの場に3人いて2人が名無しかよ。まったく世も末だな。名前のある俺が少数派だなんてな」


 龍炎さんの口ぶりも言っている内容ほど悲観的ではなかった。


「だったらさ~、名前を考えようよ! わたしの名前とこの子の名前」


 僕の心はますます複雑になる。

 うれしいようで、怖いようで、なんとも思わないようでもある……。

 ただ、何かが変わる予感がした。

 心の準備ができてないうちに、龍炎さんが僕らの名前を口にした。


「名前ならもう考えてある。小僧はひじり、小娘はれんだ」

「ヒジリとレン? 変わった名前だね。由来はなんなの?」

「ああ、由来はな……」


 こうしてこの日、何もなかった僕が何かを得た。

 憐という名をつけられたばかりの女の子、龍炎さん。

 そして聖という名前。僕の名前。

 うれしいようで、怖いようで、何も思わないようで……。

 やっぱり、うれしかった。

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