第十九打席
開幕戦に勝利するべく、選手たちは阪神甲子園球場に乗り込んだ。バスの中で、選手たちは思い思いの時間を過ごしている。
「ケビン、いよいよ始まるぞ、長えシーズンが」
「そうですね」
「今年こそ優勝しねえとな」
鬼頭の言葉に、ケビンは一瞬返答に困った。
横浜ホエールズは弱小球団と呼ばれている。その所以は言うまでもなく、その順位だった。二十一世紀の平均順位は5.06。十五年前に優勝して以来、一度もポストシーズンに出場していない。
ゆえに、ケビンが喉元で押し殺した言葉は、本気ですか、だった。チームの大半の人間は優勝しようなどと思っていない。だが、ケビンはそう言うわけにはいかなかった。
「そうですね。どうせやるなら優勝したいです」
「そうだろ、だから今日勝つんだ。そうすればあいつらにも自信がつくだろ」
ケビンは周囲を見渡す。彼らとて堂々たる一軍選手だ。選手として著しく劣っているわけではない。ゆえにベテランが率先して結果を残して勢いに乗せれば、そう言うのだ。
そう思うのは、彼だけではない。この年、ホエールズは正念場とも言われている。数少ない優勝世代に、限界が来ているのだ。その年新人王だった鬼頭に、当時からセットアッパーの各務。コーチとしては数人残っているが、現場で気を吐けるのは重要だった。
対戦相手は阪神ホワイトタイガース。昨季三位で、ポストシーズンでは首位の東京天狗党をあと一歩まで追い詰めた投手のチームだ。
「よし、今日勝てば一位だ。一位だぞ、やるしかないだろ」
「でもキトさん。相手は熊ですよ」
「相手がどうとか言ってる場合かよ。こちとら去年ほとんどの先発に負け越しじゃねえか」
「そりゃそうですが、程度ってもんがありますよ。うちと戦う時の熊代は化け物です」
中川がそのようなことを言っていると、ひとりの男がいつの間にか近づいていた。
「あ、監督」
「何だガワ。うちのエースが、犀が熊に負けると思ってんのか?」
「いえ、そんなことは」
「だったら大人しく体作ってろ。あとガワ、塁に出たら走らすからな」
「え、まじですか」
「熊はマウンドで余計なことを考えんやつだ。盗めるもん盗まなきゃ勝てんぞ」
そう言って、ベンチにどかりと座り込む。そのまま練習が始まれば、喧騒の中で選手たちはこの試合に向けて気持ちを作っていった。
慎二はこの時、バッティングゲージの前にいた。ケビンとの練習は既に済ませており、球団の打撃投手としての勤めを果たしている。
ゆえにこの日は、スタンドへの打球が多かった。
「うわ、すごい打球」
「また行った、今日俺きてるぞ。なあケビン」
ケビンはそれに笑みを見せ同意する。慎二が打たせてくれる時の球は、本当によく飛ぶのだ。フリーバッティングで難しいコースやノビは必要ない。プロともなれば、それは打席で合わせられる。大事なのは、思い描いた通りに打球が飛ぶという自信。慎二はそれだけを考えて腕を振るった。
「ほい、いいぜ。お前のマネ最高だわ」
「当たり前ですよ。よし、シンジ。一番いいの頼む」
「いいのってなんだよ。続けていくぞ」
慎二は一転して大きく振りかぶり、鋭い球を投げた。
ケビンはそれに自然な形でバットを出していく。引っ張ろうとか、右に打とうとかではなく、ただしっかりと当てる。既に調整は終えており、その打球はどれもフェンス付近まで伸びていた。
そして最後、慎二はふわりと高めに放った。これは熊代のフォークが抜けた時のコース。それに対し、外野に落とすくらいのイメージで軽くスイングする。すると打球は伸びて、上段まで突き抜けていった。
やがて試合開始が近づくと、モニターでは選手紹介が行われている。ホエールズにちなんで波や水飛沫の演出が多用されており、選手たちの魅力を一層引き立てていた。
一番センター、鬼頭崇信。二番レフト、アーネスト・シルバ。三番セカンド、山田渉。四番サード、中川雄大。五番ファースト、ケビン・グレアム。
下位打線までが紹介されたのち、一瞬球場内が暗転する。会場も静まり返り、彼ひとりに許された演出を見守る。真っ赤な飛沫を浴びて、その男の投球フォームが映し出される。
「九番、ピッチャー、犀川直巳」
その言葉を聞くと、レフトスタンドは歓声に包まれた。
この段階になって、ひとりの男がゆっくりとベンチに現れた。田代はその男に、座ったまま声をかける。
「サイ、調子はどうだ」
その青年は薄く開いた目を田代に向け、小さく頷く。それで彼にとっては十分な回答だった。
「そうか、行ってこい」
それを聞くと、犀川はマウンドに向かっていく。
「監督、今日の犀川って」
「なんだお前、モニター見てないのか? 赤だよ、赤」
「この大事な試合で、問題起こさなきゃいいですが」
田代はふっと息を吐き、守備につくため駆け出していく選手たちを送り出す。
「始まるぞ、長え一年が」
その声を背中で聞くと、選手の両手には力がこもった。
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